なぜクラシックを聴くのだろうか…
この頃は、なぜかジャズやブラジル音楽など軽音楽のライブやらコンサートやらを聴きに行くことに腰が重くなっている。クラシック音楽であれば、素面で2時間くらい聴くのは一向に平気なのだが、軽音楽だと何故か集中力を維持できないのである。いま、軽音楽ジャンルでほぼ欠かさずライブを聴いているのはシンガー・ソングライターのDさんくらいしかない。
クラシック音楽が好きな人は軽音楽が好きな人よりも少いと思われるが、2つの音楽の感じ方には何か違いがあるのだろうか?クラシック音楽は高尚だとか、芸術性が高いとか言いたいわけではない。むしろ、即物的な観点から、クラシック音楽は人間の脳や心理に軽音楽とは何か違う影響を与えるのだろうか?この疑問に関連して次のような見解を見つけた。
たぶん自分はクラシック音楽の構成または構造がもたらす何かが好きで、他のジャンルの音楽を聴く時とは違うものを感じているのだろう。現象的には、その何かが神経伝達物質の分泌を促すことによって心身の安定がもたらされるということなのではなかろうか。と、するならば何故、Dさんのオリジナル曲が耳に馴染むかと言うと、彼女の歌がクラシック的な構造を備えているわけではないが、結果的に神経伝達物質の分泌を促している点では同じなのかも知れない。「私のライブではお客さんが眠っていることがよくあるんですけれど、そうっとしておきますので、もし眠くなったら遠慮なくどうぞ」というようなことをライブ会場で彼女自身から聞いたことがある。
軽音楽のメロディラインや歌詞で感動することはあるけれども、クラシック音楽を聴いて感じるものとは違うと思う。以前、あるジャズギタリストがバッハの<G線上のアリア>をソロギターで弾いた動画を視聴したことがあった。あのメロディにコードの伴奏をつけて美しく弾いていたのだが「違う」と残念ながら思った。あの曲はクラシックギター向けにいろいろな編曲がなされているが、いずれもバッハの管弦楽組曲3番の構成をできるだけギターで再現するように編曲されている。ジャズギタリストだから当然ではあるが、その方の編曲にはクラシカルな構造がなかったのだ。
どのような音楽が好きか、音楽をどのように聴くかは人それぞれの自由である。自分はクラシック音楽を聴いて得られるものが好きなのだろう。だから人前でギターを弾く場合、ポピュラー音楽を弾いた方が聴いてもらえることはわかっているけれども、自分は構造的もしくは構成的なクラシック音楽が好きなので、結局そちらばかり弾いてしまうのだ。