見出し画像

水の神、水の精霊

水の神は男神

 東京都の多摩地域は立川段丘と武蔵野段丘によって形成される台地から水が湧出する。台地の崖線から湧き出るそうした水を「ハケ」と呼んで大切にしてきた。太古から人が集住した土地は、そうしたハケの水利に恵まれたところだと思って差し支えないようだ。

 立川市のとあるところに湧水があり、弁天様が祀られている。写真は、龍神の池である。有名な武蔵野市の井の頭公園でも、池に辯天堂が設けられて祀られている。弁天様つまり弁財天はインドの神様だが、日本では水の神様というと龍蛇の姿をとる場合が多く、この立川の弁天様に龍神池があることも不思議ではない。

 日本や中国沿岸部を含む東アジア地域では、水稲栽培が生活基盤になっているが、水神を龍や蛇に見立てることは、それら地域に共通している文化的伝統だという。しかも、日本にも中国にも人間の女性と蛇の婚姻をモチーフにした説話が伝えられていることも共通している。

 なぜ、そうした説話が伝えられたのかという理由は一説には、稲作を行っていた村落社会の族長や首長たちが自分たちの権威の根拠を、先祖が水神と血の繋がりを持っていることに求めて、そのように主張したからだろうとされる。

 現代人でも、河川が流れる姿は龍や蛇を連想させることは否定できないだろう。そして、フロイトのリビドー理論にもとづく夢判断では、蛇は男性のシンボルである。だから、龍や蛇の姿をとる水神は男神であり、人の女を娶ったのであり、それが族長の先祖なのだという説話が生まれたのだろう。

水の女神と弁天様

 しかし、反面、水神には女性のイメージもある。そちらは、稲作の水利に用いられる河川よりも飲料水や生活用水を供給する井戸や泉、川に神様が祀られる場合に該当しそうだ。水神が女神として、かつ小さな子どもをもつ母子神として表象されることがあり、河童という水棲の妖精は母子神信仰から派生したものではないか、という説もある。

 水田のために取水する流れゆく河川は龍神・蛇神を連想させるが、静かに魚や藻、虫などの命を育む池や泉の水から女性のイメージを感じるのは不思議なことではない。もともとは日本的な水の女神がおわしたのだろうが[例:市寸島比売命イチキシマヒメノミコト]、やがて神仏習合して池や泉のほとりには弁天様が祀られることが多くなったものと考えられる。

 あらためて弁天様とは、弁財天の略称で、もともとはサラスバティーという古代インドの川の女神である。豊饒の神としてあがめられ、川の流れの音からの連想で音楽と弁舌(知恵)の神様として信仰されていたそうだ。平安時代以降に真言密教が普及するにつれて、しだいに固有の民俗信仰と習合していったそうである。

 池や泉だけではなく、湖・川・海の水辺にも祀られるが、日本で三代弁天と言われるのが、相模の江ノ島、近江の竹生島、安芸の厳島である。漁村では漁の神様、農村では水利や農耕の神様として信仰されてきた。

 農村で水利・農耕の神として振興される場合には、蛇がお使いとされることがあり、そのあたり正に神仏習合ではないか、という気がする。もともとは、前述したように農村で水利の(男)神として蛇神が信仰されていたところに、後から仏教と習合した結果として蛇が弁天様のお使いになったのだろう。なお、巳の日は弁天様の縁日とされている。

ギリシャ神話の水の精

 さて、水稲栽培とは関係がないギリシャの神話にも水の精がいる。ナイアデスと呼ばれるのだが、ギリシャ神話の「ニンフ」(簡単にいうと女の妖精)の一種族でゼウスの娘とも、各自が棲む河川の神の娘ともされる。予言の能力をもち、詩と音楽を守護し、豊饒・成育・治病などの能力を持つと信じられた。

 ニンフの一種族とされるのは、他にもドリュアデス(樹木)、アルセイデス(森)、オケアニデス(海)など棲む場所によって異なるニンフがいるとされているからである。ただ、いずれもゼウスの娘で若く美しく歌舞を好み、サチュロスなどの男の山野の精や神々そして人間との交渉も神話として伝えられている。エコーすなわち「こだま」もニンフの一つ。

 ギリシャ神話は日本の民俗信仰のように、おどろおどろしいものが感じられず、妙に明るいけれど、ナイアデスをインドから来た弁天様と比べると「詩と音楽を守護し」という特徴は共通するように思われる。

 19世紀後半から20世紀の初めころに活躍したスペインのギタリスト兼作曲家にホセ・フェレールという人がいる。アルハンブラ宮殿の思い出という曲で有名なフランシスコ・ターレガより年長だが、ほぼ同じ時代に活動した。

 このフェレールが書いた曲で「水神の踊り」というものがあって、クラシックギターの名曲の一つとされている。ゆったりとした前奏から始まり、ホ短調の主題から明るいホ長調に転調して、主題に戻って終わるという、中級の易しめの曲ながらドラマチックな構成となっている。

 日本語では通常、「水神の踊り」と称されているけれど原語ではナイアデスの踊りである。どうして、フェレールが水の精霊を曲の題材に取り上げたのかわからなかったのだが、ナイアデスが「詩と音楽を守護する」のならば、なるほどと思った。そう言えば弁天様も琵琶を抱えた姿で知られているわけである。

(2022年4月)

いいなと思ったら応援しよう!