食べ物のブーム
柳田國男の「明治大正史 世相篇」という書物には、われわれにとっては昔の時代の風俗や世相について、様々な視点から記述されている。ふだんの身近な暮らしぶりこそ、意識的に記録を残さないと後世の人にはわからなくなってしまう。その中には「食物の個人自由」という章があって、温かいもの、柔らかいもの、甘い味付けが明治以降の食物の特徴だなどと述べられている。意外だが、そんなものなのだろうか。
さて、われわれの時代、平成になってからの食べ物の流行には、どんなものがあったろうか、と思ってネットで調べると、それをまとめて解説してらっしゃる方がいた。勉強になったのだけれども、ここでは各年の流行り物を抜粋させていただく。ちょっと民俗学のリサーチみたいで面白い。
1989年(平成元年):おとなのふりかけ
1990年(平成2年):ティラミス
1991年(平成3年):クリームブリュレ
1992年(平成4年):タピオカ
1993年(平成5年):ナタデココ
1994年(平成6年):パンナコッタ
1996年(平成8年):スターバックス
1997年(平成9年):ベルギーワッフル
1998年(平成10年):タピオカ
1999年(平成11年):エッグタルト
2001年(平成13年):抹茶
2003年(平成15年):メロンパン
2006年(平成18年):生キャラメル
2008年(平成20年):パンケーキ
2009年(平成21年):ノンアルコールビール
2010年(平成22年):食べるラー油
2012年(平成24年):塩麹
2013年(平成25年):アサイーボウル
2014年(平成26年):熟成肉
2015年(平成27年):スーパーフード
2017年(平成29年):チーズダッカルビ
2018年(平成30年):タピオカ
2019年(平成31年):クリームソーダ
(出所:「平成元年から約30年の間に流行した食べ物一覧」植田 振一郎氏まとめ https://stak.tech/news/10222 )
平成の御代は31年を数えたが、上の植田振一郎氏のまとめによると、その内23の年について、はっきりした流行り物の食品があったことになる。それらの中には、すでに日本人の食生活の中に定着したものがけっこうあるが、反対に、そう言えばあの時はブームになったよな、と懐かしくなるものもある。
これは調べる人によって、何をとりあげるか多少の相違は出てくるだろうが、植田氏のまとめは、なるほどね、と思わせる。この中で面白いと思ったのは、私が上に太字で表記した「タピオカ」である。私はほとんど食べたことがないけれど、これは平成の間に3度(1992年、1998年、2018年)もブームが来たのである。
新しい食品のブームが来ると、ブームが落ち着いた後で食生活に定着するか、一時の流行りでその後は消えていくのが普通だと思われるけれど、タピオカはあまり定着せずに忘れ去られた後で、かなり年月が経過してから、またブームがやって来るというパターンを繰り返した。
今から5年前のブームの時には国分寺駅南口にあったお弁当屋さんが、タピオカの店に変わっていた。弁当屋は繁盛していたのに、どうして?と思った。所用があって毎週、国分寺に行くたびにタピオカの店の前を通ったけれど、いつもガラガラ。ブームに乗り遅れたのと、あそこらへんでタピオカの店を利用したのは下校途中の女子高生くらいしかいなかったのではなかろうか。地域の市場が小さかったのだ。
そのうち、コロナ禍の前に、タピオカの店は某ファーストフードのチェーン店に変わってしまった。次のタピオカブームが来るかどうか知らないが、店のオーナーがブームに乗って一儲けしてやろうと思うたびに店が変わって、働き口がなくなるのは店員・スタッフにとっては大変だな、と同情したことを憶えている。
さて、それにしてもタピオカはどうしてブームを繰り返したのだろうか?それを考えるにあたって、他にも何かブームを繰り返したものはないのだろうか?比較検討する必要はないだろうか?そこで思いついたのだが上の植田氏のまとめでは取り上げられていないけれど、「モツ鍋」であった。
日本でモツが一般に食べられるようになったのは第二次大戦後で、食料不足が背景にあったとされる。各地でいろいろな食べ方が試みられて来た中で、「博多もつ鍋」がバブル景気が弾けた1992年頃にブーム化。そして、90年代半ばには閉店が相次ぎ下火になった。しかし、2006年にもう一度、ブームが来たという経過をたどった。 もつ鍋についても、私はブームを横目に眺めていて、食べたことはないのだが、タピオカともつ鍋のブームについて、整理すると、つぎのようになるらしい。
【タピオカ】
1992年;台湾チェーン店が日本に進出、⽩いタピオカが⼊ったココナッツミルクが流⾏
2008年;台湾ブランドの上陸により黒いタピオカが⼊ったミルクティーが流⾏
2018年;インスタ映え・スイーツの⼈気・⽢くないお茶との相乗効果で流行ったという説がある
【もつ鍋】
1992年;博多のもつ鍋店が東京に出店をした事がきっかけで流行し、若い女性客が(男性以上に)押しかけた。「もつ鍋」が流⾏語⼤賞‧新語部⾨銅賞を受賞
2006年;美容‧健康に良いとしてブームが再燃し女性に人気
調べていて意外だったのは1992年のもつ鍋ブームの時でさえ、オジサンではなくて若い女性たちがブームを牽引していたことである。してみると、食の流行において繰り返された「タピオカ」ブームや「もつ鍋」ブームというのは若い女性が牽引していたことになる。
つまり、今マーケティングの世界で最も重視されているF1層といわれる20〜34歳の女性という消費者層がブームを牽引していたのだろう。この層は流行に敏感で、今のF1層はSNSを通じて最新の情報を発信し共有するとされる。2018年に見られたタピオカの第三次ブームはまさにInstagramによって広まったものらしい。
(注)Instagramに日本語のアカウントが開設されたのは2014年
こうして見ると、それぞれのブームが定着せずに一時のファッションとして廃れていったことも、時が経過して装いが変わったり、新たな訴求ポイントが発見されたことによってブームが再燃したことも不思議ではなくなってくる。
繰り返されたブームの担い手は同じF1層だとはいえ、その都度、新たな世代に交替している。その時、その時の若い女性たちは流行に敏感に反応し、すぐに飽きて見向きもしなくなったけれど、十年も経てばコギャルたちがおねえさんに成長して、なにか面白いものはないの?とアンテナを高くして飛びつくという繰り返しだったのだろう。
タピオカやもつ鍋の他にも、F1層がブームを牽引した食品があったはずである。その内、今も一般の食生活において定着したものがあるとすれば、加齢とともにF1からF2に移行した人たちが自分たちの食生活に取り入れた結果だろう。また、廃れたままのものがあるならば、次代のF1に響くマーケティングが出来なかったのだろう。
それにしても若い女性たちの消費動向によって、駅前近くの弁当屋がタピオカの店に変わったり、それがまた、ファーストフードのチェーン店に変わってしまうのだから恐ろしい。おそらくF1層相手のビジネスで成功するのは早期に参入した人たちだけだろう。後からブームに便乗しようというお金持ちはよくよく覚悟すべきである。