ピアノを再開して気づいたこと
写真以外の好きなものについて書こうと思う。
7年ぶりにピアノを再開した。
つい、上手に引くこと、間違わずに弾くことが優先され、かつての自分のレベルにまで、まだ指が動かない、譜面が早く読めないことに気づき、焦った。
でも、ピアノレベルが劣化しても、昔、弾いていた曲を心を込めて弾いてみたらとても気持ちがよかった。
ピアニストが時々、弾いてるときに「くうううう、きもちいいい!」と目を細め、首を左右に動かしながら、音の海を気持ちよさそうに泳いでいる現象が私にもおきた。
ああ、本当に気持ちよかった。
頭で考えることばかりで、心で感じることをあまりしていなかった。
子どもの頃は、ただ強弱記号の通りに、間違わずに弾くことしかできなかった。「正確に」弾くことのみが自分の音楽を表現するやり方だったし、そもそも、なんとなく習い事って続けるものなのかな?という感じでピアノ教室に通っていた。「1週間後にレッスンがあるから練習しなきゃ」という感じ。
大学生になって電子ピアノを買ってもらったはいいが、ピアノ教室は通えなくなったので、ピアノをやる意味が見いだせなくなった。そしたら、急につまらなくなった。
ところが、社会人となり、学生のように守られた環境でもなくなり、仕事やプライベートでもまれ、悩み、自分に嫌気がさし、変わりたいと願う日が続く。色んな感情がまじりあい、ぐっちゃぐちゃな自分のまま音にぶつかる。すると、ピアノは濁りなく清らかな旋律や和音を紡いでくれる。醜いものが綺麗になる過程を自分で創り出せる不思議さや面白さに、なんだか、救われた。ピアノにありがとうと言いたくなった。こんな気持ち、初めて。
今の私が、ピアノを弾く意味は「ただひたすらに音を感じて気持ちよくなりたい」だ。
もうピアノはやらないだろうな~と思っていたのに、再開するなんて1ミクロンも予想していなかった。
また、ピアノの発表会にも出たい。絶対緊張するけど。でも、聴いてもらえたら嬉しい。もはや、そんな葛藤すら懐かしい感覚。
写真もそうだけど、アートって誰かが見てくれたり、聴いてくれたりする人がいる方が、1人で完結するより楽しいと思うんだ。だから、恥ずかしいと思いつつ発表会に出そうな自分が容易に想像できる。
なんてことない会社員だけど、表現することを続けながらみんなと繋がりたい!アートとともに生きていき、みんなと楽しい時間を過ごしたい。
今日もツェルニー30番で指のリハビリに励む。
今、練習している曲は、7年のブランクがあるくせに鬼レベルの難しさ。
明らかな高望み。
「その曲で音の海を気持ちよく泳ぐには、まだまだ練習が必要だ」
と、鍵盤が不協和音で教えてくれた。
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