邪馬台国の謎 (21)
今回は中国地方の仮説である邪馬台国出雲説を取り上げていきます。
邪馬台国出雲説
古代日本において、出雲の地は外すことのできない重要な土地です。
現在でも、出雲(島根県)では、10月を神在月と呼び、他の地域が神無月と呼んでいるぐらいです。
私の場合、もう結婚しているので、
お仕事の良縁をお願いします。 神様~~~~
さて。蛇足はこのぐらいにして、
この出雲の地は、数多くの神話に彩られた地となります。
国引き
スサノオのヤマタノオロチ退治
オオクニヌシの国づくり
国譲り
等々です。
また、天皇家に匹敵するぐらい長い歴史を持つ家柄の千家家があります。
皇族から千家家へ嫁いだ高円宮典子様のニュースでも取り上げられていましたね。
そんな由緒正しい土地柄なだけに、この地域の歴史は古く、1世紀には大規模集落が出来ていますので、邪馬台国の時代に相応の国があったとしても不思議ではありません。
実際、妻木晩田遺跡では、吉野ケ里遺跡に匹敵するぐらい巨大な楼閣の跡地も見つかっています。
また、荒神谷遺跡では三百本以上の大量の銅剣(他の地域で見つかった銅剣を合計したよりも多い)が見つかっています。
ただ、いずれの遺跡も1世紀後半から3世紀前半までにピークを迎え衰退しているんですね。
この考古学的特徴を踏まえると、卑弥呼が活躍した3世紀中葉や壱与が活躍した3世紀後半との整合性が取れなくなってしまうんですね。
また、当時の稲作技術で収穫可能な耕作地もそれほど多くは無かったようです。
こうしたこと(土地の特徴や遺跡の年代)から、出雲には、確実に巨大文化圏があったと考えられますが、邪馬台国とは時期的にミスマッチするということもあり、邪馬台国出雲説が成立するには、色々と超えていけないといけない課題がありそうだと思われます。
もちろん、まったく可能性がないわけではなく、新たな考古学的発見がないと邪馬台国説で有利になるのが難しいという事です。