今後の進め方
今日は、「邪馬台国の謎」の今後の進め方を示しておきたいと思います。
今までと異なり、この辺りから仮説の成立する可能性がグンと上がっているように感じていることがあります。
まだ取り上げていない説として大きくは、
・四国説(阿波、伊予、土佐等)
・近畿説(畿内説を含む近畿圏・伊勢・丹後・越前・近江等)
・九州説(比定地多数)
以上の3つの地域になります。
私が知っている仮説から知らない仮説まで、まだまだ、たくさんあると思いますが、知らない仮説や詳しくは分からない仮説は、取り上げなかったり、大雑把になるかもしれません。
(その場合、コメント欄でご教示いただければ幸いです)
なにしろ、邪馬台国に関する研究論文や書籍は多すぎて、とてもではないですが全部は掌握できておりませんので。
さて、上記3つの地方について、大雑把にお話をした後、邪馬台国に比定されるべき特徴について、文献的な点と考古学的な点を設定し、今までの仮説と見比べて、
【穴の少ない仮説はどれか? 】
を見ていきたいと思っています。
で、そのあと、私がどこを重視して、ここなんじゃないかな? という論考を進めていき、現時点での邪馬台国比定地を申し述べたいと思います。
所詮は素人の仮説なので、目の肥えた歴史マニアの方にはイマイチと映るかもしれませんが、楽しんで読んでもらえたら嬉しいなと思っています。
ただ、邪馬台国に関する記事にしても、日々の記事にしても、今はかなり厳しい状況で連続投稿を維持している状況です。
・7/2の松賢堂講義準備のため、スライド90頁、AI動画作成に約150時間必要。
・7/7~8のあまがさき産業フェア出展のためのデザイン打合せや展示物準備。
・電力行政の迷走に伴う新電力や関電、日本電気保安協会、その他の業者との打合せや問合せ等々。
ということで、いつも以上に通常の業務にプラスアルファ要因が多いという厄介な状況にあるためです。
邪馬台国の記事が遅いなあと思われる皆様には大変申し訳ないですが、少しずつ歩を進めていきますので、気長にお付き合いただければ幸いです。