受験というできごとを終えて。
ひさしぶりの投稿になりますが、みなさまお元気でお過ごしですか。
わたしにとって特別な出来事があったので書いておこうかなと思い立ちましたので、気が向きましたら、おつき合いいただけると嬉しいです。
高校卒業と共に、”勉強はしない人生を生きる” と決めたわたしが、”受験” を体験しました。
受験を決めてからの試験勉強期間は、それはそれはしんどくて、もがき苦しむ毎日でした。(大げさではなくホントに、このことはまた別の機会に)
そして試験当日。
意外な極度の緊張に戸惑いながら。
試験内容は、私にとってはとても難しく、受からない事はわかっていながら、試験を終えたことの「終わったー!」というようなスッキリ感はなく、なにやらモヤモヤを残したまま帰宅しました。
家に着いたらホッとするのかなと思いきや、何かもたついた、どこかに力が入ったままのような、それが一体何なのかわからないことの苛立ちにような、かなりのモヤモヤを感じながら、夜を過ごしました。
モターっと動きの悪い思考と身体のまま、時間が過ぎ、そうこうしているうちに、試験解答の速報が流れてきたので、とりあえず解答を見てみました。
アレ、あれ、当たってる、え、これも当たってるという場面に直面するたびに、一瞬よぎる「受かっちゃうかも」という浅はかな夢にドキドキしながら…もちろん結果は、届かずでした。
「やっぱりね」
そして、そのまま眠りにつきました。
翌朝、もたつきが残るまま、パートナーとの何気ない会話をし始め、流れで昨日の試験の話にシフトし始めたところから、わたしのお腹の奥から何やら湧き上がってくる感覚をキャッチしました。
「ちょっ、ちょっと泣いてしまうけど、このまま話してもいいかな」とお願いをして、湧き上がってくる感覚に身を置きながら、そのまま声に出してみました。
その声は、ちびけいの声でした。
「受かりたかった」
あー、わたしは受かりたかったんだ、”受けたんだから受かりたい” ただその自然な気持ちを声にしたかったみたいなのです。
だけど、勉強していないし、勉強しないまま受けたんだから受かるはずないし、勉強できないわたしが受かるはずないし、これで受かったら一生懸命勉強してる皆々様に申し訳ないし、受けたくても受けられない方には許されないし、そんなに世の中うまくいかないし、なめんなよと言われるだろうし、などと頭の中を、”受かりたいと思っちゃいけない” 理由でいっぱいにして、自然な欲求や気持ちは感じないように、身体の奥底にクッと力を入れて封じ込めていたんだとわかりました。
わたしの中のちびけいは、”できるできない、やったやらない” なんて知らなくて関係なくて、ただ、したことの成果や達成を感じたかったのではないかしら。
「勉強嫌い」「勉強できない」というのは、そんなふうに決めてわたしを見続ける親の目線。
そんなお家の空気感の中で、ちびけいは、”勉強が嫌いなわたしは勉強してもできないんだ” と強く思い込み、勉強することのワクワク感やドキドキ感は感じないように気持ちにフタをしながら、"勉強嫌いなので" とカッコ良くないハッタリをかまし、それでもそこそこ生きてます的な道?を選択して生きてきたのかもしれません。
「受かりたい」
「トライしたい」
「勉強したい」
自然な気持ち
声に出したら、身体にまとわりついていたモヤモヤがスーッと消えて、力が抜け、思考がクリアになり身体が動き出しました。
受験を決めてから試験当日までの期間、わたしは”自分に向き合う”という時間を過ごしました。
”大事な気づきをもたらした受験” という出来事は、わたしのこの先の人生を、私らしくしたいことをして生きる道に向かう、後押しになった気がしていて、それなら受験して良かったなと思えるのでした。
これが、わたしです。
こんなわたしだからこそ、できることがあると思っていいと、今は思っています。
『未来は過去を変える』
未完成な、多分ずっと未完成のまま…それはある意味ずっと夢を追い続けるという人生を、わたしも生きたいと思っています。
〈red partyよりいただいたgift🎁〉
わたしに声をかけてくれて、会ってくれたり、話してヒントをくれた友だちサマ、刺激と興奮と楽しさを導いてくれたあなたサマ、ありがとう、ありがとうございました͛.*🍃
補足
うしおだけいの思い込み修正と事実を少し
・勉強してなくはないです。
・勉強の仕方や、勉強する時間、楽しみ方、いろいろ工夫してやってみました。
・好きなことの勉強はしていて継続しています。
・”知識はやさしさ” を胸に学び続ける先輩方のようになりたいとほんとうは思っているうしおだけい。
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