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TSMC日本進出の舞台裏

私の故郷・熊本では今、巨大な半導体製造プラントが急ピッチで建設されています。
 
ここに入るのは、世界の半導体の5割以上(先進半導体に至っては9割以上)のシェアを誇る台湾のTSMCと、その子会社でソニーなどが少数株主として参画するJASMです。

熊本県菊陽町に建設中の半導体製造プラント
nikkei.com

東京ドームの4.5倍の敷地にJASM本社、TSMCエ場、管理棟などを建設し、2024年12月から量産を開始する計画です。
 
今後、台湾から320人(と家族300人)が来日するほか、700人を新採用、500人を外部委託とし、ソニーの200人を加えて合計1,700人規模の工場になります。
 
また、工場から10キロほど離れた熊本市北区に従業員と家族のための宅地が確保され、2024年7月の完成に向けて造成が始まっています。

従業員の内訳と熊本市北区の宅地
(熊本日日新聞)

総工費(約8,000億円)の半分を政府が負担し、急ピッチで進められるこの事業の背景には、単に企業の海外進出とか地域活性化といった話では済まない、より大きな経済・安保上の戦略や背景事情がありそうです。
 
今回は、その舞台裏に迫りたいと思います。
 
1 半導体とは何か
半導体とは、その名のとおり中程度の通電性を持ち、条件次第で電気を通したり通さなかったりできる電子パーツです。材料には主にシリコンが使われています。

新電元ホームページ

半導体は、スマホ、パソコン、カメラ、家電製品などの身近な生活分野から、運輸、医療、軍事分野に至るまで、半導体はあらゆるところに存在しており、その先には、メタバース、人工知能(AI)、量子コンピュータなどの近未来技術まで裾野が広がっています。
 
ウェハ (注1) 上に形成する電子回路の線幅がナノ (注2) 単位で微細になるほど、より小型で高性能な製品の生産が可能になります。
 
(注1) 半導体基板や半導体素子の材料となる薄い円盤状の板のこと。一般的なサイズは直径50~300ミリ、厚さ0.2~1.0mm程度
 
(注2) 1ナノは100万分の1ミリ。回路の線幅を示す単位で、微細になるほど小型で高性能な製品を作ることができる

左:ウェハに並ぶ半導体チップ(TSMC)
右:ナノ単位の微細な回線(istock.com)

2 TSMCについて
TSMCは、台湾の新竹に本社を置く世界最大の半導体企業です。
 
創業者は張忠諜(モリス・チャン)氏。1931年に中国に生まれ、共産主義から逃れて香港に移住。その後、1949年に米留してMITなどで学位を取得。1985年に台湾に招へいされ、1987年にTSMCを創業しました。
 
設計部門を切り離し、製造に特化したファウンドリ (注3) というビジネスモデルを考案したことで有名です。
 
(注3) これに対し、工場を持たずに半導体の設計を専門とするビジネスモデルをファブレスという

張忠諜氏と蔡英文総統(Taiwan Today)

2020年には5ナノの量産化に成功し、米インテルを抜いて世界トップに躍り出ました。2022年12月からは世界最高水準となる3ナノの微細な半導体を量産しており、TSMCの製造が滞れば世界500社が影響すると言われています。
 
冒頭で紹介した熊本の工場では、2024年12月から12~28ナノ (注4) の半導体を月55,000枚ペースで生産する計画です。 
 
(注4)  10年前の技術だが、日本はこのレベルの半導体さえも不足している
 
3 TSMC海外進出の背景
TSMCの台湾及び海外での事業展開状況/計画は下図のとおりです。

TSMCの事業展開状況/計画(nikkei.comほか)

(1) 半導体需要の高まり
2019年末からの新型コロナの流行により巣ごもり需要が増加したことで、世界的な半導体不足に拍車がかかり、世界中で半導体の需要(=TSMC事業拡大の必要性)が急速に高まっています。
 
(2) 台湾有事の蓋然性の高まり
2021年3月、デービッドソン前・米インド太平洋軍司令官が「6年以内の台湾有事」に言及した前後から、台湾有事がにわかに現実味を帯びてきました。

TSMCの先進半導体に係る技術が中国共産党の手に落ちれば、経済的・軍事的なパワーバランスにも悪影響を及ぼし兼ねない。
 
一番の根っこにある日米台の懸念はここにあります(先進半導体は「戦略物資」とも呼ばれる所以)。
 
半導体技術が40ナノに留まっている中国としては、既に3ナノに到達しているTSMCの先進技術は「垂涎の的」なのであり、国家安全保障という観点からも、技術・人材を台湾の外に分散させる必要に迫られた訳です。
 
(3) 親米反中への舵切り
2020年5月、TSMCは米アリゾナ州に5ナノのファウンドリを建設する (注5) と発表し、同年9月には中国ファーウェイへの半導体出荷停止を決定しました(結果、同社はスマホ事業から大きく後退)。
 
台湾は、安全保障のために米国の庇護を受け、巨大市場を捨ててでも中国共産党に戦略物資を渡さないと決意した瞬間でした。
 
(注5) 日米は、先進半導体を中国共産党に渡さないという点で利害は一致しているものの、米国は半導体のアジア集中を地政学上のリスクと捉えているため、TSMCの誘致に限って言えばライバル関係にある
 
4 TSMC日本進出の舞台裏
TSMCが海外進出を決めた背景には、このような事情があった訳ですが、技術・人材を分散する上で、地政学的には中国から遠く離れた欧米諸国の方がはるかに安全なはずです。
 
にも関わらず、中国に近い日本に進出する理由は何なのでしょうか。ここからはTSMC日本進出の舞台裏を探ってみたいと思います。
 
(1)
 日本からの熱烈な働きかけ
日本は、かつて半導体製造で世界をリードし、1990年代前後にはNEC、東芝、日立などの日本企業が売上高の上位にランキングされていました。
 
しかし、その後は米国、台湾、韓国などの企業が台頭し、日本の半導体におけるシェアは低下の一途をたどることになりました(現在、日本国内に40ナノ未満の半導体を生産できる工場はない)。

半導体シェアの推移( 総務省ホームページ

この状況を打破するため、日本は2021年6月に「成長戦略」などを閣議決定し、半導体の安定供給という経済安全保障の観点から、先進半導体の製造拠点を日本国内に確保 (注6) する目標を盛り込みました。
 
そして、その年の10月、TSMCの日本進出へと結実したのです(ただ、それ以前から日本政府による熱烈なアプローチはあった)。
 
(注6)  海外企業の誘致とは別に、日本独自の取り組みとして2022年8月に大手8社が共同で北海道千歳市に「ラピダス」を設立。2020年代後半までに国産2ナノの生産技術の確立を目指す 
 
(2) 日本に対する好評価
他のアジア諸国に目を向ければ、東南アジアは中国の洞喝に屈しやすい脆弱さを抱えています。韓国は未だ、中国とつながりの深い北朝鮮と停戦状態にあります。
 
そのような中、日本は中国に屈しない外交姿勢を保ち続け、内政も安定している。技術水準や市場価値も高く、CMOSイメージセンサーで世界一のシェアを誇るソニーなどの安定需要口もあります。
 
そして、何よりも心情的に近しいということが挙げられます。下のグラフからも分かるとおり、多くの台湾人は、私たちの想像以上に旧宗主国でもある日本にシンパシーを感じているのです。

台湾における対日世論調査
日本台湾交流協会

こうした日本の持つ総合力が評価されたと考えられます。
 
参考】 台湾の近代史 
戦前、台湾は1895年から1945年まで日本の統治下にあった。戦後は1912年に大陸で孫文が建国した中華民国に編入されたが、大陸で国共内戦が起こり、これに敗北した国民党は台湾に逃れた(以降、現在の構図に)。その後、共産党は中国本土と台湾は不可分の領土であると主張。1970年代、日本や米国も中国との国交正常化に伴い中華民国と断交し(=台湾を「国」と認めないと決め)た

(3) 最後の決め手は豊富な水資源
何よりも半導体製造に欠かせない条件は、高純度で豊富な水資源が安定的に必要なことですが、世界でも有数の水質を誇る熊本の水資源が最後の決め手となりました。
  
5 「シリコンの盾」は機能するのか
台湾は先進半導体の技術を盾に親米(日)反中に舵を切った訳ですが、この戦略を「シリコンの盾」と呼ぶ人もいます。
 
しかし、これによって本当に中国による台湾侵攻を思い留まらせる事ができるのか。
 
この場合、台湾を力づくで併合しても日米に先端半導体が残るので、中国が先進半導体を独占することは出来ない。そういう点では確かに台湾侵攻へのインセンティブを下げる一定の効果はある
 
しかし、そもそも中国における台湾の位置づけは、どんな代償を払っても確保しなければならない「核心的利益」なのです。
 
とりわけ、毛沢東超えを目指す習近平にはあまり時間が残されていません。
 
習近平の3期目の任期は2027年までで、その年は人民解放軍創建100周年の節目の年でもある。
 
それまでに中国統一を果たした偉大な指導者としてのレガシーを作ることが彼の悲願なのであり、それを叶える人民解放軍は着実に能力を高めつつあります。
 
中台パワーバランスをみれば、その差は歴然で、巷で噂される日米への技術分散による「侵攻抑止」とか「保険」とか、それで中国が台湾侵攻を思い留まるほど甘くはないと思います(そのことは、台湾自身がよく分かっているはず)。

中台軍事バランス 2022(statista.com

6 TSMC日本進出の真の舞台裏
では、シリコンの盾が目的ではないとするならば、そこにはどのような裏事情があるのだろうか。それは恐らく、
 
先進半導体に係る技術供与の見返りとして、日本は亡国の民となるかもしれない台湾人の受け皿になることを期待されている。
 
ということです。私は、このことがTSMC日本進出の真の舞台裏なのではないかと考えています。
 
おわりに  美しい故郷・熊本を守りたい
 
先ず、誤解してはならないのは、TSMCは中国共産党の手先などではないということ。そして、万一、台湾が中国に併合されたとしても、簡単に中国共産党の手に落ちる訳でもないということです。
 

だから、日本と地元・熊本はTSMCを暖かく迎えて欲しいと思います。彼らと先進半導体は、必ず日本や地元・熊本に多大な恩恵をもたらすことと思います。
 
他方で、彼らの技術は中国共産党にとり垂涎の的なのであり、中国によるTSMC及び関連企業に対するサイバー攻撃情報搾取は、更に活発化することになります。
 
また、TSMCに不随して流入するであろう大陸からの産業スパイ不穏分子にも警戒が必要です(我々には、大陸人と台湾人の見分けがつかない)。
 
そして、本当に台湾有事になれば、日本にシンパシーを感じる多くの台湾人が救いを求めて日本に押し寄せる事態となります。そうなったとき、難民認定率が僅か0.7%の現行の難民政策のままで、果たして大丈夫でしょうか?

TSMC特需に期待を膨らませる組織・企業は、このようなリスクについても予め認知するとともに、ともすればリスクをチャンスに変えるたくましさを腹案として持っておく必要があるのかもしれません。
 
また、警察・入管・自衛隊などの公安系の組織は、想像力を最大限に働かせて、(中国の野心に対し)性悪説に基づき想定外を想定しておくことが今、一番必要なことではないかと思います。

阿蘇五岳を望む(Photo by ISSA)

次回は、組織・企業などのリスク・マネジメントの参考となるよう、台湾有事の兆候を知る上での注目点などについてお話できればと考えています。