日本の難民政策の在り方について考える
本日(4月5日)、岸田総理の特使としてポーランドを訪問していた林外相は、日本への避難を希望するウクライナ避難民20人を政府専用機 B777-300ERの予備機の方に乗せて日本に帰国しました。
避難民のうち5人は、日本に親族・縁者がいない人で、身寄りのない人の受け入れは今回が初めてとなります。
人数は少ないものの、これまで国際社会でも難民政策については極めて消極的と言われ続けてきた日本としては「異例の対応だ」として評価する声が上がっています。
1 ウクライナ避難民の状況
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、2月24日のロシアの侵攻開始以来、4月2日までに自宅を離れて避難を強いられた人が1,000万人に上っています(参考:ウクライナの総人口は4,413万人)。
そのうち、国外に逃れたウクライナ人は413万人に上り、半数以上の240万人が隣国のポーランドに逃れました。
また、国際連合児童基金(UNICEF)は、250万人の子どもがウクライナ国内で、200万人以上の子どもがウクライナ国外で避難生活を強いられており、いずれも人身売買の危機に晒されていると警鐘を鳴らしています。
2 難民や避難民などの違い
国際移住機関(IOM)によれば、「移民」(Immigrants)とは、移動の自発性や理由、滞在期間に関わらず「本来の居住地を離れて国境を越えて移動したあらゆる人々」のことを指します。
この中で「迫害を逃れるため」などの理由で、国境を越えて移動した人々を国際社会では「難民」(Refugees)(注1) と呼んでいます(つまり、難民は移民の一部)。
(注1) 第2次世界大戦後、国際社会は1948年に「世界人権宣言」を採択。その後、1951年に締結された「難民の地位に関する条約」(難民条約)で「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に、迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有する国籍国の外にいる者で、その国籍国の保護を受けることができない、またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」を難民と定義。なお、紛争などによって住み家を追われたが国境を越えずに避難生活を送っている人々を「国内避難民」(IDPs:Internally Displaced Persons)という
政府はウクライナから逃れた人々を「難民」と呼ばずに「避難民」(Evacuees)という言葉で明確に使い分けています。
この「避難民」については明確な定義はありませんが、難民としての認定基準を満たしているかどうか、現時点では判断がつかないため、暫定的に「避難民」という言葉を使っているのです。
ただ、UNHCRでは、難民条約には明記されていない「国籍国での武力紛争や人権侵害などから逃れて他国に庇護を求める人々」も難民と定義しており、難民条約創設時の理念にも照らし合わせれば、ウクライナ避難民は、実態としては難民といっても過言ではないと思います。
3 世界の難民政策
2020年末の世界の難民数は約8,240万人(およそ100人に1人が難民)で、うち85%は開発途上国で避難生活を送っています。
難民への支援の多くはUNHCRを通して行われ、その活動資金は各国の政府が拠出しています。日本はアメリカ、EU、ドイツ、スウェーデンに次ぐ第5位の資金拠出国となっています。
下のグラフは、2021年における国別の難民受入数を表したものです。トルコ、コロンビア、パキスタン、ウガンダは、それぞれの隣国から多くの難民が流入した経緯からかなりの人数になっていますが、隣国からの流入はないドイツは、国策としてこれだけ多くの難民を受け入れています。
また、次のグラフは、2020年における国別の年間難民認定数を表したものですが、ドイツの年間難民認定数は63,456人(認定率:41.7%)と、群を抜いています。
ドイツは、日本と同じ第2次世界大戦の敗戦国として再出発して以降、2000 年に血統主義の一部変更して条件付きで生地主義を導入し、2015年に中東地域で難民が大量に発生したときは90万人もの難民を受け入れる等、難民政策を柔軟に変えてきたという点で日本とは対照的といえます(ドイツ社会には、第2次世界大戦でナチス・ドイツが行ったユダヤ人迫害への痛切な反省から、人道支援は積極的に行おうという思いがあるという)。
4 難民受け入れへの転換点
こうした中、日本も遅ればせながら難民政策における大きなターニング・ポイントを迎えています。日本は国連に多額の資金を拠出する一方、長らく難民の受け入れには極めて消極的でした。
上のグラフのとおり、2020年の日本の年間難民認定数は、3,936人の申請者のうち、わずか47人(認定率:0.5%)に留まっています。
日本が難民認定や受け入れに慎重な理由は、恐らく、単一民族の血統主義国であることや、隣国から難民が流入した歴史を持たない島国であったこと、文化風習が良くも悪くも国際社会と違いすぎること等が挙げられると思います。
しかし、今回のウクライナ情勢を受けて、政府や国民は一気にウクライナ避難民受け入れの方向に舵を切っているように見受けられます。
3月下旬の日経新聞による世論調査では、国民のおよそ9割がウクライナからの避難民の受け入れに賛成しています。
政府は、3月2日に岸田総理がウクライナからの避難民受け入れを表明して以降、4月2日までに393人のウクライナ人が日本に入国しています。
また、外務省は在ポーランド日本大使館にて「ウクライナ避難民支援チーム」を創設して、日本への渡航支援とニーズの調査に着手したほか、法務省管轄下の出入国在留管理庁は、日本での受け入れを検討している自治体や企業・団体等に情報共有を呼び掛けるなど、ウクライナ避難民の受け入れに向けて動き出しています。
また、政府は今後、身元保証人が居なくても特例で入国を認めることや、就労や医療保険の適用も可能な在留資格「特定活動」への変更も円滑に行えるようにするとしています。
5 日本の難民政策と課題
今般のウクライナ避難民受け入れを一時的な特例措置で終わらせるのではなく、日本の難民政策の転換につなげることが重要なのですが、課題は山積しています。
(1) 渡航費の不足
世界には「経済力が低い人ほど避難が難しい」という現状があります。つまり、安全な国に渡航したくても渡航費が足りないために、困難から抜け出すことができないという問題です。
ですから、先ずもってこういう人たちに焦点を当てて渡航費を手当する必要があります。渡航費の拠出が難しいようであれば、日本に向かう公用/商用便の余席を利用するなど、せめて手段だけでも提供することはできるのではないかと思います。
(2) 難民認定という狭き門
仮に、日本に渡航できたとしても、出人国在留管理庁による難民認定という狭き門が待ち構えています。申請結果が出るまで平均2年以上、人によっては10年以上かかる場合もあるようです。
ただ、「在外勤務で学んだこと(第2回)」でもお話しましたが、査証や在留資格に携わる者は、日本の安全のために「悪意ある渡航者をふるいにかける」という職務を遂行してくれています。
難民についても、日本国内でテロや犯罪に手を染める「偽装難民」を見抜く必要があるからこそ、厳しい審査を行っているのです。
査証官を経験した者としては、申請人に「疑いの目を持ち」つつ、他方で「人道上の温かい目を向ける」のは、なかなか至難の業だといえます。
しかし、同庁は門戸を開いて、制度改革と職員の意識改革に取り組まなければならないと思います。
平素は日本の安全を最優先に厳しく審査しつつ、人道上の危機に際してはそれまでの審査基準を脇に追いやってでも、出来るだけ多くの受難者を日本に迎え入れられるような柔軟性が、これからの官庁や職員に求められる資質になっていくのではないかと思います。
(3) 着地点をどこに見据えるか
難民は、いずれかのタイミングで母国に帰国するか、日本に定住/永住又は帰化するか、第3国に移住するかのいずれかになると思われます。
しかし、避難民の受け入れに本腰を入れ始めたばかりであり、政府としてどこを着地点として難民政策を進めていくのかが、現段階では見えていません。
(4) 日本の受け入れ環境
そして、最も大事なことですが、国民の理解や支援が必要不可欠です。
日本での受け入れ環境(在留資格、居住場所、生活費、就労、就学、医療、保険、言葉の壁(注2) など)を如何に整えられるかが成否の鍵となります。
(注2) 警察庁の調査によれば、全国で400人を超えるロシア語通訳のうち、ウクライナ語を話せる通訳は約20人だった
難民が増え過ぎると治安が悪くなる、働き口が奪われる、税金が遣われ過ぎる、日本古来の文化・風習が脅かされる、身近な生活で面倒が増える等の懸念もあると思いますが、難民を一か所に集めるのではなく国内で分散させ、自治体や企業、団体等が積極的に関わる枠組みを作ることで、このような懸念はある程度は解消できると思います。
更に、より大きな観点でみれば、難民を日本で育み親日家を増やし、国際社会での日本の評価が上がれば、日本の商品、日本への観光、日本企業の海外誘致などに追い風となり、それが国民生活に還元されると思います。
難民が日本で働きやすい環境を整えることで、日本の国内総生産(GDP)が増加するという試算もあるようです。
また、危機管理の観点からも、万一、近い将来に日本周辺で同様な事態が生起した際に、どのように難民を受け入れたらよいのか、そのノウハウを積んでおくことも決して無駄にはならないと思います。
林外相は「日本も可能な限りウクライナ避難民を受け入れていく」と言っています。第2、第3のウクライナ避難民が入国し増えていくことは間違いない情勢です。
着地点を「日本への定住/永住又は帰化」に定めるのも国家戦略としては有りだと思います。こうした難民たちが日本に定着していけば、日本の少子化からくる働き手不足の緩和にもつながるかもしれません。
(5) 一人一人の意識改革
私たちは、気づいているか、気づいていないか分かりませんが、「何故、ウクライナだけは特別扱いしたくなるのか」という点にも目を向けなければなりません。
世界に目を向ければ、ソマリア、南スーダン、シリア、アフガニスタン、ミャンマー等、ほかにも多くの難民を抱えている国が幾つもあります。人道支援において国籍・民族などで「線引き」するのは、厳密にいえば「偽善」ということになります。
知らず知らずのうちに「線引き」をしてしまっている自分自身に先ず気づく。その上で、行き場を失い絶望の淵に立たされている人々に国籍も人種も関係ない、という境地に至ることが大切です。
難民に関する本質的な問題は、私たち一人一人の「意識」にあるのかもしれません。
【私たちにできること】
● 難民に関心を持ち、理解する
● SNSで発信する
● SNS等で直接的/間接的に励ます
● 支援団体等に募金する
● ボランティア活動に携わる
(6) 自衛隊機の派遣
今回、林大臣はポーランドへの外遊先からの帰路において、政府専用機という名の自衛隊機の余席にウクライナ避難民を乗せました。
しかし、2回目以降は、たびたび大臣等が外遊する訳にはいきません。かといって、商用便をチャーターすると多額の経費が必要になります。
そこで、自衛隊機を輸送に使ってはどうかという選択肢が浮かび上がるのですが、自国民保護と直結した「邦人輸送」という名目が立てば自衛隊機を海外に派遣することは可能ですが、輸送対象が外国人のみの場合は法的根拠がありません。
ですので、自衛隊機で避難民を輸送するという道筋を確保することも国会などで検討する余地があると思います。
余談ですが、アフガニスタンのときは政府の決断は遅きに失したと言わざるを得ません。この時、現地人の扱いについてもクローズアップされ、冷遇に処したことを批判されています。
特に、何十年にもわたり日本大使館やJICA、その他の日系組織・団体等で働いてきたアフガニスタン人の多くは、各種要件が障壁となって日本への渡航が実現せず、今もなお、タリバンの支配下で不遇の生活を余儀なくされています。
おわりに
日本人のDNAには、本来、驚くべきほどの「ホスピタリティ」が備わっています。
1890年、和歌山の潮岬沖で嵐に見舞われ座礁したトルコ海軍の軍艦「エルトゥールル号」の乗組員を献身的に救助した地域の日本人たち。
彼らは、トルコの言葉や文化・風習が全く分からなくても、村中の者が私財を投げ売って献身的に救護しました。
その後、人道支援は、思わぬところで開花し、1985年のイラン・イラク戦争で行き場を失った日本人にトルコが救援機を差し向けたという逸話はあまりにも有名です。
また、行き場を失ったユダヤ難民に、本省の命に背いてでも人道上の見地から査証を発給し続けた杉原千畝。イスラエルでは、今もなお、偉大な日本人の名は語り継がれています。
こうした人道支援こそが「真の国益」につながるのではないでしょうか。
今後、多くの難民を受け入れたとしても心配は無用です。「日本の心髄について語る」の3部作でも述べましたが、日本人は決して閉鎖的な民族ではなく、元々、多様な神々を受け入れられる懐の深さが備わっています。
私達は遥か神代の国からの末裔であるという「正しい歴史観」と、多様で寛容な社会を支えてきた「和の精神」、そして幾多の危機を乗り越えてきた「天皇との関係性」さえ崩壊しなければ、日本は日本であり続けることができるのです。
ですから、私たち日本人は躊躇することなく、行き場を失い絶望の淵に立たされている人々に救いの手を差し伸べて、「人として正しい道を迷わず突き進めばいい」のだと思います。