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燎原烈火と闘った「空の消防士」たち

香川県丸亀市。

この夏、龍馬ゆかりの地を訪れ
香川にも足を伸ばしたとき

ふと目にしたこの地名から
林野火災と闘った
夏の日のことを思い出していた ・・・

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20年以上前の話になるが
西日本に所在する
とある飛行隊で勤務していた

大小720の島々が織りなす瀬戸内海
外洋に比べて波が穏かである一方

高低差のある潮の満ち引きが
村上一族という屈強な水軍を
創り出した場所でもある

その中ほどには
「神の島」と呼ばれる大三島があり
海の安全を守る神として
古来より信仰を集めてきた

そのような、美しい島々を
伝いながら飛行することに
喜びを感じていたあの頃 ・・・

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瀬戸大橋のすぐ近くにある
人口700人ほど(当時)の
丸亀市本島(ほんじま)(注)
大規模な林野火災が発生した

(注) 戦国時代に塩飽(しわく)水軍の拠点となった島で、江戸末期には勝海舟の依頼で「咸臨丸」の乗員の多くを輩出した。

1960年代には、岡山-香川を結ぶ中継拠点として約2,000人が居住していたが、瀬戸大橋開通後は急激に人口が減り、今では僅か200人が暮らす島になっている。

特に離島では
地上から消防隊が山に入るのは
容易なことではない

自治体から、自衛隊や消防など
出来るだけ多くの飛行隊に
空中消火活動に加わるよう
要請がなされた

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上空から現場に着くと
島のあちこちから
大きな煙が立ち昇っていた ・・・

火災現場となった本島上空にて
遠くに瀬戸大橋が見える

陸自、海自、消防、報道など
多方面から押し寄せたヘリが
何十機も飛び交っている

油断すると
接触事故も起こり兼ねない ・・・
また、蜘蛛の巣のように
見えにくい送電線の存在も
気になるところだ

そのうち、空域を統制する
陸自のオスカー(OH-6)から
無線機を通じて
当機の担当エリアが指定された

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我が飛行隊では
空中消火に出動する際には
バンビ・バケットを使っていた

1,500リットルの水を取水し
運搬することができる

陸自のハンター(UH-1)は
地上での給水が必要だが

バンビ・バケットなら
場所を選ばず
自由に取水することができる

ただし、殆どの離島には
河川や湖沼やダムがないので
消火には海水を使うことになる

自治体からは
山間部以外に海水を撒いてくれるな
との通達がなされていた

田畑や文化財がダメになる
というのが主な理由だった

したがって
飛行経路の選定には慎重を期した

通常、中~大型のヘリコプターには
カーゴスリングと呼ばれるフックが
機体下面に装備されていて
重量物を吊り下げて
飛行することができる

カーゴスリング・オペレーションでは
吊下物が振れ回らないように
細心の操作が必要となる

最も気を遣うのは
放水地点への最終進入

火災現場の上空では
白煙による視程障害
火炎による乱気流
気温上昇による飛行性能低下など
様々な危険要因に見舞われる

バケットの状態をモニターしつつ
送電線、エンジン出力、ニアミス等
に注意しながらクルーを指揮し

両手両足と指先・口先を操るという
高度なマルチタスク能力が求められる

火災現場に近づくと
辺りに白煙が立ちこめ
乱気流で機体がガタガタと音を立て
揺さぶられる

皆が手に汗を握る瞬間だ

後部キャビン区画に乗務する
クルーが放水の操作を行う

「放水ヨーイ・・・テーッ!」

火炎の真上から
1,500リットルの海水を浴びせかける

一瞬、火勢が衰えたように見えるが
油断はできない

赤外線カメラに目を向けると
山肌には未だ幾つもの熱源が
くっきりと浮かび上がっている

赤外線カメラによる熱源のイメージ

先述のとおり
日本の少子化の波は
離島から始まっていた

島の労働力が減少すると
山の手入れが行き届かなくなる

そうなると山間の枯れ葉は
年々、堆積を繰り返し
ひとたび火事が起これば
大規模な山火事へと発展し易くなる

だから空中からの放水で
一見、火が消えたように見えても
分厚い堆肥の奥底で火種が燻り続け

強風に晒されて再燃を繰り返す

離島の林野火災が厄介なのは
この辺りにも原因があるのだ

「一雨、降ってくれたら助かるのだが」
そう考えていたら

「もう一度、トライしましょう!」
クルーからそう進言された

ふと横を見ると
広島消防のドーファン(AS365)が
谷間で燻る火炎と格闘している

また、別の場所では
陸自のキャリアー(CH-47)も
風に晒され易い尾根づたいの火災に
苦戦を強いられていた ・・・

いつも海を避けたがる陸の連中が
懸命に海水の運搬を繰り返している

「俺らも負けてらんねぇ!」

そう言って、機体を反転させ
山の斜面を駆け下り、再び海に出る

そしてまた海水を汲み上げて
山肌に沿って駆け上がっていく ・・・

酷暑期でもあり、背中は
汗でびっしょりになっていた

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結局、この日は
奮闘努力の甲斐もなく
火勢を制圧することが出来なかった

日没とともに、各方面から集まった
空の消防士(Aerial Fire Fighters)
三々五々、帰路についた

ミッションが終わると
みんな憔悴した様子だった ・・・

翌日も、頼みの綱の雨は降らなかった

悪戦苦闘が続く中、3日目になると
「いっそ、山ごと燃やしてしまえ」
そんな声も囁かれた ・・・

一度のフライトで放水出来るのは
せいぜい30回くらいだろうか

一番の問題は「塩害」である

取水時のホバリングで巻き上がる
海水飛沫は相当なものだ

コンプレッサー・タービンに
塩分の付着が積み重なると
ジェット・エンジンの出力低下
招く恐れがあった

基地に戻るたびに、整備員が
機体のメンテナンスを
入念に行ってくれていたが

様々なリスクを考慮した結果
飛行隊による空中消火活動は
最大5日が限度と判断された

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それでも、この5日間は
毎日、現場に出動し
私達のチームだけでも
放水量は合計180トンに達した

恐らく別のフライト・クルーや
他の飛行隊でもそうだが
一度の林野火災で
これほどの放水量は前列がなかった

最終的に鎮火宣言がなされたのは
発災から2週間後のことであった

島の総面積の約4分の1
東京ドーム34個分に当たる
160 haが焼失し、12名が負傷した

☟ 本島町林野火災の細部はこちら

いつの日か、地上から
この島を訪れてみたいと思う ・・・

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昨年4月、沖縄県宮古島沖で
陸自のUH-60JAが墜落し
乗員10名が犠牲となった

その年の11月
今度は鹿児島県屋久島沖で
米空軍のオスプレイが墜落し
乗員8名が犠牲となった

今年は、羽田空港での
海保機とJAL機の衝突事故で幕を開け

その後、海自でも
訓練中だった2機のSH-60Kが墜落し

かつての同僚を失った  ・・・

相次ぐ事故で亡くなられた
全ての空の勇士たち
心から哀悼の意を表します

来年は、公のために
過酷なミッションに挑み続ける
名もなきヒーロー達にとり
事故のない安全な1年であって欲しい
そう願って止みません🍀