
田中穂積と九十九島の「美しき天然」
佐世保シリーズ第2弾は、旧海軍のある軍楽師と九十九島のご紹介です。
田中 穂積(たなか ほづみ)は、山口県岩国市出身の作曲家で、大日本帝国海軍の軍人です。
1855年に吉川藩士、田中判右衛門の次男として誕生しました。
岩国出身ということで、錦帯橋に近い吉香神社の前には田中穂積の胸像があり、近づくとスピーカーから「美しき天然」(後述)のメロディーが流れるようになっています。

(Photo by ISSA)
田中穂積の足跡
田中穂積は、1873年に大日本帝国海軍に入隊して軍楽隊(注1) に配属され、1890年に軍楽師の准士官、1895年に大本営付となり明治天皇の側近として奉仕しました。
(注1) 軍属の音楽隊のことで、閲兵式などのパレードや栄誉礼など公式行事における儀典用音楽のほか、将兵の慰安や士気昂揚のための音楽と、ジャンルは多岐にわたる。軍楽隊の起源は古く、古代ローマ時代から存在していたといわれている
1899年、佐世保鎮守府に赴任し、三代目の軍楽長として勤務する傍ら、
1902年には成徳高等女学校の前身であった私立佐世保女学校で、音楽指導も行っていました。
九十九島の風景をこよなく愛していた田中穂積は、国文学者で歌人・作詞家であった武島羽衣が1900年に発表した詩に島々のイメージを重ね合わせ、
日本初のワルツ(注2) である「美しき天然」を作曲し、女学校の音楽教材としました。
(注2) ワルツは、18世紀後半にドイツ舞曲から発展し愛好された舞曲で、語源はドイツ語の "waltzen"(回転)に由来する。3拍子のリズムが特徴で、指揮者は筆記体の「L」を描くように指揮棒を振る
ワルツといえば、シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」などの軽快なテンポの曲が多いようですが、この曲はどちらかと言えば、ややスローテンポな印象です。
1904年、長崎県佐世保市にて死去。享年49歳でした(当時の日本人の平均寿命は40歳前後)。
その亡骸は、佐世保市の東山海軍墓地に眠っています。

《佐世保・東山海軍墓地》
(Photo by ISSA)
死後、譜面が出版され、大正~昭和期には、サーカスやチンドン屋などの客の呼び込みで演奏する曲として全国に広まったそうです。
2005年、佐世保で生まれた「美しき天然」を歴史遺産にしたいと願う、先述の成徳高等女学校の同窓会などによって、
美しき天然・田中穂積顕彰碑が、九十九島を望む「展海峰」の展望台に建立されました。

銅像からL字を描く様が想起される
(Photo by ISSA)
旧海軍と海上自衛隊では、よく軍艦マーチ(注3) が使われてきましたが、原曲は田中穂積が手がけたものといわれています。
(注3) 1900年に「軍艦行進曲」として誕生し、民間も含め広く演奏されるようになったのは1910年から。戦前は海軍の行進曲、戦後は海上自衛隊の儀礼曲のひとつに制定され、進水式や出港式典などで奏楽されているほか、観閲行進曲として奏楽されている
九十九島遊覧船に乗る
先述のとおり、九十九島をこよなく愛していた田中穂積は、島々の風景をイメージしながら「美しき天然」を作曲したといわれています。
そこで、実際に九十九島を巡ってみることにしました。
佐世保市街地から少し西に行くと九十九島パールシーリゾートがあり、そこから九十九島を1時間弱で巡る遊覧船に乗ることが出来ます。

《九十九島遊覧船ホームページ》
こちらの2隻が、その遊覧船になります。

《九十九島パールシーリゾート》
(Photo by ISSA)
船内は豪華客船のようでしたが、天気も良くてむしろ島々の方を見たかったので、素通りして見晴らしの良い甲板に上がりました。

マストからの眺望は格別
(Photo by ISSA)
九十九島は、複雑に入り組んだリアス海岸と大小多数の島々からなる長崎の景勝地です。
実際の島数は「99」ではなくて、「208」の島々(注4) から成ります(「九十九」という言葉には、「数えきれないほど沢山」という意味がある)。

(Photo by ISSA)
(注4) 都道府県別の島数ランキングは次のとおりで、
第1位 長崎県:1,479島
第2位 北海道:1,472島
第3位 鹿児島県:1,256島
九十九島に加えて、壱岐、対馬、五島列島など、沢山の離島を抱える長崎県が、日本の総島数の1割を占める
この辺りは、昔から真珠の養殖で有名で、1979年に開設したTASAKIの真珠養殖場(注5) がありました。

右下は、TASAKIの真珠養殖場
(Photo by ISSA)
(注5) 真珠の養殖は、1913年に高島末五郎翁が九十九島で始めたことが発端となって長崎全域に広がり、品質・生産量ともに有数の真珠の特産地となった
帰路、久しぶりに「九十九島せんペい」を買って食べてみました。昔から変わらぬ味で、シンプルに美味かったです。

九十九島せんぺい
(Photo by ISSA)
犬・猫好きの私としては、こちらの福山雅治とのコラボ商品も気になりましたが…😅

(Photo by ISSA)
近くの石岳展望台からの景色は、2003年公開の映画「ラストサムライ」の冒頭シーンにも使われたそうです。

《石岳展望台》
(Photo by ISSA)
おわりに
船上と展望台、
双方からみた美しい島々。
これらの景色は、
確かに田中穂積が見たであろう
「美しき天然」そのものでした。
海洋大国ニッポンーーー。
この国を取り巻く
美しい海洋と島々は、
日本人の優れた感性や創造力の
源泉だったのかもしれません🍀

(Photo by ISSA)