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悲しいときに「悲しい」と言えますか
私はハッピーでラッキーな物語よりもむしろ静かで、むなしさを感じる話が好きだ。
なぜだか分からないが、そういう話を味わっていると心が落ち着く。
「私は悲しい。なぐさめておくれ」と言える、強い人に会いたい。
ソフト悲劇
「風の歌を聴け」とか「言の葉の庭」が好きだ。むなしい雰囲気が全体的に流れていて、なぜかその世界を味わっていると心が落ち着く。
ほかにも「まほろ駅前多田便利軒」とか、「愛してると言ってくれ」とか、こう"むなしい系"の作品はいくらでもある...ソフト悲劇とでもいうジャンルが。
ここで私が好きなのは、たぶん登場人物が「悲しみを表に出さない」ところだと思う。
少ないながらこういう話がどの時代にも残っているということは、それだけこういった表現が好きな人が居るからに違いない。
悲しいときに「悲しい」と言えますか
表に出したらええやん、と言う人もいるかもしれない。でも実際の生活で「私は悲しい。誰かなぐさめておくれ」と言えるほど心の強い人は、ほとんどいない。(そういう人がいるなら会ってみたい)
私は心理学に詳しくない。けれど、たぶん沢山のアーティストたちが「私は悲しい。なぐさめておくれ」という意味のメッセージを絵や音楽、詩や小説に変えてきたはずだ。
直接言えないからである。
大人になったら泣かなくなる?
小さい子供なら、悲しいと思ったらそのまま表現する。泣くこともあるし、叫ぶこともある。
だいたい中学生くらいから、悲しみを表に出すことは恥とされるような気がする。でもこの時代ほど悲しいシーズンもそう無いけどね。すぐ泣くことは幼稚だと見なされる。
大人になるとあまり泣かないようになる......というのは嘘だ。私の知る限り、大人はたいてい「泣く場をセッティング」する。
それは映画館かもしれないし、居酒屋かもしれない。
期待と不安
年を取るにつれ悲しみを主張しなくなる理由は何だろう?
それは、きっと裏切りへの恐怖であると私は考える。つまり、他人に悲しみを伝えたうえで無視されるか、期待はずれのリアクションをされることが怖いのだ。
子供が親に対して悲しみをアピールするときは、そのような不安もない。親は期待通りのリアクションを必ずしてくれるからだ。
他人の悲しみをケアしよう
じゃあ、もし他人が「悲しい」と直接的にアピールしてきたら、どうしたらいいだろう?
やっぱり、なぐさめるのが絶対いい。
相手が強い人や偉い人でも、悲しいな、と伝えられたなら、その人をなぐさめるために出来ることをやりたい。
「甘えるな」みたいなリアクションはきついし、「甘えるな」っていうのは怠惰な人に言うべきであって、悲しい人に言ってはいけないとも思う。