サッカーを教えるってどういうことか。
私が小さい頃。サッカーについて詳しく教えてくれる大人は存在しなかった。
少なくとも私の周りには。
子どもがサッカーを始めたことをきっかけに、グラウンドにでるようになって、おこがましくも、そこではコーチなどと呼ばれている。
そんな私のサッカーの原点を考えてみようと思う。
まず、はじめに私はサッカーが大好きだ。サッカーはやるのも、見るのも好きだ。もっと言えば、サッカーが好きな人のことも好きだし、サッカー漫画やサッカー雑誌、サッカー選手もサッカーボールも、グラウンドも大好きだ。
だけど、プロサッカー選手でもなければ、サッカーに関する仕事をしているわけでもない。サッカーの理論や戦術に詳しいわけでもない。
ただのサッカー好きなおじさんだ。
そのサッカー好きのおじさんは、繰り返しになるがまともにサッカーを教わったことがない。なぜならば、そういう環境に無かったし、そんな時代だった。
誤解のないように言っておくと、サッカーを専門的に教えれる人がその時代にまったくいなかったわけではない。少なくとも私の周りにはいなかった。ということだ。もちろん、当時からクラブチームのようなものはあったし、名門のチームもあったと思うけど、身近なものではなかった。簡単に通えるようなところには無かったし、当時の私はそんなものをのぞんでもいなかった。
今のように映像も簡単には見れなかったし、Jリーグもない時代だった。映像でスーパープレーを見る機会は少なく、見れるとすれば、高校サッカーを見に行くくらい。
それなのに、サッカーが好きで仕方がない子どもが出来上がった。それが私だ。充分だった。充分楽しいと感じていた。
これは純粋なる競技の面白さに惹かれたことによると思う。
ボールを蹴っ飛ばした時の飛んでいくボールの感じとか、ゴールに入った時の高揚感。リードしたまま試合終了を迎えた時の安堵感とか、仲間とすごす感じとか。これはサッカーのレベルの問題とは関係なく、競技者みんなに平等に訪れる喜びの瞬間だと思っている。
だから、私はサッカーが大好きなんだけど、もっと高いレベルでやりたいとか、サッカーの強豪高にいきたいとか、プロ選手になりたいとか。そんなふうに思ってサッカーをしたことがない。もちろんそんなレベルにないから当然なんだけど。
ただね。
どんなカテゴリーでも、試合はあるし、勝ちを目指して走るし、シュートを打つ。もちろん負ければ悔しいし、勝てば嬉しい。小学校から始まって、中学、高校、社会人と。平凡なチームにしか所属したことはないけど、そこでレギュラー争いをして、試合にでて、活躍したりしなかったり。勝ったり負けたり、ゴールを決めたり外したり。
強豪校を目指したり、プロを目指したりしてないって言ったってサッカーが上手くなりたいという気持ちがないわけではないし、野心が全くないわけでもない。その置かれた環境の中で目一杯サッカーを楽しんでいたと思うし、今もサッカー上手になりたいという気持ちはある。
そんな私が今、ひょんなことからグラウンドで子ども達にサッカーを教えている。
「サッカーを教えている」と改めていうと不思議な感じがする。というか、おこがましい。
それはなぜか。
そこに葛藤のようなものがある理由は、サッカーが大好きなくせに、きちっと教わった事が、ほとんどないからだ。
ここに来て初めてサッカー好きおじさんが、思った事がひとつ。
満足だったと感じていた少年時代の僕だけど、もし、だれかにサッカーの原理、原則。正しいボールの蹴り方。守備のやり方。そういったサッカーにおける常識のようなものを教えてもらっていたらなと、今になって思わないでもないという事だ。いや、正直なところ、もともとうすうす思ってたと思う。誰か正しいサッカー教えてって。キックのフォーム。胸トラップ。ヘディング。リフティング。
感覚や見よう見まねでやってきたからね。チームにいるうまいやつや、対戦相手みて。
サッカーにおける理論や戦術は時代と共に変化するし、簡単に理解できるものではないし、それを手に入れたとしても、伝える難しさだってある。
そういった後ろ盾みたいなものが、なんにもないからね。
コーチってどうすりゃいいんだ?って思う部分が正直あります。
いま、純粋に思えばね。すごい楽しいと思っていたサッカーだったけど、子供の頃にもし、もし身近にサッカーの事よく知ってるおじさんがいてくれたらなって。
思わないわけでもないな。と今感じでいるという事です。
それならばそのおじさんに自分がなりたいな。って。今グラウンドにいる子ども達にとって、身近にいるサッカーのこと知ってるおじさんになりたい。
これが、私の当面のコーチ像としての形かな?と思っています。
今は探せば、お金だして高いレベルのサッカーを教えてくれるところがたくさんあります。
ただ、僕のように地域でやっているサッカーチームもたくさんあります。そういった地域のクラブは子ども達が、気軽に始めれるサッカーの環境と言っていいでしょう。そこで教えるコーチはお父さんコーチが多いかもしれません。
そんなお父さんコーチのひとりが私なわけですが、サッカーの楽しさを少しでも伝えたいっていう気持ちはみんな同じようにもってるんじゃないかなって思います。その身近なコーチは専門家とはいえないまでも、サッカーの事をよく知っているおじさんでなくてはならないと、そう思うようになったのです。
ただ。
サッカーが好きで、続けてきたって事以外になんの後ろ盾もない私は、少しでも何か頼りになるものはないかと、考えたのが、JFAお勧めのいちばん簡単なD級コーチの講習会でした。
正直ですね。これあったくらいでコーチとしてどうのこうのってことではないんですよ。ただ、少しでも勉強になればなと思って。サッカーの理論たどかのレベルは、やっぱりたくさん勉強しないと身につくものではないと思ってますし、2日間の講習で何者かにかわるというわけでもありません。
D級コーチはどっちかというとそのきっかけくらいの始めの一歩くらい。それでもほんとにいい経験というか、似た境遇の人に出会えるという意味でも価値のある講習会だと思いました。
技術力とかそんな大層なものではなく、日本サッカーのグラスルーツ。何か共有の哲学のようなものを認識できただけでも良かったなと思ってます。
そこでも教わりましたが、教える側の立場の人が学ぶことを止めてはいけないという事ですね。
サッカーってこんなにやったりみたりしてきたのに、まだまだ発見もあるし、知らない事もたくさんある。
子ども達にとってのサッカーの存在が、今はどんなものかはわからないけど、どんなカテゴリーで競技を続けるにしろ、サッカーを嫌いになってしまう事だけは嫌だなって思う。できれば、自分と同じように、いつまでもこの競技を好きでいてほしいし、レベルは関係なく続けて欲しいなって思います。仮に怪我で競技の継続が難しいものになってしまったとしても、なんらかの形でサッカーと関わりたいって思うくらいサッカーを愛してくれたら嬉しいなって思います。
それを伝えることができるようになったら、コーチ成功だって言えるかもしれませんね。
自分にとって、やる。みる。に加えて、教えるというサッカーの新時代。子ども達と一緒にサッカー可能性をもっともっと感じて行きたいと思うこの頃です。
「サッカーを教える」って漠然としていてよくわからないけれど、楽しいってことを少しでも多く共有できたらいいなと思います。
グラウンドで、あのころの自分を探して、少しだけかもしれないけど、サッカーの事教えてあげようと思います。