
「差別」を助長してるのは誰?飲食店の「外国人お断り」へのよしなしごと
訪日外国人によるいわゆるインバウンド需要が持て囃される中、例えば、新宿ゴールデン街の小さな酒場のように、小規模経営の飲食店においては、「外国人お断り」などを明記する店も出ている。
先日も、京都の飲食店で「この日本語が読める方はご入店ください」という日本語を読めない外国人を事実上断る貼り紙の対応が、ネット上のニュースとしてあがっていた。
このような飲食店の対応には、「外国人差別だ」という指摘も少なくない。
例えば、沖縄県那覇市では、居酒屋の「ジャパニーズオンリー」という貼り紙を市民グループが見つけて自治体の観光局に通報し、自治体が居酒屋に是正を求める例もあった。
日本国憲法なり人種差別撤廃条約なりを持ち出すまでもなく、そもそもの意識として、人種や国籍などで人を差別はすべきでないことは、誰しも頭ではわかっていると思う。
もちろん、ガッチガチに差別的な思想を持ちその思想に従って店をやってる人もいないわけではないにせよ、そういうのは極々の例外だろう。
そもそも、飲食店だって本来はお客様に来て欲しいわけだし、外国人だろうが何だろうがもらうお金は一緒だ。売上が立つに越したことは無い。それでもなお飲食店が「外国人お断り」とするのは、店側の差別意識というより、別の理由、もっと言えば経営上の理由があると想像した方がいいと思う。
だいたい、契約の自由というか経済的自由というかはあれど、店が人を選ぶ自由はあるはずだ。
例えば、ドレスコード然り、会員制然り。来店した客を出入り禁止にしたっていい。それらは違法ではないし、差別ではない。ドレスコードを服装に関する差別だなどとは言わないだろう。
また、サービスを提供できない顧客や、他の客への迷惑になるマナー違反のある顧客は断っても構わないはずだ。また、他の客への迷惑ではないにしろ、その顧客への対応で他の客へのサービスが提供できなくなるような場合も、断らざるを得ないだろう。
例えば、英語を話せない店員がワンオペの、カウンター8席しかない小さな酒場に外国人客が6人で来るとする。
まず英語での意思疎通ができないし、チャージや現金決済のみなど、店のシステムや値段もきちんと理解してもらえるかわからない。しかも酒場だけに酔っている。会計時のトラブルのリスクが上がる上に、外国人観光客では日本国内での身元も無く、トラブル時の対応コストは跳ね上がる。
また、8席しかない酒場で6席1団体で埋められたら、その店を定期的に使ってくれる客が入るのは、難しくなるかもしれない。
加えて、当該外国人客への接客で慣れない英語や翻訳アプリのやり取りでリソースが大きくとられれば、他の日本人客への接客が疎かになり、常連あるいは今後常連になるかもしれない客を失うリスクすらある。
これだけで、外国人を断りたい理由として、数えで満貫くらいにはなるだろう。「外国人お断り」という言い方もあれど、少なくとも、入店に当たり日本の公用語である「日本語が理解できること」などを求めることが、不当な差別であるとは、個人的には思えない。来店時の人数を限ることも、店の規模からしたら当然と言える。
このように、具体的な状況にもよるが、店としては外国人だろうが何だろうが売上は欲しい一方、トラブルを回避し、店の売上を末永く維持していくためにも、外国人を断らざるを得ないケースはあると考えられる。
つまり、「外国人お断り」の多くは、外国人への蔑視や偏見に基づくものというより、むしろ、
・外国語による意思疎通の不具合
・異なる商慣習によるトラブルのリスク
・他の顧客への接客リソースの逼迫
等、店の追加コストや追加リソースという経営上の事情であり、経済的な理由のはずである。その場合、たとえ入店を望んだ外国人客が不愉快を感じたとしても不合理な差別とは言えず、民事上の不法行為は成立しないことの方が多いだろう。
もちろん、外国人顧客に楽しんでもらいつつ、トラブルを予防する意味で、店側もより準備しておくことも大切ではある。「外国人お断り」という言い方にも改善の余地はある。店のサービスやシステムなどを英語で簡単に記したボードを用意しておくなども考えられる。
とはいえ、それらすら、基本的には店の経営判断の範疇に入るものではないかとは思ってしまうんである。
以上を踏まえつつ、飲食店の「外国人差別」批判に対して個人的に懸念する点が一つある。
「外国人お断り」は、このような店の経営上の事情や経済的な理由であることが多いも関わらず、知ってか知らずか、それが店側の人間の差別意識や偏見に基づく不合理な差別ではないかとして、論点のズレた批判が見受けられることである。
その店の営業状況をわからない第三者が、表面的な「外国人お断り」の表明だけを見て外国人「差別」のレッテルを貼る記事や報道こそが、国内はもちろん、外国の方々の間にもあらぬ誤解を生み、飲食店の方々の営業努力を踏みにじり、むしろ外国人への「差別」を助長しているかのように見える。
要は、実のところ、「差別反対」の声高な主張が、実態を見誤り、あるいは意図的に見誤らせ、「偏見」と「差別」を振りまいているのではないか。
飲食店の「外国人差別」の解消のために、あるいは、外国人も楽しめる環境を醸成するために、インフルエンサーやオピニオンリーダーやジャーナリストの方々にはすべきことがあると思う。
それは、「外国人お断り」を表明する飲食店に「差別主義」のレッテルを貼って吊るし上げ溜飲を下げることではなく、日本語や日本の飲食店の商慣習について、外国あるいは外国の方々に丁寧に発信することであるはずだ。
それこそ、英語でだって、
When in Rome, do as the Romans do
というではないか。外国の方々にそれができないとは、とても思えないのである。
【参考】
ちなみに裁判では、飲食店に限らないが、国籍を理由に顧客を拒否した店舗の対応を違法とした例はある。(「東京高判平成17・3・31判例集未登載」「静岡地浜松支判平成11・10・12判夕1045号216頁」など)
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