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【エッセイ】戦国の悲劇とイカ焼きの甘醤油が織りなす、新年のひととき

中央道下り方面に愛車タントカスタムRSを走らす。
以前はトヨタのシエンタに乗っていたが、娘が中高一貫校に合格したことを機に節税対策で乗り換えた。
元々最近のハイテクな軽自動車には興味があったので一石二鳥だ。
私は車自体に興味はそれほどだが、カーステレオで音楽を流しながらドライブすることが大好きだ。
いつも音楽をかけながら、妻と教育論や子育てを振り返る話題に華が咲く。
出発する時、空には分厚い雲がかかり、その暗雲にため息が出る。私がいつも行動する時は決まって天気が悪いからだ。しかし、山梨県にはいる頃には晴れやかな空が顔を出したので一安心した。その頃、スマホを繋いだカーステレオからは、Apple Musicで選択したVaundyのセンスよいリズムにのせた棒読み気味の乾いた歌声が流れていた。
ドライブの楽しみの一つは、サービスエリアでの食事だ。私は故郷が神戸ということもあって、毎年年末年始は車で東京から移動する。その際、途中色々なサービスエリアに止まってその地方の特色を楽しむ。
今回の目的地は甲府なので、主なSAは談合坂しかない。ここは食事のレパートリーが乏しく、そういう意味で面白みに欠ける。屋台を楽しむため、ここでは普通の醤油ラーメンで渋々手を打つ。
今年は神戸に帰郷する事なく、年老いた両親を逆に東京へ招いたので、初ドライブがこの初詣になった。いつも初詣は神戸の生田神社に参拝する。藤原紀香と陣内智則の結婚式で”縁起悪い神社”となってしまったところだ。しかし今年の年始は東京にいたので、初詣をどこに行こうかという話になった。娘が中高一貫校に入学以来、土曜日も学校があるので家族で出かける機会が激減した。この年末年始は珍しく日取りが合い、時間に余裕もあった。そこで、思い切って都心ではなく、反対の山梨県へ足を伸ばすことにした。そして、地方の名のある神社へ初詣する事にした。それは、いにしえより伝わる伝統行事の雰囲気を味わいたいと思ったからだ。

薄暗い夜に屋台の裸電球の光が食べ歩く楽しげな人影をぼんやりと映し出す。その屋台の軒並みの間を和服を着た女性が行き交う祭りの賑わい風景、そして祭囃子に獅子舞がリズムよく跳ね回る……。
そんな雰囲気に囲まれてながら、大好きなベビーカステラを頬張って歩く……。

そんなことを想像しながら武田神社へ向けて車を走らせる。
カースピーカーからCreepy NutsのBling-Bang-Bang-bornの曲がビートを打つ。そのせいか、ややアクセスを強く踏み込みながら走らせている。
武田神社への初詣を決めたのは、山梨県の初詣ランキングで2位だったことが大きい。正月3日までに10万人が訪れるということと、大河ドラマ『武田信玄』も好きだったこともあって歴史ある神社だという“思い込み”もあってそこへ決めた。
武田神社への続く武田通りに差し掛かると途端に渋滞に巻き込まれ、ノロノロ徐行状態。ただ、参拝者のための小学校や中学校を無料で開放して駐車させてくれるのは好印象。
都心だとこうはいかない。
高額の駐車料金を搾り取られるところだ。
徐行でノロノロ走っていると既に参拝を終えた人たちが帰っていくのが車から見える。
それらを見て、————うん?思わず眉を寄せる。
誰も何も持っていない。屋台で買った何かを食べ歩きしている人がいない。
「あれ?もしかして屋台出てないの?」と不安がよぎる。
想像していた初詣風景がガラガラと崩れ落ちていく。
車を無料駐車場にとめて、武田神社に向かう。
次第に視界に入ってきて、さらに当初の想像が音を立てて崩れていく。
武田神社は入場規制していた。
実際、武田神社は参拝のみでしかも入場規制により整備される。
参拝客が出口へはけてから次の客を流し込むという流れ作業状態になっていて味気ない。しかも和服で着飾った人は皆無。
どうやら正月3日は遅すぎたようだ。

文字通り、参拝のみを目的とする初詣となってしまった。
武田神社の正面門から本堂まで直線で規制ゲートで分断されており、見える限りでは屋台はなさそうでここまでドライブした甲斐がなく、気持ちは沈む。
それならそうと、せめて参拝は思いっきり元取ろうと鼻息が荒くなる。
賽銭は一家の大黒柱ということで五十円。他家族は十円。それに見合わないほどの量の願をかける。おそらく、御神体の武田信玄もと苦笑いだろう。
参拝を終えて出口へ向かうと、死角でわからなかったようで、念願の屋台が見えた。
急にテンションが上がる。
最初に目についたのは八ヶ岳珈琲の旗。
顎ひげを蓄えた優しそうな笑顔のおじさんがコーヒーミルに小さなスプーンで豆を入れる。ガリガリガリと心地よい音が響く。ドリッパーの中にセットしたフィルターへ、挽きたてのコーヒー粉をふんわりと落とす。そしてポットで円を描くように熱湯を注ぐとふんわりとコーヒーの香りが広がる。
思わず頬が緩む。
たとえ、客を待たせても急ぐそぶりを見せないところがおじさんのこだわりを感じる。
そんな”美味しそうな仕草”に誘われて私も並んで一杯四百円払う。
ようやく手にした時、冷え切った手に暖かさがじんわりと伝わり、コーヒーの香りが心地よい。
期待していた獅子舞や、祭囃子など地方の正月を楽しむことはできなかったが、この一杯で結構満足できた。

武田神社は実は、躑躅ヶ崎館跡に大正8年に建立された比較的新しい神社ということがわかった。
躑躅ヶ崎館は天正十年、本能寺の変が起こる3ヶ月前に信長がおこなった甲州征伐中に焼失する。これによって栄華を誇った名門武田家は躑躅ヶ崎館から直線距離で三十キロ離れている天目山で切腹して滅亡する。
その後武田神社として復興するまで躑躅ヶ崎館跡として放置されていたらしい。
それでも、木々に囲まれた権現造りの本殿の風景は荘厳な雰囲気がある。またその木々が甲州市の住宅風景から隔離させ、武田神社の境内はまるで戦国時代にタイムスリップしたようだ。私は、そんな躑躅ヶ崎館跡をを見渡しながら、武田家がたどった悲劇の終焉に思いを馳せる。

清和源氏の一流である甲斐源氏を祖とし、平安時代後期に成立して以来、五百年の栄華が業火によって躅ヶ崎館と共に崩れ落ちる。————織田信長の軍勢が取り囲む中、女子供が泣き叫び、断末魔がこだまする。そして武田の家人は落武者となって山中を彷徨う。最後は天目山で刺し違えて大地を武田家の血で染めた……。

「美味しいよ!パパも食べる?」
武田家滅亡の悲劇に黄昏ていた私だが、娘の弾ける声に我に帰る。
珈琲を飲みながら、私が脳内タイムスリップしていた傍で、妻や娘はそんなことなどつゆ知らず、いつの間にか屋台で買ってきた広島焼きやイカ焼きを頬張りながら、美味に舌鼓を打って満面の笑みを浮かべている。
「ちょっとイカ焼きの醤油、こぼさないでよ、ちょっと」
イカを頬張る娘へ妻の心配性が顔をのぞく。
武田神社は、かつて武田家が壮大な歴史の中で輝きを放ち、そして滅んでいったこの場所。そんな儚さを思うと、家族とのこの時間がいかにかけがえのないものか、改めて感じる。歴史は過去の記憶に刻まれるが、こうして家族と過ごす何気ない瞬間は、今この瞬間の私たちの記憶となる。そんな何気ない時間がなんとなく心和む。

イカ焼きの”最後の一切れ”を娘から横取りして口に入れると、甘醤油の香りが口の中いっぱいに広がり、イタズラ心の成熟に笑みが溢れる。
「こりゃあ、うまいわ」
”侵略すること火の如く”と謳った武田信玄も笑みを浮かべているに違いない。


新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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