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ヨルシカの『都落ち』。ヨルシカでしかあり得ないと感じさせる一曲。歌詞に日本語の余白と美を感じるけれど、上辺だけの美しさでは決してない。語尾に「〜だね、〜だぜ」ときて、生きてると実感。唯一無二のヨルシカ節。
考えることが好きだからこそ
何も考えない、余白の時間も大好き
【散文詩】その牙城を崩すのは
砂で固めたその城は泪でできている
嘘か真か
水の架け橋が砂を固化し
結晶化した塩分が構造を安定化させるという
ざらざらとした砂壁にもたれかかると
ぽたりと、一滴の泪
あっという間に床の上に染み込む
滲んだしみが物悲しさを誘う
淋しいけれど此処は、快適な我が家
辞書をめくるように、
思い出の写真を見返すように、、、
他人と揉めないコミュニケーションは、一見関係を悪化させないように見えて、実はなんの解決にもならない。人に責任をなすりつける人は、「私は悪くないですよ、悪いのはこの人たちです」を自然と会話に含む。それが暗に見えて辟易する。
やりきった!のあとは
変化するか惰性で続けるかの二択しかない
迷っても結局、「なんの為?」
あのね、他人の為に生きてない
ただし、人を蹴落とすことにも興味ない
なんだよ、権力闘争って
派閥とかアホくさい
堂島さんの『君の髪がなびくのを見ている』を聴いて、ある絵画を思い出した
標題の楽曲は『A.C.E.2』というアルバムに収録されている。今から10年以上前に発表された曲なのに、恐らく20年後に聴いても今と同じ懐かしさと温かさを感じる一曲。堂島さんの楽曲はそういう曲が多いけれど、とりわけこの曲は普遍的なメロディーが印象的。
この曲を聴いて思い浮かべたのが、ある有名な絵画。それは、モネが最初の妻カミーユを描いたと言われている『散歩、日傘をさす女性』。
カミーユは32歳の
しあわせのちくせき
いつか群馬にあるゲルニカ、見に行くんや。
以前「本当の私は」と何かの拍子に書いた時「でた、本当の私(笑)」みたいな揚げ足取りをされたことがある。好きに言葉を吐いてるんだから放っといてーと思ってたら、後日その本人が、「本当の私」使ってた。真摯に受け止める批判とどうでもいい批判は自分の中で仕分けたい。
お山の大将と裸の王様にはなりたくない。
私は頭が良い人にときめいてしまう傾向にあるが、おバカな振りができる人も頭が良い人だと思ってる。それが、面白い人が好きな理由かも。自信ないから、謙虚だからではなく、フリだけはカッコ悪いもん。それならおバカさんだと思われたい。カッコよくいる為の美学か。
ほやほやのホヤ
やっほ!