24-73. 子育てのうまみはずっと後にやってくる
日曜日の夕方、赤ちゃんは旦那さんに任せて、長女と2人きりでお惣菜を買いに出た。
なかなか2人きりになれることもないので
繋いだ手をブンブン振って歩いた。
夏の終わりの夕暮れ時は涼しく、空は水分を多く含んでピンク色に染まっていた。
「綺麗だね〜」
「もう空気が秋だね〜」
「パンも買っちゃおうか!」
パン屋さんにも寄り道して、
「パパに何を買おうか?」
「どうせメロンパンでしょ」と長女。
もう7歳半だもん、大きくなったな。
好きな人は4人いるらしい。
毎日がなんとなく過ぎていく。
今日は赤ちゃんごきげんだった。
今日は赤ちゃんグズグズだった。
1日の終わりにはそんな感想しか出てこない。
粒度を上げて可愛さ満点の子どもを記憶しておくには、脳内メモリーがあまりにも少ない。
腰が痛い。
帝王切開の傷が抱っこ紐に擦れて腫れてる。
そんなことまで拾ってしまうので
あまり何も考えずにぼーっと生きていたら
noteも書けないでいる。
いろんなことをキャッチできないと
文章は書けないんだなって
当たり前のことをぼーっと思う。
行くところはスーパー①か、スーパー②か、ドラッグストアか、たまに遠出したくなればショッピングモール。
児童館に足を伸ばすことが億劫になってしまった。
あんなに人と話したかったけど、今はけっこう大丈夫になってきて、1日誰とも喋ってないこともざら。
その代わり、独り言はプロフェッショナルになってきた。
「あら!こんなところに赤ちゃんが落ちてるわ!」
「立派な鼻くそやねぇ〜!」
喃語で訴えられたら
「そうなん、そうなん、いろいろあるよね〜」
と相槌を打つ。
ギャン泣きでつらいときこそ
「だいすきよ〜だいすきよ〜」と繰り返す。
赤ちゃんのアテレコも上手になり、長女のツボに入ってバカウケ。
ガッツポーズ。
そんな変わり映えしない明日がくることを、宇多田さんも願って歌っていたっけ。
虎に翼を遅ればせながら見始めた。
寅ちゃん、妊娠したら夢を諦めなければいけなくなった。あれだけ頑張ってきたのに。
子どもを産む人は、なぜ子どもを産みたいと思ったのだろう。
と、今朝モーニングページに書いていた。
今の時代、子どもは産んでも産まなくてもいい。
私だって第二子を産んだあと、あまりにも育児がつらすぎて、何度「逃げたい」「やめたい」と思ったか。
だけど、長女を産んで7年半。もし私がこの子を産んでいなかったら?この子を産んだからこそ、成長させてもらった。それを書き出していたらあまりにも得られたものが多くて、逆に面食らった。
『産んで良かった』
そう心から思えるのは、きっとあとの話だ。
今はしんどくても、きっと報われるときがくる。
子どもが何かをしてくれるからというわけではない。
子どもの存在と、この修行のような日々がわたしに与えてくれるものはあまりにも大きい。
それに気づくのは、またあとのお楽しみ。