24-10. 光はいつも見過ごしがちなところにある
「よっ」と大きな変化がやってくることがある。
大きい石をテコで持ち上げているようなそんなとき、自分の気持ちの細部に目が届きづらい。余裕がないのだ。
こうして定期的に文章を書いていると、「あれ?書けないな」っていうことがある。
noteを書くときはできるだけ物事を細分化して、起きたことや、それに対する自分なりの考え、感情の変化を、ほんとにほんとに0.1ミリ単位で書いていく。
そのほうがわたしという人間をより深く知れるし、知ってもらえるからだ。
でもそれを言語化するためには、言わずもがな0.1ミリの自分の感情に気づく必要がある。
だけど、自分の中にスペースがなければ、そこに気づくことはできない。
必要なスペースは人によって違うと思うけど、わたしはちょっと退屈かな…って思うくらいの日々だと、noteが書きやすくなるみたい。
時間はみんな平等で一定だというけれど、自分のなかで流れる時間の速度は、そのときどきの自分によって変わる。
焦ってるときは早いし、ドンと構えてるときはゆっくり流れている。
自分の心に余裕があって、感情の変化に気づきやすいときに、小さな幸せを感じられる。
「ずっとやりたかったことをやりなさい」で、著者のジュリア=キャメロンも書いているが、わたしたちは細部をみることで癒される。
日常のなかの些細なことに光を見られる人はしあわせだ。
しあわせはいつも小さなところにそっと隠れていて、大切なことはいつだって見過ごされやすい。
大きく変化するときもあるんだけど、そのなかでもスペースを持って進んでいけたらいいなって思う。これは修行みたいなものかも。どんなときもゆったり構えられるようになりたい。
いつも自分の中にスペースをつくるために、わたしは毎朝モーニング・ページを書き、瞑想をしているのだとおもう。
見過ごしがちな小さな光に気づくために。