戸隠神社「火之御子社」
早朝の中社参拝を済ませ、これで前日に参拝した奥社、九頭龍社の三社参拝を終えました。
次は中社大鳥居から県道36号線沿いに下って、四社目になる「火之御子社」に向かいます。
早朝の県道36号線。
本来は参拝客や車が多く賑わいのある光景が広がるのだろう。
コロナ禍にあって今はそうした賑わいもなく、道路沿いの宿坊も活気がない。
鳥居から2分程下った左の「親鸞聖人御旧跡」
親鸞聖人が戸隠を訪れた際、ここ行勝院(現武井旅館)に百日程滞在したという。
院内にある親鸞堂には明治まで行勝院の本尊だった釈迦如来像や親鸞聖人の木像、その他の寺宝などが安置されている。
「戸隠三千坊」と呼ばれ、数多くの坊が立ち並び繁栄した「戸隠山勧修院顕光寺」も、神仏分離、廃仏毀釈以降姿を変え、それまで寺が守り続けた多くの仏像はこうした形で守り継がれています。
中社から徒歩10分、某蕎麦屋の駐車場脇に丁石を見かける。
これは五丁石。
この五丁石から県道36号線(戸隠道)を更に5分程下っていき、アルピコ交通の駐車場を過ぎた先にヘアピンカーブが現れます。
その右側に火之御子社へ続く細い人道と看板があるので、それに従い下っていきます。
上は県道から分かれ、数分下った先にある「西行桜」、そこから下ってきた道を眺めています。
正面に見える高い擁壁が県道。
西行桜、種類はオオヤマザクラらしい。
この樹には西行法師にまつわる逸話があるようで、ここまで訪れた西行法師は火之御子社から戸隠山を遥拝し引き返したそうだ。
その傍らで自生するグミ。
色合いが鮮やかで見るからに美味しそう。
子供の頃、自然からの恵みとして口にしたものです。
人工色素、香料、甘味料にどっぷり染まった今ではそれ程美味しいものではない。
西行桜から先が火之御子社境内。
ここから一旦左側に進み県道沿いの鳥居に向かいます。
火之御子社鳥居。
県道のヘアピンカーブを下るとここに至り、鳥居左に数台分の駐車場もありました。
鳥居から正面の石段を上れば拝殿。
「火之御子社」由緒
「創建 承徳2年(1098)、御祭神 主祭神 天鈿女命、配祀 高皇産霊命、栲幡千々姫命 、天忍穂耳命。
由緒 社伝によれば「天岩戸前にて天鈿女命神楽を舞う」とある。
戸隠が神仏習合の時代にあっても終始神社としての姿を保ってきた。
古来より舞楽芸能の神、縁結びの神として尊崇され、その道を志す人達の信仰が篤い。
境内には有名な西行桜がある。
祭日 例祭8月18日」
石段を上り火之御子社境内全景の眺め。
右に西行桜、正面が社殿、左の石垣に手水鉢があり、社殿の後方から左にかけて杉の古木が密生しています。
手水鉢。
龍が注ぐ清水は再び山に戻り、それをまた龍が注ぐ。
社殿。
素木の入母屋妻入で内削ぎの千木が施され、屋根は鋼板が葺かれている。
高欄付きの縁が付きますが外周を囲むものではなく両側面の中ほどで途切れています。
杜に溶け込んだ素朴な佇まいは戸隠神社にあって神仏分離以前から神社として今に続いています。
創建は由緒にあった承徳2年(1098)、彼是1000年の歴史を持つ。
現在の社殿は1884年(明治17)に建て替えられ、1994年(平成6)に屋根や基礎部分に補修の手が入れられたもの。
外観と調和したシックな扁額は「火之御子神社」とある。
あの札はどうやって貼っていくのかな。
竿で貼るにしても器用にはれるものだ、千社札を見るといつも思う。
社殿内、祭神は主祭神・天鈿女命、配祀・高皇産霊命、栲幡千々姫命 、天忍穂耳命を祀る。
天鈿女命は天の岩屋に引き籠ってしまった天照大神を誘い出すため岩戸の前で舞を披露した神様。
本殿左の結びの杉。
夫婦杉とも呼ばれ、中社の三本杉も見事ですが、優劣つけがたい見事な姿。
ねじれる様に上に伸びる二本の杉、地表に現れた根張りなど人の及ばない自然の力に溢れている。
その前には注連縄が巻かれた石標と石の祠が祀られています。
祠の詳細は分かりませんが、こうした自然の力を魅せつけられると、人はそこに何かの存在を感じるものだと思います。
火之御子社は神職不在です。
御朱印は中社かこれから向かう宝光社で頂くことになります。
これで戸隠五社巡りも四社の参拝を終えました。
夫婦杉から左に続く神道を歩いて宝光社に向かいます。
宝光社までは神道を歩いて行きましたが、こんな表示がいっぱい出てきます、熊除け鈴と足ごしらえは入念に。
「火之御子社」
創建 / 1098年(承徳2)
御祭神 / 主祭神 天鈿女命
配祀 / 高皇産霊命、栲幡千々姫命 、天忍穂耳命
所在地 / 長野県長野市戸隠中社2412
中社から所要時間・歩行ルート / 県道36号線を概ね20分程下る
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