フェミ二スト・#KuToo・石川優実氏などを巡る雑感


今回はタイトルのようにただの雑感です。ご興味ない方はそのまま御退出いただく等、その旨ご留意を。


このnote始めたきっかけも、私のnote一覧を見て貰えばわかるように、#KuToo/石川優実さんの話題を書くことでした。一年くらい前以前には、「Twitterにはツイフェミというのがいてこの人たちが非常に鬱陶しい」というような様子は知ってました。それ以前から、というかずいぶん昔から田嶋陽子先生のTVでの気のキツさや、「女性の権利ガー」のような話は、あまり関わりたくない感じで、田嶋先生には面白い・興味深いところもあったんですけどその程度の関心しかありませんでした。ともかく、私には関係ないやーみたいな。それがまぁ、宇崎ちゃん、いやおそらくキズナアイくらいからだと思うけど興味を持つようになって、私の悪い癖で一旦興味を持ち始めると、気になって思考が止まらなくなってしまったわけですね。


ネットフェミニズムについて。


第三波がどうの、ラディカル・フェミニスト、リベラル・フェミニストがどうの、ジェンダーがどうの、よく知りません。ほんの少しかな、図書館で本読んだり、ネットで軽く調べたり程度のことはしましたが、申し訳ないけど、学者先生は非常に参考にはなりますし、理解の助けにもなっていますが、実情にはあまり関係なさそうに思ってます。リアルは何かというと、女性差別の撤廃だったり、男女同権だったり、性犯罪被害の話だったり、女性への認識や表象といったものにまつわる問題、そうした諸々の問題について様々な議論や活動が行われている、ということだったりします。一言で言えば「女性をめぐる問題一般を扱う」ことがフェミニズムの中心課題であり、その中心課題を主たる土俵にして女性側からの意見を言う人がフェミニスト、なのかなと思っています。私的にはその程度、ざっくりした感じでいいのかなと。

だってね、わけわかんないんですよ。言ってることが微妙に違うのに、そういうことお構いなしに連帯・共感しあったり、フェミニストと名乗りつつ、敵対する人がいてたり、フェミニストと名乗らないのにフェミニスト的な考え方をする人がいたり、論理的な整合性をとれないんですね。これがネトウヨなら遥かにわかりやすい。反日を嫌い、韓国を嫌い、中国を嫌い、パヨクを嫌う、みたいな。でもフェミニストはよくわかりません。左派的ではあるけど、別に左派的主張をしまくる訳でもない。これまた人によって温度差もある。だから「私はフェミニストだ」と言えばもうその人はフェミニストであると、どんな主張をしていようとも。そう考えざるを得ません。

とはいえ代表的なイメージはあります。すぐ怒る(笑)。代表なので全員ではないけれど、とにかく「怒る」。ていうかすぐ切れる。例えば、「専業主婦は楽だ」なんて言おうものなら即座にぶっ叩かれます。この辺がよく分からないところで、女性の自立を目指すのがフェミニズムの目的の一つなのに、専業主婦をそのように言うと攻撃を受ける。最初は「?」でした。2ちゃんねる創業者のひろゆき氏がこれでぶっ叩かれてましたね。要するに、女性を見下げたような発言にはその対象が誰であろうとも我慢ならないようです。AV女優や風俗嬢でもそうですし、キャバクラ嬢もそうですし、まぁいちいち例示しなくても全部ですね。ともかく女性を馬鹿にされるのを極端に嫌がって、強烈な女性の権利主張を行う。ここまでくるとツイフェミと呼ぶのかもしれませんけど、とにかくめっちゃ怒ります。そんな感じの人が目立つという話ですよ。

で、偏見を持たれることを極端に嫌がり、ジェンダーバイアス眼鏡かけてこっち見んな!って感じです。外野から勝手に定義されたくないらしい。これ、言っておきますが特徴であって悪口ではありません。権利主張が目的でもあるし、被差別意識が前提なので、シュプレヒコールあげるが如く、個人的に示威行為を続けていると見なすことができます。#MeTooやフラワーデモなども社会に訴えるという意味で示威行為ですし。特徴としては大体そんなところかな、と。

「私たちは被害者」。そうした目立つ一部の人達はこれが非常に強い。国際女性デーで、マスコミ人が「性別に関係なく」だなんて意見を言うもんだから、「国際女性デーは被害者たる女性の日だ!」「被害者が何故、被害者でない人たちと連帯しなくちゃならないんだ!」のようにブチ切れてました。一部の人ですよ、繰り返しますが。「被害者」と言う言葉は出てきてはいませんでしたが、そう当て嵌めざるを得ません。私自身は被害者主張であるならば、それは疑問です。社会全体が、男女不平等になっているのを是正しようというのが本来のフェミニズムの意図するところであった筈であり、そのための権利主張なのであって、性別関係なく公平にしましょう、というのが主旨のはずです。後述する#KuTooも労働環境で同じように働くのだから、女性も男性のような吐きやすい革靴を選択させて下さい、というだけだった筈。不公平だったという意味では女性は被害者ですが、それは不均衡だったという意味での被害者であり、男性が女性を貶めている訳ではないのです。社会構造がそうさせている。だから、#KuTooは目的を達成したならば、被害者だった人は被害者でなくなる。しかし、一部フェミニストはずーっと被害者のままなのです。そこを根城にしてしまっている。それは違うように思いますけどね。

で、その怒りっぽいフェミ側の人を数名、怒らせてしまいブロックされました(笑)。立場は変えることはあっても、私はできるだけ真ん中にいたい人なのです。中立とは言わん。ただ、どっちの味方でもあれば、どっちの敵でもある。真ん中が必ず正しい訳でもないことも知ってます。私は幼い頃に「相手のことも考えろ!」と親からしょっちゅう怒られていたので、勝手にそうなってしまっただけです。ともかく、怒りっぽい一部のフェミニストさんはめっちゃ沸騰するのが早く、意見交換する隙すら与えてはくれません。反論された=即時敵認定=ブロックです(笑)。一緒くたにしてはいけませんけど、色んなクラスタの中でこれほど怒りっぽいクラスタは見当たりません。一部の人ですよ。フェミニストさんには色んな人がいっぱいいますのでその辺誤解なさらぬよう。


#KuToo


これなんですけど、当初は労働環境のみの改善を目指していたようなので、労働問題として取り扱うべきであり、女性差別問題として取り扱うのは反対であるという人たちとは、離反しています。その時期はあまり知らないのですけど、元々は趣旨に協力的だった様子なのですが、後述する石川氏の言動や態度、#KuToo本などの反発からそうした離反を招いた部分もあるでしょう。私自身は、労働問題だけに絞るのはもったいないと感じています。これは以前に書いた会話形式のnote記事にそういうイメージを書きました。もっと広げて持続的な運動になるように思えたからです。その為には女性差別という観点は不可欠のように思ってます。最近は、厚労省にcheng.orgで集めた署名を基に要望書を厚労省に提出した時と、若干趣旨が変わっているという情報も目にしています。確か「フォーマル」が付け加わっているらしい。当初の趣旨を変えて署名集めを続けるのは、反則な気もしますが、フォーマルだってパンプスを禁止するのではなく選択肢を増やすのが目的なので、私はいいのではないかと思います。

今のところは、女性の代表的な美的感覚の一つに「ヒールを履くと美しく見える」という価値観がありますので、履きたい人は履けばいいという趣旨でないと困る訳ですが、もし、より履きやすく楽でヒール同様にきれいに見える靴が流行したらどうでしょうかね。価値観は時代とともに変わりゆくものなので、上野千鶴子先生が言うようにヒールは「野蛮な靴」と言う評価に変わるやもしれません。私は、こうしたいわゆるルッキズムに批判的なので、個人的にそうなればいいのではないかなぁと思ったりする訳です。誰もが固定的な美観・価値観で見られるのではなく、個性そのものが尊重される時代の方がいいのではないかと。フォーマルだって「こうでなければならない」と言うものではないし、どんどん変わってる筈。

かわいそうだなぁと思っているのが、これもよく言われる就活女性。いまだ、判で押したおような同じスタイルで無難に企業に赴く為、誰も強制してないのに、事実上パンプス一色。あれをなんとか出来ないものかなぁ、と思います。日本の悪いところなのかもしれません。リクルートさん、なんとかしてあげてよ、と思います。


石川優実さん


確か、1−2時間程度のたった数回のやり取りでブロックされてしまったわけですが、まぁ、あの本を「酷い本だ」と言ったからだとは思います。これは以前のnote記事で書いたとおり。出版社の現代書館の方が悪質だと思うのですけど、それについては既に述べてますのでここでは触れません。

最初は、どんな風に思っていたかと言うと、ただ漠然と、石川優実さんがネトウヨみたいな人たちに攻撃されてるのかなぁ?などと思ってました。Twitterは戦場ですから、嫌がらせや特定の人を叩きたい人、ネトウヨのようなヘイターはいくらでもいて、そうした人たちのいわば標的にされてるのかなー、と言う程度に思っていたわけです。それがないわけではなかったのです。ネトウヨそのものの人が絡んだりしてましたし。

しかし実はそうではなくて、石川さんからみてアンチになる人たちが、石川さんの言動やKuToo本をよく思っていない、その反発からアンチになっている人が結構多いというように見えてきました。それらアンチの人たちが思想傾向は多少ないわけではないようです。例えば、フェミ側が批判した萌え絵について、その批判をよく思っていないいわゆるオタク側の人たちもそうですし、保守思想の持ち主や、それこそネトウヨ的な人たちもそこそこいるのはいますけど、アンチ石川は基本的には、石川さん自身に単純に反発する人たちだと思います。KuToo本で現代書館編集部が述べたようなネトウヨ的ヘイターではありません。

理由はまぁ簡単で、石川さんは基本的には上で触れた、いわゆるツイフェミ的発想しかしないからです。ツイフェミは元々嫌われてましたし、特に石川さんは党派性がきつくて、本来賛同するつもりの人たちでさえ、多少の反論批判で怒ってブロックするような人ですから。常に「私は被害者・差別されている側」かつ「絶対正しい人」であり「間違いを認めない人」なのですね。そんな人いませんてば(笑)

あと、石川さんはクソリプと、批判者のツイートをそう表現するのですが、そのクソリプに対する批判も、実際には稚拙なものでしかなく、機会があったら、まだ捨ててない#KuToo本の石川さんによるクソリプ研究を全部やっつけてやろうかなと思ってますが(暇かw)、あんなので溜飲を下げるレベルなので、その無知さぶりは押して然るべしかなと思います。

余談ですけど、人の意見に反論するなんて、誰でも出来ます。「Aである」と言われたら「Aでない」と言って返せばいいだけですからね。難しい場合もあるけど、原則的には反論できない意見などありません。

あんまり陰口を叩いていても仕方ありませんけど、#KuToo自体はとてもいい発想であるだけに、惜しいなぁと思います。ある意味、Twitterは前述したとおり戦場なので、気に入らない人はブロック等により退場しない限りは叩き放題な為、有名になればなるほど、一旦反感を持たれてしまうと、攻撃され放題になってしまいます。そういうネット生活を送らざるを得なくなった為、石川さん自身がああなってしまった一面はあるでしょう。


オタクのこと。


私は出来るだけ冷静でいたいのと、真ん中に立ちたい人であるからでしょうか、割と誰とでも普通に議論出来ます。これはまぁ、昔ネトウヨとやりあったから、鍛えられてるのかもしれないけど、述べていることそれ自体に神経を尖らせます。相手がどのような思想の持ち主かは一応想定はしますが、あまりそれには囚われません。元オウム信者その後アレフ信者で麻原教祖をあんな酷いことがあっても信仰する人ともやりあったこともあります。と言っても、話は全然通用しませんでしたけど(笑)  

で、オタクさんたちなのですけど、フェミニスト側の立場に立って数名の方と議論したこともあります。議論したときに分かり合えはしませんでしたが、割と落ち着いてやりとりはできましたし、ツイフェミのような極端な人はあまりいませんでした。ただついうっかり、フェミ側の立場に立ちすぎて、怒らせてしまったことは一回だけあります。怒らせたというか、誹謗中傷を受けたというか。話題に、特定の有名人が出てくると、それを使って「お前らの側であるあの人はこう言ってたじゃないか」とか言われると、その人を庇うような反論になることがあって、敵認定を受けてしまう、という奴なんですけどね。そういう場合は、私とその人は違うことを明確にしておかねばなりません。

オタクさんと話してみると、ツイフェミとは比較にならないくらいに、普通に話せます。オタクさんと賛同できない部分もあるのですが、反論に失敗した件で誹謗中傷受けたくらいで、少なくともブロック処理されたことは一度もありません。どんな議論をしたか、少し例をあげましょうか。

「巨乳表現は問題だ」というような漠然とした批判があります。ラブライバーで言うと「スカートに描かれた女性の股間を表すかの如き不自然なライン(長ぇなw)は問題だ」になるかな。その理由はよく「性的だから」と言われたりもします。このとき、オタク側は例えば「どこが性的なのだ?」と批判者に反論し返すことがあります。私はその反論の仕方は間違いである、と指摘したわけです(かなり周りくどかったですが、そういう趣旨でした)。

性的だ、と指摘されて、性的ではない、みたいな反論するのは、「性的であることは悪い」ということを認めてしまっています。すると、性的かどうかを巡って議論が終わらなくなってしまいます。私はそうではなくて、仮に性的だとしてどこが悪いんだと、直球で反論すべきだろうと批判しました。何が性的かなんて、なんでも言えてしまうわけです。ちょっと女性のうなじを描けばうなじが性的になるし、陸上競技リレーでバトン持ってたら性的になるし、それこそバナナ食ってたら性的になるし、こんなのキリがありません。論敵にはわかっては貰えないかもしれないが、そうした批判には無理があり、何かもう少し真っ当な批判ポイントが必要かも?くらいには気付いてもらえる可能性はあります。そんな風に意見を述べると、多少理解してもらえました。

私個人の印象に過ぎないのですが、オタク側は、フェミさんたちによく思われていないことを自覚している為か、相手の批判ポイントを無自覚に肯定してしまっていることがあり、妙な方向へと延焼を広げることがあって、宇崎ちゃんの時は、大きなバストの下着や洋服を扱うショップにまで飛び火しました。流石にああいうのはダメなんじゃないかなと思っていたので、そうした提案を試してみたわけですけどね。一人二人にそんなアドバイス的意見をしてもあんまり意味はありませんけれども。

そうした炎上を逆に煽る傾向がある反論の仕方が、オタクさんたちとは意見の合わないところです。萌え絵を書いたり楽しんだりする事は特にそんなに大した問題があるとは思っておりません(思っていた事はあったのですが、考え直しました)。何故なら結局のところ、それら萌え絵などもオタク文化の一部を構成しているわけであり、その文化に犯罪的なものがない限り、批判するのは誤っていると思うからです。当然表現の自由として守られる範囲内だろうし。流石に、以前にあったクジラックスさんの漫画は、実際に犯罪の参考にされてしまったという点を度外視しても、評判を悪くするだけであり、芳しくないとは思いますし、そうしたリスクがある事は理解してもらえたらなーと思います。


以上、個人的雑感でした。





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