なんで努力しないのか❓と聞かれて
子どもさんをお相手に講話をする場合…ほとんどは
『車いすで生活するのは大変そう』
もしくは、
『身体が自由に動かないなんて、かわいそう』
というような…私に同情する感想を持つお子さんが大半のようです。
まあ……小学校や中学校などでは
まず最初に
《自分のことは自分でやりましょう》
《すぐ諦めずに最後まで頑張りましょう(やり遂げましょう)》
のように、いわゆる……
《自助努力》
を、生活の基本として教わりますから…
自分の事も、自分で出来ない。他人の力をあてにしなければならない。となると…
私のような身体障害者などは…
『かわいそうな人』
として、子どもさんから見られてしまうのも、ある意味で仕方のないことかと割り切っています。
とはいえ…
学校の先生から教わることが全てではないよ。世の中にはたくさんの考え方があるんだよ。
と、子どもさんに伝えるのが、外部講師…
とりわけても、障害者である私が学校に出向く意味であると考えています。
なので、児童生徒の子どもさんたちに語る場面では……
「自分の力で頑張ろう!と考えることはすごく大切ですね。でも、実際に頑張れるかどうか、というのはまた別のこと。
頑張る気持ちがいつも結果に繋がるとは限りません。
自分一人の力では頑張れない時、一生懸命に頑張っても、なかなか上手くいかない時に、周りの人の力を借りることは、
ぜんぜん恥ずかしいことではありません」
と伝えたり…
「身体に障害があることは、確かに不便で不自由で、大変なことではあるけれど
だからといって私が幸せでない、不幸である、と言うことにはなりません。
自分が不幸なのか、幸せなのか、という判断は、身体の状態がどうかではなく、自分の心で決める事ですからね」
と、語ってみたりするのですが…
中にはとてもシビアな意見を持った子もいます。
『身体の不自由な人は、ずっとそのままなんですか?病院で治してもらおうとはしないんですか。
自分でリハビリとかはしないんですか?』
おおむねこんな感じですね。
障害があること、身体が動かないこと、
人と同じことが出来ないことを
『劣っている』
とみなして……そのままの状態でいることを
『怠けているのではないか』
と認識してしまうような子どもさんです。
他の子からも、
『そんな言い方したら、mitsuguさんに失礼だよ』
とか
『病院行って治してもらえるもんなら、もうとっくに治してるよね』
などと言われていたりしますが……
こうした頑固な子ほど、あたかも
《障害のある状態を、何もせずに放置している》
と見てしまうのでしょうね。
このような反応は…その子どもさん自身の考え方というよりも、周りの環境による影響が大きいのではないか……と、私は判断しています。
子どものころというのは、言わずもがな、心身ともに成長の著しい時期です。
今日より明日、明日よりその先、というように…
毎日、より多くの経験を積んで知識を蓄え、知恵を付けることを求められます。
常に『変化すること』を求められる日々にあっては…
私のように
『ありのままを受け入れて過ごす』
ということは……さも、やる気のない生き方のように感じてしまうのでしょう。
私も
「みんなと同じように、同じことが出来なければいけない。ということはないんです。
どんなに頑張ってみても、同じようには出来ないことはあるし、同じようにならないこともあるんですよ」
と言ってはみるものの…
なかなか、頑なな態度の子どもさんに、すっきり納得してもらえるような……上手い答えを用意出来ずにいます。
おそらくは、誰か頭の固い大人の……
古臭い医療モデルの考え方から来ているであろう…
障害や生きづらさを、個人の責任に納めてしまう価値観が、まだ小さな子どもさんの世界にも広まってしまっている現実は…
少しずつでも…どうにか変えていかねばならないなと考えています。