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【エッセイ】 #8 グロい小説は悪なのか?

「グロい小説好きなんだよね!」

こんな台詞は私は人生で一度聞いたことがないし、
いま読んでいただいている貴方もおそらく、ないだろう。

そしておそらく、今この記事を読む私も貴方もグロい小説が嫌いというわけではないはず(そう思いたい)

ちなみには私は自分のブログでこんな記事を書いている

【閲覧注意】グロい小説おすすめ14選!どこまであなたは耐えられるか?

とんでもない記事だ。

そう、私はグロい小説が好きなのである。

いや、別にグロい小説が嫌いでも全然構わないのだ。

むしろそう思う人が普通であるのは自明だろう。

ただ今回の記事は「グロい小説を好きになってほしい」ということではなく、「グロい小説にもそれなりに読む理由はある」ということを少し書いてみようかなと思ったのだ。

これを踏まえて、興味がある方は少々お付き合いいただけると嬉しい。



ーーーでは本題へ。

なぜグロい小説をおすすめするのか


キケンな読書、グロい以上に本当に意味のわからない文学には
何か惹かれるものがある。

ぶっ飛んでいる内容にしろ、同じ人間が書いてるのに何でこんな文章を書けるのだろう。何か神秘のようなものをシンプルに自分は感じるのだ。

一方で残酷な、グロテスクな描写が苦手だという人が恐らくほとんどだと思う。その感覚はもちろん正しくて、倫理観といった面でも何ら問題ない。

でも自分はあえてグロい、残酷、救いなのない、そんなキケンな読書を勧めたい。なぜなら、残虐性は人間が誰しも内に秘めているものであり再確認する必要があるからだ。

【閲覧注意】世界の”ヤバい”が集まった渋谷残酷劇場展へ潜入。知られざるアウトローな世界

もし興味がある人は上記の記事を読んでみてほしい。この記事では"残酷とは何か?"を考えさせられたイベントについての記事である。

この記事でも書いている通り、人は皆「残虐性」を持っているというのが私の持論だ。これは人間の歴史が証明しているし、目を背けてはいけない現実。

これらはもちろん許されないものだ。

だからこそ人は残虐性を客観視できる場を必要とするし、そうした機会が必要なのではないか。

現代社会では、恐ろしいニュースが溢れている。

ニュースは表面だけをセンセーショナルに伝えて、日常的に僕らはそれを眺め「ひどい、何てことをするんだ」という感情をもちろん持つだろう。

それは大事なことであり、正しい感覚だ。

ただ、そうしたニュースを1週間・1ヶ月経った時に同じ感情を持っている人がどれだけいるのだろうか。

結局は日常的に報じられる悲惨なニュースを表面だけで受け止めて、自分は...?と問いを入れる時間がないではないか。

人間には汚い、醜い部分が少なからずある。

それは拭いきれないもの。だからこそそうした部分を見つめ直す、再確認する必要があると思うのだ。

そうすることの一つの方法として自分はキケンな読書、つまりグロい小説のすすめがあっても良いのではないかと思う。

もちろん考えたくもないけれど、それでも人間ですから。

たまにはそんな時間をとってみてもいいと思うのです。

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

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