伝えるには遅く
「広島の兄」と親しんでいた方が亡くなった。43歳だった。あまりにも早く、いつでも会えると思っていたのが悔やまれる。
広島の御調町(みつぎちょう)という、今は尾道市に編入された町で生まれて、紆余曲折を経て、御調町に帰り、デザインや映像アーティストの仕事なんかをしつつ、昔の医院を買い取って、喫茶や奥さんのアロマ商品を置いたりする施設にリノベーションして、町を使って遊んでいるように見えた。御調町の町のマークを復興させて、おいしいどら焼き屋さんの包装紙を作ったりしていた。
2015年の4月、25歳のわたしは休職をして、津々浦々の旅に出た。その最初の行先が御調町、2週間ほどの滞在だった。彼とは前年、香川県で行ったアートイベントのマネジメントの仕事の中で知り合った。わたしが御調に行くにあたって、滞在するための古民家をあてがってくれたり、車も用意してくれた。わたしは北海道は札幌市で生まれ育ったため、どうにも日本の原風景というものに疎かった。4月の御調は、川辺に桜並木が満開で並んでいて、これが日本の春なのか、と知った。2週間の滞在はあったという間だったけれど、奥さんと一緒におにぎり作ったり、ヨモギを摘んでバスソルトにするんだって話を聞いたり、田んぼの農道をみんなで歩く「フットパス」イベントを開催したり、そこに近所でヤギを飼っているひとがヤギを連れてきたり、月に一度だけ開く郷土資料館を開いてみたり。小さな町で、思う存分遊んでいた。地域資源の発掘と、そのアウトプットの仕方が本当に上手だった。町でこんなに遊べるんだ。田舎には何もないと思っていたけど、その逆だ、なんでもあるんだ!と思った滞在だった。この経験はわたしにはとっても重要で、今北海道喜茂別町に暮らす指標になっている。
夫婦ふたり、本当に仲がよくて、自由で、子どもに帰ったようにいつも見えてた。憧れの夫婦像のひとつになった。
そのあとも、彼らが札幌で仕事があるときには手伝ったりしていた。わたしが大学生のときに「その根拠のない自信はなんだよ」と言われて、こてんぱんに潰された自尊心を、ある時彼が「根拠のない自信を持てよ」と立て直してくれた。恩人だと思っている。
闘病中であることはきいていたけど、きっと大丈夫なんだと思ってた。いつでも会えるなんて思ってた。
再会は果たせなかったけど、彼の御調で遊ぶ背中はいつもわたしの胸の中に。そして自尊心も失わずに。出会えたことを幸運に思う。
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