第一章 「好きなこと」を仕事にしてます(2)
さらなる誤解
そしてもう一つ、変な誤解を生んでいると思われるのが、「映画解説者」という仕事です。なぜ、世間一般でよく使われる「映画評論家」ではないのか?という話は後回しにします。一般試写よりもさらに早く、マスコミ向けの「業務試写」を見せていただいたりして、とにかく「映画を観る」のが仕事と言っていいでしょう。と書くと、やっぱり、いい御身分じゃん!と思われそうですが、実はそれほどでもありません。自分が観たい作品だけを楽しんで観る、ということは少ないです。(映画ファンとしては)自分のタイプではない作品も観なければいけないし、どう紹介しようか?どこがポイント?などとあれこれ考えながら観なければならないので、純粋に映画を楽しむことは少なくなっています。
また、そういう生活パターンからなのか、
「映画評論家は時間もお金も有り余っている」と誤解している人が意外に多いので、ちょっと驚いています。どうやら、古くは淀川長治先生や水野晴郎先生、最近だとLiLiCoさんや有村昆さんみたいに、テレビへの露出が多い評論家やコメンテーターの人たちを「芸能人」「タレント」と見なし、私も同じようなものなんだろうと勝手に思い込んでいるようです。私が、ローカルではあるもののテレビに出演していたので、そんな勘違いや思い込みをされたのでしょう(この買いかぶりは、さすがに畏れ多くて喜べません)。
まあ、東京でも、テレビに出ることができる映画評論家はそんなに多いわけではないでしょう。しかも、そんな人たちが皆さん時間とお金を持て余していると本気で思ってるんでしょうかね?もしそうだとしても、熊本在住の私にはその生活は無理でしょう。
東京でも、映画ライターさんの中にはアルバイトもやって何とか生計を立てている人も少なくない、と聞きます。ましてや、熊本にいて映画関係の仕事だけで食っていくのは不可能。だから、私も勤めに出て兼業ライターをしていた時期がありました。その話は後で詳しく書きますが、とにかくそんなもんです。
それを勝手に勘違いして、ちょっと困ったこともありました。平日の昼間、つまり私の勤務時間中に電話やSNSのメッセージで連絡してきて、ちょっとのつもりで応対したら緊急性のない話を延々とされたことが何度も。
いmろんな意味でえげつない話ですが、何が狙いだったのか(既婚者と知っていて)私にヘンな接近(どういう類のものかはお察しください)をしてきた女性も何人かいましたが、私の生活実態を話すと露骨にガッカリした表情になり、SNSでの連絡もブロックするという念の入れよう。どうせそんなことだろうと思ってわざと誘いに乗った(本当です!ということなっています)とは言え、こっちもガッカリと言うか情けないと言うか腹立たしいと言うか、ひどい屈辱感を味わいました。
そういう誤解を避けるためにも、SNSではたびたび忙しいことや生活が楽ではないことを投稿しているのですが、それだと「私、頑張ってます」とか「頑張ってる俺、偉い!」や「頑張ることは美徳」みたいなアピールをしているように思われるのではないかという心配も出て来て、なかなか悩ましいところです。
もう一つだけ付け加えると、有り難いことに東京の出版社さんに3冊の単独著を出版していただきましたが、それを
「自分の趣味の本を簡単に出版できる」
と勘違いして、
「自分はギャンブルが好きなので、ギャンブルの本を出したい。話をつないでくれない?」
と真剣に相談されたこともあります。さすがに、
「カンベンしてよ…」
と頭を抱えてしまいました。私の場合は、あくまでも私の企画を出版社の方が「商売にまる」と認めてくださって拾い上げてくださったわけで、出すまでにもいろいろと要望に従ったりして微調整を繰り返しながら創り上げていったもの。その人は、自費出版のような感じで出せたものだと完全に勘違いしていたようです。
ちょっと愚痴が続いてしまいましたが(本当は具体的事例がもっとあるのですが、書いているうちにイヤになってきたので止めました)、仕事自体よりもこういうことの気苦労の方が多いというのは、思ってもいないことでした。
肩書に悩む
最初に書いたように、現在の私のメインの肩書は「映画解説者」です。名刺には「映画解説業者」としていますが、これは、いろんなメディアでひたすら映画を紹介してギャラを頂いているという自分の状況を、やや自虐的に表現したものです。
一般的には「映画評論家」という肩書が最も浸透しているように思えます。しかし、私の場合は2つの理由から、「映画評論家ではなく映画解説者」という肩書にしています。
まず、私が主にやっていることは「映画の紹介」であり、“評論”や“批評”と言った小難しいことはほとんどしていません(実際はそうでもないのですが…)。だから「評論家ではない」という意識が強いこと。
そして、そのような「映画の紹介」は、取り上げた作品をとにかく観て(映画館に観に行って)欲しいという願いを込めて、その映画を少しでも楽しめるように、知っていたらより楽しめるトリビアやどこに注目したらいいか?といった、言わば「楽しみ方」を読者なり視聴者なりに提案する、というスタンスでやっています。そこには、子供の頃から慣れ親しんだテレビの洋画劇場の解説、それこそ淀川センセイや水野センセイ、とりわけ個人的には一番好きだった『月曜ロードショー』の荻昌弘センセイといった諸先生方のお仕事をイメージしています。時には正直言ってどうしようもないB級映画を放送する時も、その映画への愛情を持って見どころを紹介していた「解説」。そんな仕事へのオマージュから、「映画解説者」と名乗るようにしています。
もっとも、実際は、自分の興味のある映画に関しては、製作の裏側や細かいところまで掘り下げて調べてしまうクセがあり、そういう意味では「映画研究家」という肩書でもいいのかなと思っています。ただ、それがダイレクトに収入につながったことはまだないので、もう少し様子見といったところです。
話を戻すと、そのような「映画の紹介や解説」をメインに掲げていることも、私の働き方をちょっと独特なものにしているようです。
先ほど触れたことですが、ライターさんなりラジオのパーソナリティさんなどは、いろいろなジャンルのお仕事を請けて、その中の一つが映画の紹介、というケースが多い。私のイメージでは“面”で働いているような感じです。一方私の場合は、まず映画という存在があって、それにまつわるいろいろなお仕事を請ける、という形です。だから、書いたり喋ったり、インタビューしたりイベントの進行をしたり、多岐にわたります。これも私のイメージでは、“面”に突き刺さった“柱”。“点”と言うほど狭くもなさそうなので、ちょっと太めのものに例えてしまいました(笑)。
とりあえず、現況
ここまでいろいろ書いてきましたがちょっとゴチャゴチャになっているかも知れないので、今さらですがここで改めて、私がどういう状況にあるのか、仕事関係を中心に箇条書きにしてみます。
*熊本市在住。妻ともうすぐ社会人の娘1人。稼ぎは妻より遥かに少なく不安定。
*一人っ子なので、特別養護老人ホームに入所している母(91歳)とその姉=伯母(98歳)の身元引受人。二人ともほぼ全盲。ちなみに妻も一人娘で、老人ホームに入所中で病気療養中の母親(81歳)の身元引受人。
*目に持病があり、2009年に自動車運転免許を返上(更新せず失効)。現在の移動手段は徒歩か公共交通機関。妻に自家用車で送ってもらうことはほとんどなし。
*毎月決まった仕事…地元紙・フリーペーパーの新作映画レビュー、他県のタウン情報誌の映画コーナー執筆(掲載する作品の場面写真の手配込み)、ローカルラジオのニュース番組にコメンテーターとして出演(月1回)
*不定期ながらそこそこの頻度で頂く仕事…大手出版社のムック本への寄稿、他のライターさんのインタビュー音声の文字起こし、旧作日本映画のサウンドトラックCDの企画・構成・解説執筆など
*それらのご縁で、これまでに3冊の映画関連の著作を東京の出版社から上梓。
*出版社に拾ってもらえなかった著作物は、Amazonでkindle(電子書籍)やオンデマンドにて出版。
*2019年9月までは勤めに出ていたものの、後述の理由で思い切って完全フリーランスに。それ以降、レギュラーの仕事が徐々に減っていった上にコロナ禍に見舞われ、踏んだり蹴ったり。
後はおいおい詳しく触れていきますが、要するに2019年10月から、完全にフリーランスのお仕事だけをしている、ということです。これで食べていければいいのですが、当然ながらその理想とは程遠い状況です。妻との収入格差に、毎日のように嫌味を言われています(苦笑)。
それでも、私があえて完全フリーランスというスタイルを続けているのは、決して片意地を張っているわけではなく、それなりに理由や事情があるのです。
(つづく)
<これまでのお話>
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