誠実さについて、前回の続きのようなもの
昨日(5月16日)の、Choose Life Projectの動画配信。
検察庁法改正案に反対の声をあげた、元最高検検事の清水勇男さんへのインタビューでした。
ちなみに、Choose Life Projectは今日も配信がありました。
7日連続で動画を配信されていて、本当にすごいなぁ、と思います。
(明日も予定されていて、8日連続ですね)
【インタビュー】ロッキード捜査の清水勇男元最高検検事に聞く。なぜ検察庁法改正案に反対の声をあげたのか?
清水さんへのインタビューは非常にわかりやすくて、またとても重みのある言葉でした。
そして、インタビューの最後。
「国会議員たちへ」として、清水さんはこんなことを仰っていました。
「自分の中に存在する〈神〉に問いかけて、行動してほしい」
「内なる声に耳を傾けろと言いたい」
ぼくが前回書いたことは、まさにこのことですよ!と、視聴しながら勝手に熱くなってしまいました。
清水さんは、「私は、神が存在するかどうかはわからないから、神という言葉を出すのは忸怩たるものがあるんですけど」と前置きされていて。
その辺はぼくも、前回の回りくどい言い方になった理由のひとつかも。
神を信じていなくても、「神的な存在」は誰でも胸の内にいるはずなんじゃないか、ということだと思うんです。
そして、今日のChoose Life Projectの動画でも、〈良心〉や〈誠実さ〉についての言及がありました。
ぼくは前回、この〈良心〉や〈誠実さ〉という言葉を使いませんでした。
それ以外にも、〈実直〉とか〈真摯〉とかも。
特に、〈真摯〉という言葉は最近あまりにも薄っぺらく扱われているように思います。
そうやって、言葉もまた〈奪われる〉ことの多い昨今、使い方に慎重になってしまいます。
それにしても、ぼくはもうこの時代には〈誠実さ〉や〈実直さ〉って「流行らない」んじゃないかって思っていました。
前回書いたように、自分はそういう生き方を心掛けてきたつもりでした。
けれど、正直言えばそんなスタンスを「莫迦莫迦しい」と思うこともありました。
それがここにきて、何となく流れが変わってきたような氣がしています。
ぼくに関して言えば、「変わった」というよりも、ちゃんと続けてこなかったことが問題なのかも、とちょっと反省しましたけど。
それは、笛美さんの「#検察庁法改正案に抗議します デモで知った小さな声を上げることの大切さ」というnoteを読んだこともきっかけになっていて。
詳しくはまた改めて書けたらと思っていますが。
「政治の話、どう伝えれば?」などはここ数年、ぼくもいろいろ工夫をしてやってきていたはずのこと、でした。
でも結局、疲れちゃってたんだなぁ、と思います。
笛美さんのnoteの最後に紹介されている、作家の栗田隆子さんの言葉(ツイート)のように。
まさに、「自分の声なんてどうせ誰も聞いてくれない」に、なっちゃってたかな。
それが、笛美さんの極々小さな〈声〉が、900万件越えのオンラインデモになったことは、ぼくにとってもすごく励みになりました。
笛美さんはChoose Life Projectの配信にも出演されて(5月13日)。
特に、俳優の古舘寛治さんが笛美さんに向けて「すばらしい」と仰ったことは、涙ぐんでしまうくらい感動しました。
笛美さんご本人は「意気込みもなく」と発言されていて。
(古舘さんが「それが大事なんです」と仰っていたのもよかった)
意気込みではなく、それなら何がよかったのか、と言えば。
そこは、やはり〈誠実さ〉なのかな、と。
笛美さんのnoteを読んでも、それはすごく感じるところです。
誰かから褒められるでもなく、それを期待するでもなく。
自分がそのスタンスでいたいから、それを淡々と貫く。
そうありたいな、と改めて思いました。