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【「南海トラフ地震臨時情報」とは何だったのか?−1】「南海トラフ地震臨時情報」がもたらした教訓

令和6年8月8日16時43分頃日向灘でグニチュード7.1の地震が起き、南海トラフ地震臨時情報が出されました。以前から、過去の例から見て日向灘の地震が南海トラフ地震を引き起こすことがあるとは言われていましたが、今回は科学的な見地から臨時情報が出されたと言えます。

南海トラフ地震臨時情報とは、南海トラフ沿いで異常な現象を観測された場合や、マグニチュード6.8以上の地震が発生する等で、大地震発生の可能性が相対的に高まっていると評価された場合等に、気象庁から発表される情報です。南海トラフ地震臨時情報は「巨大地震注意」と「巨大地震警戒」というレベルがあって、いずれも「調査中」なのか「調査終了」なのかが明示されます。

この8月8日から8月15日まで1週間、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」発表に伴う政府としての特別な注意の呼びかけが行われました。この間、お盆の帰省や観光産業に少なからず影響が出たようです。そのため、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を出す判断の仕方や発表の仕方に問題があるのではないか」という批判の声も出ているようです。

ここで問題なのは、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」は気象庁が出す情報であり、「1週間程度最大の注意が必要」というのは政府が出す情報という点です。もちろん、気象庁も政府の機関ではありますが、気象庁はあくまで科学的見地から情報を出しています。その観点で言えば、気象庁にとっては”1週間程度の注意が必要”という時限付きの注意喚起でいいのか?」という疑問が生じるでしょう。一方の政府の立場からすれば、「社会活動への影響を考えれば、時限付きの注意換気を出さざるを得ない」となるのだと思います。「いつ起こるか分からない大地震のために、経済活動を初めとするあらゆる活動を自粛するのは、持っても1週間ぐらいである」という考えから、「1週間程度の注意が必要」という御触れが出たようです。ただ、「南海トラフ地震臨時情報」は、「南海トラフ地震の”いつ起きてもおかしくない”という確率が高まった」ということを告知するための情報なので、当然、「1週間何ともなかったので安心」ということでもないし、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が出されている最中に大地震が発生したということもあり得る訳です。8月8日の日向灘地震が引き金となって、3年後に南海トラフ大地震が発生するのかも知れません。

「南海トラフ地震臨時情報」は確率が高まったことを知らせるための情報です。「確率」は「時間」の問題ではなくて「覚悟」の問題です。

サイコロを1回振って6の目が出たら自分の負けだとしたとき、6の目が出る確率は6分の1です。しかし、それは6回振ったら必ず1回は6の目が出るということではありません。何百回、何千回と実験をして統計を取った結果、確率が6分の1と言えるのです。そのサイコロの角が少し摩耗して重心が偏り、6の目がほんのわずか出やすくなった(確率が高まった)としましょう。それでも何百回、何千回と実験をして統計を取った結果、確率が高まったと分かるのです。ということは、仮に元の正常なサイコロが6回振って6の目を1回出したとしても、重心が偏って6の目が出やすくなったサイコロが、6回振って6の目を2回出すようになったとは限らないのです。もしかすると、10回振っても6の目がやっと1回出たということもあり得るのです。この場合、6の目を1回出すのに6回の時間が掛かっていたサイコロが、6の目が出やすくなったとしても、10回の時間を掛けて6の目を1回出したということになります。

このような性質を持つ「確率」に、私達が一喜一憂して暮らさなければならないというのはどういうことでしょう。「6の目が出たら自分の負け」というゲームにおいて、6の目を1回出すのに6回振ろうと10回振ろうと、負けは負けです。大事なのは「”6の目が出たらどうするか?”という覚悟が、自分にどれだけできているか」ということだと思います。

もしかすると、今年の正月に能登半島地震が起きたばかりなのに、ここ最近私達は「大地震が起きる確率」に一喜一憂すらしてなかったのかも知れません。そして突然「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が出されてアタフタとしてしまう。1週間の注意喚起が過ぎて、臨時情報を出す判断の仕方や発表の仕方に問題がある云々と批判をしてしまう。一体私達は、1週間の注意喚起が出ている間、何をしていたのでしょうか?防災意識のギアを一段と高めた行動をしたと言えるでしょうか?気象庁や政府のあり方を問う前に、私達自身の意識や行動の仕方を反省すべきかも知れません。

「南海トラフ地震臨時情報」が私達に突きつけた教訓が何だったのかを考えた時、ケネディ元米大統領がかつて言っていた言葉を借りれば、

「国が何をしてくれるかを問うのではなく、自分が社会や自分の為に何ができるかを問え」

ということではないかと思っています。


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