久しぶりの投稿です。 私は2019年5年前?から約2年かけて60〜50キロ近く減量しました。 そこまでの減量は正直周りにもすごく賞賛受けたし、もう一生太りたくないから必死で来ました。 けど、ダイエットって目標体重の結果が全てでない。 そこからの維持。 これにはいまだに及んで四苦八苦。 続きます。
おおよそ目標達成できた昨年末。 少し緩めて、好きなものを食べる日を設けたら、食べ癖がついてしまって、運動は変わらず継続してるしダイエット食に戻す時はありながらも食事面の切り替えがなかなか難しくなってしまっていた約半年間。 怖くて体重計乗れなかったけど、鏡を見たら明らかに太ったなと。 やっぱり吸収しやすい体質だから、工夫が必要だった。 ゴールデンウィーク明けからはしっかり切り替えて、仕切り直し。 少しずつ変化出てきて、モチベーションがまた上がり始めました。 情報に左
ダイエットに成功して、3年。 今また壁にぶち当たっています。 リバウンド傾向😭 炭水化物抜きの極端なダイエットをしてきて、けども目標体重を概ね達成できて、少しずつ炭水化物も取って、身体にショック与えつつ太りにくい体型目指してるけど、何せ太りやすすぎる私。 思いの外太ってしまって、鏡見るたびに本当に萎える。 ネットと睨めっこしながら頑張ってるつもり? けど正解って難しいし、多分それぞれに合ったやり方もあるのかな。 色々と間違ってたの痛感してるし、課題はまだまだ!!
ふと思い出したこと。 私は保育士をしている。 現在43歳。 私の時代と今の時代は全く違う。 私の幼少期、学生時代は体罰が躾な勢いだったし、先生に殴られたこともあれば、言葉の暴力なんかも普通にあったし、働くようになれば年功序列で若手は気を遣わなければいけないとか諸々。 けど、少しずつ時代は変わっていった。 私の経験は今ではニュースレベルになることもあったし、保育という仕事をしていると時代に合わせた対応が必要になる。 自分が今の世情の考えで育ってきていないから、戸惑うこ
最近、よく亡き祖父が夢に出てきてくれる😊 ちょっとした悩みがあって、苦悩していた日々。 おじいちゃんならどう思うか、おじいちゃんの力を貸して欲しいなとも思っていた。 そんな時に夢に現れて、亡くなってるのにおじいちゃんの家のリビングにいて、私はそんな悩みをよそに嬉しくて嬉しくて大喜び。 いつも通りのおじいちゃんだった。 生前のように他愛ない話をしてるけど、見守ってくれていることを確かに感じた。 何にも出来ないけど、自分の信念貫いて自分で切り開いて生きて行きなさい!と
今日の出来事。 出勤時、電車に乗っていた時にたまたま聞いた会話。 最初は他愛ない内容の会話をしていた女子高生。 友達関係のこととか、フレッシュで可愛いなぁ☺️と思っていた矢先に、 『あ!お父さん退院したよ』 お友達は『良かったねー!!』と返すも、 『いや。良くないよ😤』 とその子。 親子関係が悪いのかな?と思っていたら、 『20%くらいしか良くなってない』と。 あ、病状のことか!と思った。 『退院しても、食べることしか考えてなくて予定がすべてお父さんが好きな食べ
最大のビフォーは8Lでした! 通販でしか買えなくて、しかもこれくらい大きなサイズとなると好みの服もなかなかなくて服選びに苦労していました。 現在はパンツはSを履けるようになり、服選びに苦労一切なくなって本当に楽しくて仕方がない! ちなみに約60キロの大幅減量で皮余りが半端なく、上半身のたるみが特に凄くて、上半身に限ってはSは無理で、M~Lです。
前にも書いたけれど、私は幼少期から超肥満で、現在43歳だが人生の大半、30年強以上太っていた。 太っているだけで容姿のことで周りには言われやすかったけれど、元々内弁慶で内向的な性格なので尚更言われることも多くて、いじめられたりもした。 元々の性質とそんな経験から自信がなくなって、人の目を伺って生きる癖がついた。 何か起これば、自分が悪いと思えば救われる変な思い癖もついていた。 痩せてからまず変わったことは、ちょっとしたミスも気にされなかったり、認めてもらえることが多く
前の記事にビフォーアフターを初めて載せてみました。 恥ずかしいのでまずは後ろ姿ですが🙈 次回以降は、痩せてから変わったことや体型維持アイテムなどを綴っていきたいと思います。
ダイエットの話から反れるけれど、私は小さい頃、祖父の見事に真っ白くて綺麗な白髪頭も大好きだった。 身なりを気遣う祖父は、髪型も服装も常に整えていた。 白髪頭も、毛染めするには大多数が白髪だったからあえて染めなかったのかもしれない。 品すら感じる頭。 常にきちんとセットしていて、だから余計に格好良く素敵に見えたのかもしれない。 ちなみに私は北海道で生まれ育った。 高校の修学旅行が奈良京都からの東京で、新幹線ごしに初めて富士山を見た。 雪化粧したとても綺麗な富士山🗻
ダイエット前の最高の血糖値が280、A1Cが12から、ダイエットのみで現在は血糖値84、A1C4.6まで下がり、克服することに成功。 しかし、糖尿病の怖さはどんなに数値が正常になろうが、治るということはないようで一生コントロールが必要だと保健指導の人に言われていた。 それを知らなければ、減量達成出来たことに満足して食生活を気をつけ続けなかったかもしれない。 父方の祖母が糖尿病で、壊疽起こして足の指を切断して大変な姿も見てたし、恐ろしかった。 糖尿病のコントロールもだけ
ダイエットに成功することが出来て、誰よりも姿を見せたかったのは私の肥満をずっと心配してくれていた祖父。 しかし、コロナ流行の手前、100歳の祖父は脊柱狭窄症の悪化で自宅での暮らしが困難となり、入院した。 最初は病院で入院していた祖父は、身体に不自由はあっても意識ははっきりしっかりしていたし、面会に行くと病院は自分の居場所ではないと言っていた。 またその時私は、ダイエットを始めて3ヶ月目くらいで10キロ程落ちてようやく2桁になった時だったのだが、祖父は「痩せたな!」とすぐ
数字(体重)に一喜一憂、モデル体重、美容体重に憧れていた私だったけれど、何せ若くないし(現在43歳)元が大巨漢だったのでシワやたるみも目立ってきた。 目元が窪んで青白くなったり、顔だけ妙にこけたり足ばかり細くなったり健康的とは言える見た目ではなかった。 ヨガを通しても、気付かされる。 ヨガを始めて一年過ぎた頃、インストラクターにも何キロ落ちましたか?大分痩せましたよねと褒めてもらえたけれど、実はその一年で体重の変化はほぼなかった。 なのに痩せて見えたのは要は、筋肉に代
薬には頼らず、自然療法で克服していきたいと思い、病院へ通うのはやめた。 食事量を増やす代わりに、運動量も増やした。 ヨガに行けない時はウォーキングorジョギングに、宅トレを。 週末や休みの時には、ヨガ+ウォーキングorジョギング💨 夫にも協力してもらって、症状が出てる時は声をかけてもらうことにし、甲斐あって次第に症状は落ち着いて、症状が出ても自分で気付いて止めることもできるようになった。 それから一年以上経ったが、今はすっかり克服することができた。 今考えれば、必要