将棋をじゃんけんに例えると
①『発端』
私はゲーム会社でプランナーとして働いている。先日プロジェクトの決起会と称してプランナーの飲み会があった。皆ほろ酔いになり始めた頃、プロジェクトのディレクターから不意に質問された。
「将棋やってるんでしょ、若いのにおじいちゃんみたいな趣味だなぁとも思うんだけど、それだけハマってるんなら、きっと何か秘訣があると思ってるのね、ズバリ何が面白いのか教えてよ!」
社内のプランナーで将棋をやっているのは、恐らく私だけ。なんとかして将棋の良いところを売り込み、将棋人口の増加、果ては自社での将棋関連ゲーム開発に繋げたいところ。
ただ正直に言えば、私は返答に困った。
将棋には数多の戦法・囲い・手筋があり、それぞれの良さについて語っても増長になるだけ。コマの動かし方から説明しても、普段将棋を指さない人からすれば、盤のない居酒屋で、酒の回っている状態では想像もしにくいだろう。
質問にあるように、わかりやすく、ズバリ一言で言い表す必要がある。私の頭はフル回転、酔いに任せてこう答えた。
「じゃんけんの応酬だからですよ。戦法にはグー・チョキ・パー見たいな相性があってお互いにそれを出し合ってる。でもただのじゃんけんじゃない。じゃんけんはやって終わりだけど、将棋の場合は、相手の手に対して瞬時にこっちの手を変えないといけない。相手の腹の中を想像して、こっちがどうじゃんけんを出すか。細かいじゃんけんの出し合いの中で、いかに自分が勝ちづつけるか求められる。そこが面白いんです。」
我ながらいい例えだと思う。さぞ名言の決まったような雰囲気で、ニマニマしていたことだろう。言い方を整える必要があるとは思うが、将棋を知らない人に対して、将棋の雰囲気を伝えることはできていると思う。
正直にいうと、これで文章を終わっても良いかとも思ったが…せっかくなので、じゃんけんを例に将棋の面白さを考察することにする。
②『じゃんけんの面白さ』
将棋をじゃんけんに例えるために、まずは『じゃんけんの面白さ』を簡単に考察しようと思う。
じゃんけんの基本はグー・チョキ・パー。グーはチョキに強く・チョキはパーに強く・パーはグーに強い。これはそれぞれ、じゃんけんにおける定石と、各定石に対する対策になる。じゃんけんではこの3択の中から自分の手を選ぶことになる。
上記を踏まえたうえで、じゃんけんの面白さとはズバリ『心理戦』にあると考える。
じゃんけんをする相手というのは、きっとそれなりに仲の良い間柄だろうから、じゃんけんで最初に何を出すか、普段の行いからなんとなく想像ができる。また最初に何を出すのか宣言する方法も有効だろう。「こいつは裏をかくから別の手を出すだろう」とか「単に惑わせているだけかも」と、相手を悩ませることができればペースを握っているといえるだろう。
じゃんけんはじゃんけんを始める前から始まっており、互いに心理戦を仕掛け、惑わせ、悩ませ、たった3択の中から相手が負けの手を出すように心を動かす。そうした心理戦がじゃんけんの面白さの一つであろう。
じゃんけんの面白さをもう一つ、それは『一目で勝敗がわかる』ことだ。
前述の通りじゃんけんはグー・チョキ・パーの三すくみになっており、それぞれが対になっている。勝敗が一目でわかることで判定に間違いがなく、読みあいに勝ったほうは素直に喜ぶことができるし、負けたほうも潔く負けを認めざるを得ない。
まとめるとじゃんけんの面白さは以下2点だ。
▼じゃんけんの面白さ
・じゃんけんで何を出すか、出させるかの『心理戦』
・じゃんけん後の『一目でわかる勝敗』
③『将棋をじゃんけんに例えると』
ここからは将棋の面白さをじゃんけんを例に考察しようと思う。
③-1 将棋の『戦法』は、じゃんけんの『グー・チョキ・パー』?
まず将棋には数多の戦法があるが、これらはじゃんけんにおけるグー・チョキ・パーにあたると思っている。
そう思う理由として『戦法が作られる経緯』が何かを考えたい。戦法という言葉の意味は『勝負ごとにおいて敵と渡り合うための策』だそうだ。まさに言葉通り、将棋界にも策の練合の歴史があるように思う。
例えば以下、簡単なイメージ。
基本的に将棋の戦法は、互いに相手の手に勝とうとして考えられたものだ。ただそうして数多の戦法が作られることにより、じゃんけんの関係として作られていない戦法同士で対局を行う場合も出てくる。㊤に対して作られた㊨という戦法が、上記例の③と対峙したとき、どちらが勝つのか…。③と㊨はそれぞれ別の経緯から作られており、互いの戦法は想定していないわけだから、実際指してみるまで勝敗はわからない。
また将棋においては、じゃんけんのような3すくみの理屈そのものが通じない場合もある。例えば、じゃんけんのアンチとしてこんな想像をしたことがないだろうか。
「紙は石を包んでしまうから、パーはグーに強い。なら隕石は紙で包めるの?」
上記例の③は、確かに②の対策として考えられた。いわば③がパー、②がグー。ただこれらが対局したとき、③の使い手が素人で、②の使い手がプロ棋士だとどうだろう。素人から見ればプロはいわば隕石のような存在であり、一部の隙も無く素人が完敗するだろう。対局する相手の棋力・経験や、どれだけその戦法を理解しているかによって、形勢は大きく変化する。
つまるところ将棋の戦法とは、以下2点だ。
▼将棋の戦法とは?
・対局の中で選択できる手段に過ぎない
・戦法同士の相性はあるが、扱う人間の力量によって形勢は容易に傾く
③-2 将棋のおもしろさ
じゃんけんの説明の際に「じゃんけんの面白さは、何を出すか、出させるかの心理戦だ!」と記載したが、将棋においても静かな心理戦が繰り広げられている。
例えば以下、筆者がネット対局を行った際のもの。対局開始から4手目、相手が7一にいた銀を6二へ移動させた局面。たった4手進んだだけだが、すでに心理戦が始まっている。筆者が何を考えていたか想像てみてほしい。
答えは以下。偉そうに将棋について語っている筆者だが、ネット将棋で1級程度の棋力しかない(あくまでネット上なので、正しく1級程度の棋力があるかもわからない)。ただそれでもこれぐらいは考えて将棋を指している。
念のため状況の説明だが、筆者が「振り飛車」という戦法を指そうとしているのに対し、それに非常に有効な対抗策とされる「右四間飛車」という戦法を含みに相手が指そうとしている局面。じゃんけんで言えば、筆者が「グー」相手が「パー」(正確にはパーにしようとしている)の状態。
じゃんけんにおいてはあいこにならない限り一発勝負だが、将棋においては途中で手を変えたり、後出しじゃんけんすることもできる。このままでは将棋におけるじゃんけんに負けてしまうため、私はグーからチョキに変える動きを見せねばならない…。
(その後の局面は戦法を理解していないとわかりづらいので、省かせていただく)
将棋におけるじゃんけんと同じ面白い要素がここにある。じゃんけんにおいては「3連続パーが来たから次はチョキで来るかな」などなど、相手の出す手に対して、その前に出した手や相手の心を読んで勝負する。
将棋においても「相手の戦法が、自分が想定していた戦法と相性が悪いから、別の戦法に変えよう」「相手の戦法よりも優位な状態だからこのままリードしよう!」など一つの手、局面、動きにおいて、相手のじゃんけんに勝てるように自分の手を変えながら攻めていく or 守っていく必要があるのだ。
上記例はあくまで数多ある最序盤の一つだが、将棋ではこのような細かいじゃんけんがいくつも積みかさなってできている。主に序盤、中盤、終盤の3種類のじゃんけんがあると考えても良いかもしれない。その間にも高度な心理戦がずっと続くのだから、将棋は大変疲れる。ただその分、思考を凝らし続けた末に勝った時は喜びも大きいものになるだろう。
つまるところ将棋のおもしろさとは、以下2点だ。
▼将棋のおもしろさとは?
・一局の中で何を出すか、出させるかの『心理戦』
・考え抜いた後、勝ったときの『爽快感』
最後に
後半駆け足のようになってしまい申し訳ない。
(自分の文才のなさを恨むばかり…)
ということで、将棋の面白さと筆者の考え方の一端を共有させていただきました。
FB等受け付けておりますので、なにかあればご連絡いただければと思います。
それでは、お読みいただきありがとうございました!
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