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#10 今週の「名言とことば」

 今週、10月24日~28日までの「名言とことば」です。
 今週は、その日にちなんだものをいつもより多く取り上げてみました。
 また、今回の「今週の「名言とことば」」より記事内に、必要なところにはほかのページのリンクを挟んでみるようにしてみました。
 よりことばへの興味を深めて頂ければと思います。

#45「私たちには希望が必要ですが、他にも必要なものがあります。行動です」―António Guterres

アントニオ・マヌエル・デ・オリヴェイラ・グテーレス(ポルトガル語: António Manuel de Oliveira Guterres [ɐ̃ˈtɔnju ɡuˈtɛʁɨʃ]、1949年4月30日 - )は、ポルトガルの政治家。第114代ポルトガル首相、社会主義インターナショナル議長、欧州理事会議長、第10代国際連合難民高等弁務官を歴任した後、2017年から第9代国際連合事務総長を務める。日本の報道では「グテーレス」をグテレスとも表記するものもある。

「Weblio辞書」より、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 19:46 UTC 版)

 この日は「国連デー」でした。それにちなみ、現国連事務総長、アントニオ・グテーレスさんのことばです。

 このことばは、先月開催された第77回国連総会での演説の中にあった言葉。下からは、演説の和訳全文・動画も見られます。

 このことば、素晴らしいと思いません?演説をはじめから読んでいった上で出てきたことばだから余計感動するのかな。
 全く、その通りです。人はよく、「希望、希望」と言います。
 しかし、希望がいくらあっても仕方ない。
 結局は、行動せねば何も変わりません。

 それは、全世界の我々一人一人が同じ。一市民でも、行動すれば何かと変わることがあると思いますよ。

#46「志定まれば、気盛んなり」―吉田松陰

よしだ-しょういん【吉田松陰】幕末の志士。長州藩士。杉百合之助の次男。名は矩方(のりかた)、字は義卿、通称、寅次郎。別号、二十一回猛士。兵学に通じ、江戸に出て佐久間象山に洋学を学んだ。一八五四年(安政一)米艦渡来の際に下田で密航を企てて投獄。のちの松下村塾(しょうかそんじゅく)で幕末・明治期の指導者を教育。安政の大獄に連座し、江戸で刑死。著「西遊日記」「講孟余話」「留魂録」など。(一八三〇~一八五九)

『広辞苑 第七版』

 一度志が定まってしまえば、あとはそこに向かって進むのみです。その進路に、迷うところなどない。
 つまり一番悩み、気も落ち込みがちになってしまうのは志を定めるまでなのです。

 気分が沈んでいる方。あなたに志はありますか?
 もし答えられないようならば、一度じっくり考えてみるのもいいかもしれません。

#47「真の幸福は現在を楽しむことだ」―Lucius Annaeus Seneca

セネカ【Lucius Annaeus Seneca】ローマのストア派の哲人。スペイン生れ。皇帝ネロの師となったが、のち不興を蒙り隠退、遂に自決。著作に、ギリシア悲劇を範とする悲劇九編のほか「幸福な生について」など。(前四頃~後六五)

『広辞苑 第七版』

 今、「タイムシフティング 無限の時間を創り出す」([著]ステファン レクトシャッフェン [訳]高瀬素子 NHK出版)という本を読んでいます。

 これに共通する考え方かもしれません。本書の著者曰く、「仕事、家庭、老後…ストレスは“いま”という時間の過ごし方ひとつで解消できるもの」。「“いま”という時間にストレスは存在しない」!

 確かに、その通りではありませんか?ストレスは、「明日、嫌なことがある」とかいう未来への不安からくるもの。いま、いまを生きる上ではストレスなんて存在しないのです!!

 「今を生きる楽しさ」を!と言ったらJ社の企業理念にもなってしまいますが。
 何かあった時。「いま」に集中してみてはいかがでしょう?いまを最大限意識できれば、ストレスなどとは無縁の人生を送れるようになるのです。
 ご興味ある方、上の本も読まれてみてはいかがでしょう?

#48「瀕死の小熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」―Theodore Roosevelt

ルーズヴェルト【Theodore Roosevelt】アメリカ合衆国第二六代大統領(一九〇一~一九〇九)。共和党選出。トラストを抑え、日露戦争の講和を斡旋、モロッコ問題を解決。ノーベル賞。ローズヴェルト。(一八五八~一九一九)

『広辞苑 第七版』

 この日取り上げたのは、テディベアズ・デーにちなんでテディベアの生みのきっかけの親であるルーズヴェルトさんのことばです。
 といってもまぁ、ルーズヴェルトさんの誕生日がこの日だからテディベアズ・デーが制定されたわけで、どちらにちなんだのかと言われれば疑問ですが。両方という事にしておきましょうか。

 テディベアが生まれるまでの話を、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用しておきましょう。

1902年の秋、セオドア・ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出かけたが、獲物をしとめることができなかった。そこで同行していたハンターが年老いた雌熊(一説には傷を負った子熊)のアメリカグマを追いつめて最後の1発を大統領に頼んだが、ルーズベルトは「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神に反する」として撃たなかった。 このことが同行していた新聞記者のクリフォード・ベリーマンによって記事にされ、『ワシントン・ポスト』紙に挿絵入りで掲載された。この挿絵のベアは「ベリーマンベア」と呼ばれた。このルーズベルトの逸話に触発されて、ロシア移民モリス・ミットム(英語版)がアイデアル社(Ideal Novelty & Toy)を興し、製造した熊の縫いぐるみにルーズベルトの愛称「テディ」を付けて販売したのが、アメリカ国内初のテディベア・メーカーといわれている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/25 06:54 UTC 版)

 こんな話だそう。
 ちなみに、上の「ワシントン・ポストに掲載された挿絵」が以下のもの。

『ワシントン・ポスト』に掲載された挿絵(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/25 06:54 UTC 版))

 なるほどね。
 これがきっかけでテディベアが生まれ、テディベアズ・デーは制定されたわけです。

 それはさておき。このことばも、社会に大切な格言の一つでしょう。
 我々の身の回りには、言ってしまえば“子熊”が沢山いるとも言える訳です。
 しかし、彼らを撃つようなことをしてはいけません。優しく手を差し伸べ、むしろ介護する様でなければ。

#49「この世をばしばしの夢と聞きたれど おもへば長き月日なりけり」―徳川慶喜

とくがわ-よしのぶ【徳川慶喜】徳川第一五代将軍(在職一八六六~一八六七)。徳川斉昭の七男。初め一橋家を嗣ぎ、後見職として将軍家茂を補佐、一八六六年(慶応二)将軍職を継いだが幕末の内憂外患に直面して、翌年大政奉還。六八年鳥羽伏見の戦で敗れ、江戸城を明け渡して水戸に退き、駿府に隠棲。のち公爵。(一八三八~一九一三)

『広辞苑 第七版』

 この日、10月28日は徳川慶喜さんのお誕生日という事で、彼のことばを取り上げてみました。
 と言ってもまぁ、誕生日に辞世の句を取り上げるのもどうなのかと言われたら答えられませんが。

 慶喜さんは激動の幕末を時の将軍として乗り越えられた大変な方ですね。
 私は、彼の将軍としての任期が1年となかったと知って驚きました。

 将軍を辞めさせられた敗者という印象をお持ちの方もいらっしゃるかも知れませんが、そんなことも無いのかもしれません。
 彼は、その後の人生を実にいろいろと楽しまれていたような記録もあります。

 そんな内容の濃い人生を送られた慶喜さんの歌。考えさせられます。


 今週もいろいろとやってきました。どうもお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
 一つ、お知らせです。
 来週・再来週と、私予定が詰まっておりまして、「名言とことば」の投稿を減らさせて頂こうと思っています。
 来週以降2週間の投稿日は、10月31日、11月3日、8日、9日、11日の計5日間とさせていただこうと思っています。どうぞご承知おき下さいませ。

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