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鬱になった私が鬱に救われた話 第2章
第2章 =何かがおかしい=
心療内科で診察を受け
無事に「鬱」と診断されました
診断書が免罪符の様にありがたく感じて
「これで楽になれる」
と、本当にホッとした気持ちは
今でも体が覚えています
その晩は何年かぶりにぐっすりと眠りました
翌日、安堵したのも束の間
何度もなんども繰り返し鳴り続ける携帯
仕事を突然放り出したので当然ですが
あまりに鳴り続ける圧に耐えられず
電源を切りました
「もう、ダメかもなぁ」
倒れた人間に鞭を打つ様な環境なら
もういいか、と諦めることができました
その日からベッドの中が私の居場所になりました
息をすることすら面倒な日々
何日もなんにちも天井だけを見て過ごしました
ときおり遠くからは
電話の向こうにいる義理の母に嘆く
妻の声が聞こえていました
「そうやねん、旦那が鬱やねん、ワハハははは」
笑い飛ばすことで不安から逃れたいのか
ひたすら明るい声
言いようのない違和感を感じながらも
ただぼんやりと天井を見ていました
私の休職が長期化し3ヶ月を過ぎても
妻が働きに出ることはありませんでした
半年経っても理由をつけて働いてくれません
投げかけられる言葉はいつもお金の工面ばかりでした
「お金どうすんの?まだ休むの?」
1年が過ぎて復職することになっても
それは同じでした
この頃になってになって
過去に自分が何か致命的な間違いを犯したのではないかと
強い失望感を覚える様になりました
「何かがおかしい」
結婚した時は人並みに暮らせるという「安心」
子宝に恵まれた時には「幸せ」
仕事が順調だった時には「充実」
転落がはじまってからは「憔悴」
いつも何かで満たしてきた心でしたが
「鬱」になって心が空っぽになったことで
看過してきた当たり前でとても大切なことを考える
物理的な時間と心の余裕が
うまれていることに気づきました
全ての圧から一時的にでも解放された心は
過去と現実を冷静に紐づけていくと
明らかにおかしいと警鐘を鳴らしています
「働けなくなったら私が代わりに働くから大丈夫」
その言葉の意味を妻に確認すると
コロナだから…、経験がないから…、
あなたが働かなくていいと言ったから…
聞かされるこたえは常に他責でした
この様な毎日ではまたおかしくなりそうだと思い
仕方なく完治を待たず復職を決めました
復職しても
役職を解かれ、大幅に減給され、
経済的には締め付けがキツくなって行きました
娘の進学も4年生の専門学校へと
妻と娘が決めて事後報告してくる始末
借金を抱えている上に
遠方で私立大学並みに学費のかかる学校に4年
鬱の経験がある方ならご存知かと思いますが
人との交渉や話し合いなどが
非常に苦痛でマトモにきなくなる場合があります
私もこれに当てはまり
仕方なく、学費捻出のためにマンションを売る覚悟をしました
そもそも、
絵が好きだった娘が創作活動を生業とすることになっても
収入に関わらず住む場所だけは担保されている
そんな安心感を提供するために買った自宅でもありました
生前分与だと考えることで自分を納得させ
鬱を抱え復職による新しい仕事を学びながら、
自宅の売却という大事に向き合うことになりました
そして私はこのあと
さらに大きな決断をすることになり
さらなる苦痛の世界へを足を踏み入れていくことになります
鬱の時に大きなことを決めないというのは鉄則ですが
その時の私は
自分の心の声に従うことが
今の苦痛から解放される唯一の方法だと
信じて疑いませんでした
つづく