新潮12月号「差別と想像力」特集を読んで
今月7日に発売された文芸誌「新潮」12月号の「差別と想像力」特集を読んで、心がすごく揺さぶられた。
もう少し具体的に言うと、差別をめぐる「被害者意識」と「加害者意識」のはざまで揺さぶられた。
これまでわたしは「被害者」の立場でものを言うことがすごく多かった。
母子家庭だとか、田舎出身だとか、新聞配達をした苦学生だとか……自分のまわりの環境を「弱者」的にとらえて、「それでもわたし東京でがんばってます!!」みたいな物言いをすることがすごく多かった。
そうすると、周りが優しくしてくれるからだ。
田舎出身はともかく(自然が豊か的な良さがあるから)、母子家庭と苦学生の話をすると周りがすごく同情してくれた。
「大変だね」「えらいね」「頑張ってるね」と言われ、わたしはその言葉を真に受けた。
真に受けて、「わたしは大変な環境下でも頑張っている、えらい人間だぞ」とふんぞり返っていた。
過去形で書いてしまったが、こうした被害者意識は今でも持っている。
「新聞配達をしていた過去」の話をことあるごとに持ち出し、「あのときはつらかったが、わたしはそれを乗り越えたがんばり屋さんなんだぞ~」とアピールしている。
ライティングの勉強をはじめてからは、それが顕著にあらわれている。
就活のときもそうだったが、新聞配達という経験はものすごく「使いやすい」素材で、これまで使いやすいがゆえにそれに頼った文章ばかり書いてしまっていた。
わたしは書きながら「……いや、何か違うな」と思っていた。
それは自分が楽をしていたからだった。
素材がデカいから、そのまま書くだけでいい。
シンプルな味付けだけすればいいから、楽。
自分の筆力不足に向き合いたくなくて、追い込まれたらデカい素材に逃げる! みたいな感じで過ごしてきていた。
それはすごく、本末転倒なことだった。
わたしは「“過去の栄光”的な苦労話にすがって根性アピールをする自分」から卒業して、次の段階に進みたくてライティングの勉強をはじめたからだ。
ライティング修行の道が思いのほか険しくて、ドラえもんのひみつ道具的に「新聞配達~!(ドヤァ)」とやってしまっていた。
いま振り返れば、周りの優しさには「大変だね(としか言えない…)」みたいな言外の戸惑いもあったんじゃないかと思う。
なのにわたしはそれを「そうなの! 大変なの!」ってふんぞり返っていたように思う……。
ああぁ。
この自意識がめっちゃ恥ずかしい。
けれどわたしはこの恥ずかしい自意識に加えてさらにめっちゃ恥ずかしいことをしていたのだった。
苦労話を持つ人生を送ってきたがために、わたしは「がんばらない人」が許せなかった。
「がんばらない人」に対して「あんたやる気あるの?」といちいち怒っていた。
わたしの前では「がんばらない」だけなのかもしれないのに、一面がすべてと思い込んで勝手にイライラしていた。
そして自分の人生観を都合よく「がんばらない人」に当てはめて、安易に「人を裁く」ことをしていた。
不都合な真実には、見て見ぬふりをした。
それはどういうことかと言うと、その「がんばらない人」は自分自身だったからだ。
わたしは「がんばってきた」過去にしがみついて「そういう(がんばる)自分が当たり前」だとあぐらをかいていたのだ。
冷静に考えれば、自分ががんばってない時なんて腐るほどあるのに……!!
ていうか、怠けてたから受験に失敗して新聞配達をすることになったのに……!!!
本当にがんばっている人は、他人のことなんて気にしない。
常に自分と戦うのに必死で、それどころじゃない。
わたしはそのことをわかっているつもりだったが、わかっていなかった。
それに気付いたのは「新潮」の「差別と想像力」特集を読んだからだった。
前置きが長くなって本当に申し訳ないのだが、「差別と想像力」特集は、7名の書き手(小説家、哲学者)が廃刊した新潮45問題についてそれぞれの思いを綴っているのだが、ホットな話題であるだけに、書き手それぞれの感情的な気持ちや結論がどうしても出せない「戸惑い」がそのままあらわれていた。
彼らは怒りをあらわしたり、嫌悪を感じたり、呆れたり、恐れたりしていた。
「お刺身的」な文章なだけに着地がフワッとしちゃうところもあったが、それぞれの文章に共通するのは「自覚的」であるということだと思った。
言葉をなりわいにしているからこそ、彼らは慎重な言葉遣いで丁寧に自分の気持ちを掬おうとする。自分でこの問題をよく咀嚼し、自分の言葉で語ろうとする。
彼らの文章を読みながら「被害者意識」は「加害者意識」と表裏一体だということ、人間は「被害者意識」を盾にしていとも簡単に「加害者」になれること(正当防衛的に)、「被害者意識」は自覚していても「加害者意識」は見落としがちになるということを強く感じた。
この問題に対して「加害者意識」を強く表明しているのが村田沙耶香さんだった。
「見えない世界」で暮らしていたころ、私は確実に誰かの人権を踏みにじる「差別者」だった。差別「主義」ですらない、ただ立って無意識に加担しているだけの、無知な差別者。(中略)
少しはまっとうになれたと思っていたのは自分だけで、今も自分は無自覚なまま、誰かを踏みにじっているのかもしれない。
(146頁)
差別はすぐそばにある。自分の無意識の中に今もあるかもしれない。目の前の「見えない世界」に搦め捕られずに、誠実に、真摯に想像をし続けるにはどうすればいいのか。簡単なことのはずなのに、人生で何度も同じ問題に立ちすくんできた。
(中略)
「見えない世界」は、「安全な地獄」だ。私は、思春期を(もしかしたら今でも何らかの形で)差別者として過ごした人間の一人として、心からそう思う。私はその根源を知りたいと思っている。人間としての何かが壊れてもいいから、どうしてもその核心にある言葉を知りたいと願っている。
(148頁)
この文章を読んで、なんて繊細な人なんだろうと思ったし、なんて自分に厳しい人なんだろうとも思った。
日曜日に村田沙耶香さんと羽田圭介さんのトークイベントがあって、「新潮」の話もしていたから余計にそう思った。
そして「被害者ヅラした加害者」として安易に人を裁いていた自分に気づき、猛烈に反省したのだった。
わたしが今できることは、こうしてつらつらと思いを吐き出す場所があること、読んでくれる人がいることにまず感謝すること。
「読んでもらって当然だ」みたいな恥ずかしい自意識を自分に植えつけさせないこと。つまり調子に乗らないこと。
自分をそうしてスタート地点に戻してから、自分の課題に真剣に向き合うこと。
無理にわかろうとしないこと。素直でいること。
これぐらいじゃないかと思った。
自分に向き合っているとかなり苦しいので、いろんな意見に振り回されることがある。
めちゃくちゃ影響を受けてしまうのは仕方ないが、それでも決して自分を手放さず、なるべく惑わされずにどんなことでも「わたし」が感じたことを忘れないようにしたい。
それを軸に生きていきたいと強く思った。
ときたまこうした反省文を書きながら、自覚的に生きていこうと思う。
※アメブロからの転載です
https://ameblo.jp/nrm321nrm/entry-12418505140.html