見出し画像

【娘との暮らし】母乳で育てているわたしが今おもうこと。

娘がお腹にいた頃に、先輩ママさんから「母乳にするかミルクにするか決めてる?」と聞かれたことがあります。

その時は、娘が第一子ということもあり、母乳で育てるのかミルクで育てるのかを母親が決めていいのか〜と、
まだしっくりこないような、ぽやんとした気持ちで
「母乳とミルクの混合くらいにしようと思います!」と答えました。

先輩ママさんによると、第一子は母乳で育てたけど、母乳はおっぱいばかりになってしまい、自分の両親に長時間預けられず大変だったとのこと。

なるほどなぁ。

やっぱり預けて出かけたりする機会があった方が、赤ちゃんと自分のためにも良かったりするんだろうなぁ。

母乳もあげてみたいけど、そこまで母乳にこだわらない混合でいこうと、わたしはぼんやり決めました。

わたしと娘のおっぱい生活 初日。

初産にしては早い7時間でスポーンと出てきた娘。
助産師さんがすぐに娘の顔を見せてくれて、おっぱいをくわえさせてくれました。

産まれてすぐの娘がおっぱいを一生懸命吸おうとする姿を見て、つい先程まで陣痛に苦しんでいたことを忘れてしまうくらい、温かく、穏やかで、ほわっとした気持ちになったのを覚えています。

この世界に出てきたばかりで、まだ目も見えていないのに、わたしの隣でおっぱいを探す娘が可愛くて、愛しくて、生まれてきてくれてありがとうと何回も伝えました。

わたしと娘のおっぱい生活 入院中。

2600グラムほどの小さな娘を抱っこするのもヒヤヒヤで、おっぱいを吸わせる体勢もむずかしい。必死でおっぱいを吸わせてみるけれども、肝心の母乳が全然でない(涙)


私を産んだ母も母乳がなかなか出ず、入院中のベッドが隣だった方の母乳を代わりに飲ませてもらっていたという話を聞いていました。


情の深い母のことだから、当時はきっと悔しくて涙を流したのだろうなぁ。
我が子に自分の母乳をあげたかっただろうなぁ。

こういう事情で、母も母乳育児のことは全くわからず、おっぱいに関することは産院の助産師さんに何でも聞いていました。

入院中、毎日娘になんとか乳首を吸ってもらって、助産師さんの乳首ごりごりマッサージに耐え抜き、乳首がカピカピになろうが、切れて血がにじみ出そうが、わたしはおっぱいをあげようと必死でした。

しかし、娘が持ってきた水筒弁当もからっぽになり、私のおっぱいもなかなか出ず、入院後半はミルクを足すことを提案されました。

この時、初めての娘との入院生活(母子同室でした★)で涙がでました。


自分の母が朝からお見舞いでおっぱいがでるようにと赤飯を炊いてくれたのですが、母の顔を見ると涙がとまらなくなりそうで、そそくさと追い返し、母が帰ったあとで一人で泣きながらばくばくと赤飯を食べました。

母乳が出なかった母の当時の辛い気持ちも、この時よく分かりました。


わたしは娘を産む前は軽い気持ちで「混合でいきます!」
なんて言ったけれども、産まれた娘を目の前にすると
どうしても母乳をあげたい気持ちでいっぱいでした。

産む前と産んだ後の気持ちがまったく変化していて、ほんとうに不思議です。

そして、とうとうミルクをあげることになったのですが、ちょうど義理の両親がお見舞いに来てくれたので、義理の母が初めて娘にミルクをあげることになりました。 

ミルクをごくごく飲みほして、まだまだ欲しそうにする娘を見て、お腹空いてたんだなぁ。ごめんね。という気持ちと、よし!たくさんミルク飲んでもらってこれからどんどん大きくなるんだよ!という前向きな気持ちが芽生えました。


すがすがしく吹っ切れました(笑)

義理の母がミルクをあげるのを見て、こうやって人に預けることもできるのかと、ふと思ったところで、意固地になっていた自分をようやく客観視できたのだと思います。

わたしと娘のおっぱい生活 里帰り中。

産院から退院した後は、わたしの実家でお世話になりました。退院までにミルクの作り方や哺乳瓶の調達など、パパと連携して準備しました。


実家に帰ってからは、まずはおっぱいを吸ってもらって、その間、パパにミルクを作ってもらい、ぱぱっと飲ませてもらいました。

コロナ禍でパパも仕事が在宅ワークとなったので、ミルクをお願いする機会は多かったです。

パパと協力しあうことができる混合育児もなかなかよかったです。ミルクであれば自分の両親にも頼めるし、両親も久しぶりに子育てに参加できる機会が増えてとても嬉しそうでした。


私も、連日の寝不足とあって、その間少しでも休むことができました。

しかし、1ヶ月検診を過ぎたあと、娘が突然哺乳瓶を吸わなくなりました。


哺乳瓶でミルクをあげても瓶の乳首を噛むようになったのです。哺乳瓶の乳首を替えてもダメ、ミルクの味を変えてみてもダメ、スプーンで飲ませてみてもダメ。 

ミルク拒否のはじまりです。そうなると、わたしのおっぱいからでる母乳でしか娘は栄養をとれない状況になります。

せっかく混合でいこうと吹っ切れていた矢先に、なんと母乳しか飲みたくないと娘からアプローチされることになり、また気持ちを母乳育児に立て直さねばならなくなりました。

ここからが本当に大変でした。
おっぱいが軌道に乗るまで、とにかく娘は吸って吸って吸いまくりました。


ですが、母乳量は最初の頃に比べれば増えているものの、体重の増加になかなかつながらず、栄養面でかなりミルクに頼っていたことを思い知ります。

でも、娘は頑なにミルクは飲まない!と決めてしまったようでした(涙)なんでよ(涙)

こうなったら、わたしも覚悟を決めて、完母で育てるしかありません。

この娘の栄養はすべてわたしにかかっているんだ。
もうミルクのように周りのヘルプも受けられないんだ。
というプレッシャーがかかる日々でした。

そうすると、不思議なもので、わたしのおっぱいからも母乳がバンバンでるようになりました。なんなら自分の顔にかかるくらいまでプシューと(笑)

余りに出過ぎて乳腺炎にもなりかけましたが、助産師さんの神がかったおっぱいマッサージで何とか持ちこたえました。


娘はおっぱいを求めるわりには胃が小さく、すぐにお腹いっぱいになってしまうようですが、いつどきでもおっぱいを吸ってくれるので、体重は着実に増加するようになっていきました。

わたしと娘のおっぱい生活 現在。

現在、娘のおっぱいと呼ばれる頻度は2時間おき、もしくは1時間おきです!


夜中も日中もそれは変わらず、眠くなるとおっぱい、お腹空いてもおっぱい、嫌なことあるとおっぱい、離乳食食べても最後は別腹おっぱい(笑)ぱいぱい娘になってしまいました(笑)

なので、産後の寝不足と体力不足が母乳育児によりさらに悪化し、実家にはかなりお世話になりました。
3ヶ月以上実家にいたので母も父も孫と側にいられて嬉しそうでしたが。

わたしが体力的に完母生活に慣れたのは、産後半年過ぎてからでした。おっぱいあげる度に、自分もおにぎりかパンを必ず食べること、開き直って娘といっしょに寝ることをはじめてから元気になった気がします。

そんなこんなで母乳育児は本当に大変ですが、ここまで続けて思うことは、娘と一心同体である幸せと、娘がわたしを必要としてくれている幸せを感じられるということです。

人付き合いが苦手で仕事も辞め、主婦になってからは引きこもりがちなわたしでしたが、こんなにも自分を必要としてくれる人が身近にいてくれてとても嬉しい。


「あ、自分は娘におっぱいをあげるために生きてきたんだわ」と、初めてわたし自身の存在意義を見いだせた気がします。

それでも、いつかは娘もわたしのおっぱいを卒業する日がくるかと思います。今はその時まで、娘が求める限り、娘の気持ちに寄り添って母乳育児を続けていこうと思います。

卒乳のときはわたしの方が泣くかもしれないなぁ(笑)
以上、わたしが母乳育児について今思うことでした。

いいなと思ったら応援しよう!