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凸も凹もギフトとなる世界

「一人一人が凹んでると思っているところも含めて、そのままで良いと心の底から思える世界ってどんな世界だろう? 一人一人が唯一無二の存在としてありのままに個性を表現できる世界ってどんな世界だろう」

その問いを、私はメンタルモデルのオンラインセミナーに参加してから心の中に持ち続けてきました。

言葉としてはわかるのですが、府に落ちるレベルまでには行っていませんでした。

そんな時、ひょんなことから、スリクマ•ラオ(Srikumar Rao)さんのTedTalkを拝見して、「ひょっとして、こういう感覚が全てがありのままに存在していることなのかなぁ」と感じた瞬間があったので、そこで私が把握したことをシェアしたいと思います。

https://youtu.be/W7B_4zGHJQg

第一のキーワードは「静寂」です。例えば、私たちがきれいな山や湖や大自然に触れたときに、私たちは「静寂」を感じ、そこに深いレベルの幸せや満たされた気持ちを体験したことが人生の中で何度かあったのではないでしょうか。その時、私たちはそこにある自然をありのままに受け入れていたからこそ、心の中に静寂や平安を感じることができたのではないでしょうか。

その時に、山の位置が気に入らないので右に300メートルほど動かしたいとか、目の前の小枝が邪魔だから切りたいとか、そんな風には思わなかったと思います。そこには、何が余分にあるとか、何が欠けているかとかは一切関係なく、今ここにあるありのままの姿の美しさや完璧さを感じていたのではないでしょうか。

多くの人間社会では、何かが足りないと感じたり、何かが余計にあると感じると、そこから様々なアクションが生じ、様々なノイズが発生します。そして、そこから様々な対立が生じたりもやもやが生じたりして、さらにノイズが大きくなったりします。

しかし、尖っているところも、へこんでいるところも、唯一無二のありのままの美の1つとして存在していると、そこにはありのままの「表現」しか存在せず、何とかそのありのままを変えなければいけないという「行動」やそれに伴うノイズは発生し得ません。唯一無二であれば、そのカテゴライズをすることはそもそもできず、レッテル張りをすることが不可能だからです。

そこには常に「静寂」があります。もちろん、自然の中には様々な音が存在します。風の音、鳥のさえずり、小川のせせらぎ、しかし、それぞれの音はぶつかり合うことなく全体の中にブレンドされています。そしてそうした音のハーモニーの背後には常にいまここに「静寂」があるのです。エゴから発せられるノイズはありません。

私はこの「静寂」の体験こそ、人間が自分が凹んでいると思っているところも、かけがえのない美しさであり、贈り物であると言うことを体験してるときの感覚を私たちに教えてくれているんじゃないかと思ったのです。

第二に、スリクマさんは、「結果」ではなくいまここの「プロセス」に焦点を当てることの重要性を強調しました。現代社会は、「結果」に焦点を当てているため、様々な問題を発生させているといいます。そもそも、私たちは「結果」をコントロールすることができず、時として自分の望まない結果、正反対の結果を招いてしまうことも起こりえます。しかし、私たちは自分の行動であれば、かなりの部分はコントロールできるようになると思います。言い方を変えれば、プロセスの中でフロー状態になる事は十分に可能なことだと思います。この状態では、何が欠けているか、何が余分にあるか等は関係ありません。どちらも、フロー状態をさらに深いものにするためのきっかけに過ぎません。

つまり、「プロセスにフォーカスして、フロー状態を体験すること」も、私たちがありのままに存在するための鍵になるかもしれないなと思ったのです。しかし、過去の後悔や、未来の不安にさいなまれていたら今ここでフロー体験を堪能することができません。だからこそ、プロセスにフォーカスして、フロー状態を体験するという事は、今ここにフォーカスすると言うことなのです。

ところで、私たちが固定的に捉えている「自分」は、他者や環境との関係性において絶えず変化している「流れ(フロー)」であり、「開放型」であるので、そもそも定まった「結果」を目指して進む事は、厳密に言ったら不可能なのだと思います。つまり、「結果」も相対的なものであり、常に周囲との関係性において、いかようにも変容するものなので、そもそも私たちは「結果」を目指していると思っても、常にプロセスの中にいると言えるのではないでしょうか。

先ほど触れた、山や木や花や草やその他の大自然は、常に季節とともにその姿を変えています。別の言い方をすれば、生命の循環を繰り返しながら、常に変容を示している存在であるといえます。つまり、自然は、「結果」を目指しているのではなく、常に「プロセス」を生きているだけなのです。

まとめると、私たちが尖っていると思ってる部分も、凹んでいると思ってる部分もありのままに存在する世界観のキーワードは、いまここの「静寂」と「プロセス」なのではないかと思った次第です。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

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