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利他とクリスマスとお正月と

私たちの「利他」を問い直す
- 年末年始の贈り物から考える新しい視点 -

師走から新年にかけて、街は贈り物を手にした人々で溢れています。このような季節に「利他とは何か」という本と出会い、日本の贈り物文化を通して「利他」という概念を深く考えることになりました。

従来、私は利他的な行為を「相手の喜びを予測し、計画的に実行するもの」と捉えていました。しかし、この本は全く新しい視座を提供してくれます。

伊藤亜沙さんは利他を「うつわ(器)」として捉え直します。例えば、クリスマスに子供へおもちゃを贈る場面を考えてみましょう。「このキャラクターが好きだから、このように遊ぶだろう」という予測に基づく贈り物。しかし、そこには私たちの思い込みという制限が存在するのかもしれません。むしろ、贈られたものを通じて子供がどのように変容していくのか - その予測不可能性を受容し、信頼することこそが利他の本質ではないかと伊藤さんは提起します。

中島岳志さんは、人間の意思では制御できない「オートマティック」な働きの重要性を説きます。インドでの興味深い体験が、この考えを象徴的に示しています。重い荷物を手伝ってくれたインド人に感謝を示したところ、違和感を示されたというのです。それは、意図的な善行としてではなく、自然な援助の衝動として行われた行為だったからでしょう。現代社会における意図的な利他の限界と、人間の意思を超えた力によって自然に生まれる利他の可能性を、このエピソードは示唆しています。

國分功一郎さんは「中動態」という概念を用いて、人間の行為を能動でも受動でもない新たな視点で捉えます。利他的行為において重要なのは、誰が誰に対して意図的に行うかではなく、状況に対する自然な応答としての利他なのだと説きます。

これらの考察は、利他を単なる善意の押し付けや慈善的行為から解放し、相手の可能性を受け止める「うつわ」として再定義します。しかし、だからといって意図的な利他を全否定することも適切ではないでしょう。また、無意識の行為が必ずしも望ましい結果をもたらすとは限りません。

結局のところ、「何が良い利他か」という絶対的な基準は存在しないのかもしれません。むしろ、それぞれの関係性や状況の中で、どのような条件が揃えば人々がその行為を真の利他として感じられるのか、その解明こそが重要ではないでしょうか。そうでなければ、利他的意図を持った行為が、かえって相手の負担となったり、関係性を損なったりする可能性すら生じかねないのです。​​​​​​​​​​​​​​​​


野中恒宏

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