見出し画像

宮沢賢治と西田幾多郎が出会う交差点宇宙


宮沢賢治は、日本を代表する詩人・童話作家の一人です。子供向けの作品として親しまれていますが、大人になって読み返すと、その深遠な世界観と宇宙観に改めて魅了されます。

賢治の特徴的な点は、自然との関係性の捉え方にあります。岩手県の豊かな大自然の中で育った彼は、自分を自然から切り離された個体としてではなく、自然現象の一部として捉えていました。例えば『春と修羅』では、自身を「現象」として描写し、あたかも電灯の中の照明のように、より大きな存在の一部として表現しています。この表現からも、賢治が自分と自然を一体のものとして捉えていた認識が見て取れます。

興味深いことに、賢治は自身の創作プロセスについても独特な見方を持っていました。彼は「作品を書いている」というよりも、「自然によって作品を書かされている」という感覚を持っていたと言われています。実際、『銀河鉄道の夜』などの作品には、読者にも作者自身にも完全には理解できない神秘的な描写が含まれていますが、これらも自然の導きによって書かれたと賢治は考えていたようです。

この考え方は、現代の現象学的哲学との興味深い共通点を持っています。現象学では、人間は主観的意識(OS)の外に出ることができず、意識に映る現象を通じてのみ世界を理解できると考えます。そして、他者との対話を通じて、その意識の構造の中に普遍性を見出そうとします。賢治の世界観も同様に、意識の中に宇宙全体が存在し、その中で自然と一体となって創作が行われていたのではないでしょうか。

よくよく見れば、賢治の作品は、意識の中に現れた宇宙をスケッチしたものだったのかもしれません。実際、『春と修羅』の序文の中で彼自身も「心象スケッチ」という言葉を使っています。この表現は、彼の創作が単なる想像の産物ではなく、意識に映し出された宇宙の実相を描き取ろうとする試みだったことを示唆しているのではないでしょうか。

さらに注目すべきは、この世界観が西田幾多郎の『善の研究』で説かれた思想と深い共通点を持っていることです。西田は、主観と客観が合一した状態、つまり自己の意識と宇宙の意識が一つになった段階では、無意識のうちに善なる行為が自然と現れると説きました。この思想は、賢治の代表的な詩「雨ニモマケズ」に込められた精神と見事に重なります。大自然や大宇宙と合一した精神を持っていたからこそ(自らの意識の中に宇宙を見出していたからこそ)、賢治は自然から、宇宙から作品を書かされており、それは彼自身が全宇宙と統合した善行を実践していた証だったのではないでしょうか。

このように、賢治の作品は単なる童話や詩以上の哲学的深さを持っており、それが現代でも多くの読者を魅了し続ける理由の一つと言えるでしょう。彼の描く世界は、人間と自然の境界を超え、宇宙全体との調和の中で生まれた独特なものだったのではないでしょうか。



#童話の奥に潜む哲学
#宮沢賢治の世界観
#銀河鉄道の夜の真実
#自然と一体化した天才
#現代に響く賢治の宇宙
#岩手が生んだ世界的童話作家
#賢治文学の深層
#童話の向こうの宇宙
#なぜ大人も魅了されるのか
#宮沢賢治 創作の秘密
#西田哲学との響き合い
#善なる行いと宇宙 ​​​​​​​​​​​​​​​​

いいなと思ったら応援しよう!