苦痛を避ければ幸福か?
最近、自分の中で幸福感が変わってきたと感じています。例えば、「休みになったらどこに行きたいですか?」「お金がたくさんあったら何をしたいですか?」「もう一度生まれ変わるとしたら何をしたいですか?」といった質問を受けても、特にこれといった答えが浮かばなくなりました。むしろ、今のままで十分幸せだと感じています。
こうした質問には、「今が不幸であり、幸福はどこか別の場所にある」という前提が含まれているように思います。そして、幸福になるには「どこか別の場所に行く」「お金を手に入れる」「人生をリセットする」といった行動が必要だと暗に示しているようにも感じます。しかし、私は今のままで十分に満ち足りているのです。
そんな時に出会ったのが、ショーペンハウアーの『幸福について』という本です。この本では、自己啓発書にありがちな「積極的に幸福を追い求める行動」を推奨していません。むしろ、ショーペンハウアーは幸福を「苦痛がない状態」と定義しています。もちろん、100%苦痛のない人生はありませんが、彼の言う幸福とは「苦痛から適度な距離を保つこと」だと理解しました。
その中で特に印象に残った箇所を引用します。「私はあらゆる生きる知恵の最高原則は、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』でさりげなく表明した文言『賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める』だと考える」という部分です。また、次の言葉も心に残りました。「いかなる享楽も快楽も、明らかに消極的な性質のものであり、享楽が人を幸福にするというのは幻想である。これに対して苦痛は積極的に与えられ、具体的に感じられるものである。したがって、苦痛がないことこそが、人生の幸福を測る尺度となる」。
さらに、ショーペンハウアーは「苦痛のない状態で、しかも退屈していないならば、現世の幸福を基本的に手に入れたと言える。それ以外は妄想に過ぎない」と述べています。この言葉を読んで、私は自分が本を読んだり学びを整理したりすることに深い喜びを感じ、それらを行っている間は退屈をまったく感じない自分の幸福を再確認しました。
しかし、ショーペンハウアーの考えに共感する一方で、彼の幸福論には批判すべき点も感じます。たとえば、彼の幸福の定義が「苦痛がない状態」と消極的に留まっている点です。幸福は単に苦痛を避けるだけでなく、愛や成長、目標達成といったポジティブな要素によっても形作られるはずです。また、彼の思想は孤独を重視していますが、人間にとって他者との関わりや連帯感は幸福の重要な源泉でもあります。孤独に価値を見出す彼の視点には共感する部分もありますが、それだけでは十分とは言えません。
さらに、ショーペンハウアーが過度に苦痛を重視することで、苦痛が人間の成長や自己超越のきっかけになる可能性を見落としているのではないかとも思います。たとえば、困難に立ち向かい、それを乗り越えた先に得られる充足感や成長は、単に苦痛を避けるだけでは得られないものです。
今回この本を読んで、今の自分の幸福観を肯定されたような、後押しされたような気持ちになりました。しかし同時に、ショーペンハウアーの哲学を踏まえつつも、苦痛の回避だけでなく、積極的な意味での幸福を追求する道を模索したいと感じています。彼の思想は私の幸福観を再確認するきっかけになり、それと同時に、自分自身の考えをさらに深めるための刺激にもなりました。