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なぜ政治も宗教もお金に頼ってしまう団体があるのか?

島田裕巳氏の『日本の10大カルト』から得られた学びについて、私なりの考察を共有させていただきたいと思います。この本を読んで、カルト教団が社会問題として認識されながらも多くの信者を集める背景について、いくつかの気づきを得ることができたように思います。

人々がカルト教団に引き寄せられる要因の一つとして、「孤独」という観点が興味深く感じられました。例えば、大学新入生の時期は特に孤独を感じやすい時期かもしれません。私自身も当時、様々な団体から声をかけられた経験があり、孤独な人間にとって、見知らぬ人からの親切な言葉かけは、大きな心の支えとなり得るのではないかと考えています。このような人間の自然な心理が、時としてカルト教団に利用される可能性があるのかもしれません。

人間は、自分の自由意志とは無関係に、特定の時代や場所に投げ込まれる形で生まれてきます。また、人間は原理的に主観の外に出ることができず、客観的な世界にある絶対的な真理には到達できません。そのため、「自分はなぜここにいるのか」「どこから来てどこへ行くのか」という実存的な問いを抱えることは自然なことかもしれません。孤独な時期にはこうした不安が特に強まる可能性があり、その時に誰かが「答え」を示してくれれば、それに救いを求めたくなる気持ちも理解できるように思います。


また、宗教とお金の関係についても考えさせられました。宗教活動の維持には一定の資金が必要だとされていますが、利益追求が過度になると、カルト化につながる可能性があるのかもしれません。この問題は政治の世界でも似たような構図が見られるように思います。


宗教団体も政治団体も、ある程度の支持を得なければ存続が難しいのかもしれません。人間は原理的に絶対的な真理に到達できない以上、教義や理念だけでは十分な支持を得られず、時として金銭的な誘引に頼ってしまうケースがあるのではないでしょうか。

宗教そのものは人類にとって重要な意味を持ち得ますが、極端な金銭至上主義や排他的な教義の主張は、場合によって社会問題につながる可能性があるように思います。歴史を振り返ると、絶対的真理の主張が対立を生み、時には深刻な争いを引き起こしてきた例も見られます。


このような問題に対して、哲学が示してきた「自由の相互承認」という考え方は、一つの示唆を与えてくれるかもしれません。他者の自由を侵害しないという姿勢は、多様な価値観が共存する現代社会において、参考になる視点なのではないでしょうか。​​​​​​​​​​​​​​​​


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