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OLDIES GOODIES #8_Little Richard, Fats Domino(ロックンロール創始者の一人)

ミュージックフリークマガジンいち押しラジオ番組♪♪♪
フォークシンガー・ばんばひろふみ氏と、音楽プロデューサー・長戸大幸氏が圧倒的な音楽知識と豊富な経験で、1950~70年代の洋楽を中心に多くのアーティストがカバーする大ヒット曲やここでしか聴けない激レア音源等を紹介してくれる「OLDIES GOODIES」をご紹介!

ばんばん&大幸の「オールディーズ グッディーズ」第八回目。
正攻法ポピュラー・ミュージックの原点とも言える50年代ロックンロールの創始者特集。紹介するのはエルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ベン・E・キングの名曲から、ジョン・レノンのR&R、楽曲「カンサス・シティ」にまつわるR&R仰天話、そして最後はファッツ・ドミノに辿り着くまで。
アーティストから楽曲からエピソードに次ぐエピソードで、60年代ポピュラー音楽史を語り尽くす。痛快無比なジェットコースター的番組展開も板についてきた。

ばんばん)こんにちは、ばんばひろふみです。
 
大幸)長戸大幸です。
 
ばんばん)今週も始まりました「オールディーズ・グッディーズ」。今週はロックンロールをね。
 
大幸)そうですね。「ロックンロールの創始者たち」を紹介します。
 
ばんばん)創始者!
 
大幸)まず基本の、リトル・リチャード(※注釈1)から。
 
ばんばん)僕らもやっぱり、全て始まりはロックンロール(※注釈2)でしたよね、日本でもね。
 
大幸)まずロックンロールって、3コードと言われているギター・コード。最初ギター持って、アレが分かるまで僕らも時間がちょっとかかりましたよね。
 
ばんばん)ですね。それでみんながセッションするのはロックンロールの「ジョニー・B・ グッド」(※注釈3)とか色々ね。
 
大幸)「ハウンドドッグ」(※注釈4)とかもみんな同じ。コード進行が一緒なんで。
 
ばんばん)一緒ですよね。でもそれぞれに個性がすごく出るという。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)今日はそのロックンロールの魅力をたっぷり大幸さんに説明してもらいます。
 
大幸)まずは、ビートルズの「のっぽのサリー」(※注釈5)から聴いてください。

TR-1 Long Tall Sally(のっぽのサリー)/ The Beatles

(※注釈1)リトル・リチャード( Little Richard、1932−2020)は、アメリカのミュージシャン、シンガーソングライター。1955年デビュー。ロックンロールの創始者の一人。チャック・ベリーやファッツ・ドミノらと共に、ロックンロールの草分け的なミュージシャンとして知られている。代表曲は「Tutti Frutti」(トゥッティ・フルッティ)、「Long Tall Sally(邦題:のっぽのサリー)」、「Lucille」(ルシール (Lucille)、「Jenny, Jenny」(ジェニ・ジェニ)他。エネルギッシュな歌唱法で、草創期のロックに影響を与えた。リトル・リチャードに影響を受けたとされるミュージシャンには、ポール・マッカートニー、プリンスらがいる。

(※注釈2)ロックンロール(Rock and Roll, Rock ’n’ Roll)は、1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称である。語源は、古くから黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味もあり、これを一般的に広め定着させたのは、DJのアラン・フリードであった。1960年代半ばには、ロックンロールが進化して抽象的、芸術的かつ多種多様なサウンドが登場、それらの総称として「ロック」という言葉が使われるようになった。

(※注釈3)「ジョニー・B・グッド」(Johnny B. Goode)は、1958年にシングルとして発売されたチャック・ベリーの楽曲。ロックンロールのスタンダード・ナンバーの一つとして知られる。全米チャート最高8位、R&Bシングル・チャートで最高2位を記録。

(※注釈4)「Hound Dog」(邦題:ハウンド・ドッグ)は、1956年にエルヴィス・プレスリーが発表したシングル。シングルのB面は「Don't Be Cruel」(邦題:冷たくしないで)だった。1956年8月18日に、ビルボード誌チャート11週連続NO.1という驚異的な記録を出し、この年の年間ランキング第1位となった。原曲は、ビッグ・ママ・ソーントンが歌ったブルース。ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの作品。"Hound Dog"は、俗語で「口だけは達者な奴」「女たらし」の意。"rabbit"は「女」を表す。

(※注釈5)Long Tall Sally(邦題:のっぽのサリー):ビートルズはかねてよりリトル・リチャードのファンで、活動期にはリチャードの楽曲を多く演奏していた。その中でも本作は、ビートルズのライブの定番曲と一つとされており、1966年8月の最後のコンサートまで演奏されていた。リード・ヴォーカルはポール・マッカートニー。 ビートルズによるカバー・バージョンは、イギリスでは1964年6月19日に発売されたオリジナルEP『ロング・トール・サリー』のA面1曲目に、アメリカではキャピトル編集盤『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』に収録されてリリースされた。

大幸)ポールが高い声を出して歌ってますね。
 
ばんばん)僕らビートルズ世代の人間っていうのは、ロックンロールといったらやっぱりビートルズで知りましたよね。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)で、ポールがコレを歌ってて、すげえかっこよかったやないですか。ほんで「コレ、誰や?」ということで遡っていくと、実はビートルズで。僕もみんなも、最初はポールのオリジナルかと思ってましたよね。
 
大幸)(笑)。僕はね、もう少し古かったんですよ。(ロックンロールは)プレスリーから入ってます。
 
ばんばん)エルヴィス・プレスリー(※注釈6)っていうと、「ハウンドドッグ」とかあの辺でね。
 
大幸)では、まずリトル・リチャードの「Long Tall Sally」(※注釈7)を。タイガースの岸部一徳さん(※注釈8)が「サリー」っていうのは、ロングトールだったからなんです。
 
ばんばん)あっ、あの人背が高いから? そうか、それで「サリー」っていう名前になった(笑)
 
大幸)そうそう。
 
ばんばん)なるほど。あの〜、リトル・リチャードっていう人は、後で見た時に驚いたんですけど、なんか化粧をして服装もきらびやかな風貌で、それでピアノを弾きながら歌うと突然ワーッとなるんですよね。すごくかっこよかったですけど。
 
大幸)はい。でも彼は同性愛好者って小さい時から自分で言っていて。
 
ばんばん)そうですよね。当時からカミングアウトしてんるですよね。
 
大幸)そう、カミングアウトしてるんだけど、もう家では養えないってことで父親から追い出されるんです。それで白人家庭の養子になるんですよ。
 
ばんばん)へ~そうなんですか。だからああいう、ある意味女装みたいな恰好でロックンロールを歌うという。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)そのミスマッチのすごさが、なんか良かったですよね。
 
大幸)そうです。しかも足を上げて歌ったりだとか、後のエルトン・ジョン(※注釈9)たちがやってたようなことを。
 
ばんばん)あれの原型は全部。
 
大幸)彼ですよね。
 
ばんばん)ポール・マッカートニーなんて、リトル・リチャード大好きですよね。
 
大幸)そうそう。あの「フゥー♪」っていう所とか、そっくり真似てる。
 
ばんばん)似てますよね。
 
大幸)じゃあ、そのリトル・リチャードで「Long Tall Sally」。

TR-2 Long Tall Sally / Little Richard

(※注釈6)エルヴィス・プレスリー (Elvis Aron Presley、1935−1977) は、アメリカのミュージシャン、映画俳優。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは6億枚以上とされている「世界史上最も売れたソロアーティスト」の第1位。「キング・オブ・ロックンロール」と称される。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半のポピュラー音楽の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こした。ザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、エルトン・ジョン、ロバート・プラント、フレディ・マーキュリー等、後に音楽業界で成功したロック・ミュージシャン、特にヴォーカリストたちが憧れたことでも知られる。

(※注釈7)リトル・リチャードの「Long Tall Sally」(邦題:のっぽのサリー)は、1956年3月にスペシャルティ・レコードからシングル盤発売された。この曲は、ロックンロールのスタンダード・ナンバーとなり、ビートルズやエルヴィス・プレスリーをはじめとした多くのアーティストによってカバーされた。

(※注釈8)岸部 一徳(きしべ いっとく、1947-)は、日本の俳優、ミュージシャン(ベーシスト)。愛称はサリー。ザ・タイガース、PYG、井上堯之バンドのベーシストとして活躍し、その後俳優に転じている。

(※注釈9)エルトン・ジョン(Sir Elton Hercules John、1947-)は、イギリスのミュージシャン、シンガーソングライター。代表曲に「僕の歌は君の歌」「クロコダイル・ロック」「キャンドル・イン・ザ・ウインド」等がある。シングルとアルバムの総売り上げは3億枚以上とされており、これは「史上最も売れたアーティスト」で5位の記録とされる。1969年ソロ・デビュー。1970年の「僕の歌は君の歌」」のヒット以降コンスタントに活動を続け、現在までに全世界で3億枚以上のレコード・セールスを記録。世界で最も成功した男性ソロ・アーティストの一人。

ばんばん)リトル・リチャードを聴いていただいんですけど、これは彼自身が作ったんでしょう?
 
大幸)はい。
 
ばんばん)で、「あ゛ぁー♪」「アゥー♪」とか。
 
大幸)「フゥー♪」とかね。
 
ばんばん)そう。アレも全部リトル・リチャードが編み出したというか。
 
大幸)そうでしょうね。
 
ばんばん)すごいですよね。
 
大幸)だからもう本当にロックンロールの創始者ですよ。
 
ばんばん)ですよね。それ以前が何もなかったじゃないですか。
 
大幸)そうですね。
 
ばんばん)突然、こういうことを作ったわけでしょう?
 
大幸)はい。プレスリーとかにもすごく影響を与えてると思います。
 
ばんばん)プレスリーも結構ロックンロールですよね。
 
大幸)はいはい。この「Long Tall Sally」(※注釈10)も歌ってるんで。じゃあプレスリーを聴いてください。

TR-3 Long Tall Sally / Elvis Presley

(※注釈10)プレスリーがカバーした「Long Tall Sally」:1950〜60年代は、一つのヒット曲があれば、その楽曲を複数のアーティストがカバーしてリリースするのは当然とされていた。エルヴィスはリトル・リチャードのこの曲を1956年10月リリースの2ndアルバム『エルヴィス』に収録。リチャードの発売が同年3月だったことから、かなり早い時期にカバーしていることが窺える。ワイルドに歌い込んでいるのが印象的だ。

ばんばん)エルヴィスの「Long Tall Sally」を聴いていただいてますけど、やっぱりビートルズとエルヴィスを聴き比べたら、ビートルズの方がリトル・リチャードのエグさみたいなものをそのまま継承してますよね。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)エルヴィスになるとちょっとこう、変えてますよね。そこら辺が面白いなと。大スターやったからですかね。
 
大幸)はっはっ、どうでしょうね(笑)。ところで、僕はリトル・リチャードは「Jenny Jenny 」(※注釈11)って曲で初めて知ったんです。
 
ばんばん)コレ、鈴木やすし(※注釈12)さんの「Jenny Jenny Jenny~♪」ってやつでしょう?
 
大幸)そうそう、それをちょっと聴いてください。

TR-4 JENNY JENNY / Little Richard

(※注釈11)「Jenny Jenny 」:リトル・リチャードと言えば、ビートルズでもよく知られた「のっぽのサリー」(1956年・全米6位)だが、この♪ジェニー・ジェニーも1957年に全米10位を記録。日本では、鈴木やすしのカヴァーが有名。

(※注釈12)鈴木 やすし(1941-)は、日本の歌手、俳優、タレント、声優。 大学時代には「ダンディーウェスト」を結成、ロカビリー全盛期時代に活躍。1961年、ジャズ喫茶に出演している時にスカウトされ、フジテレビ「ジャズ・トーナメント」の司会と歌でレギュラーに抜擢。以後、数々のTV番組の司会を務め、その他タレント・俳優・声優としても活躍中。

大幸)リトル・リチャードって1955年にデビューして、1957年に突然引退するんですよ。2年後に。
 
ばんばん)あっそうなんですか、何してたの?
 
大幸)大学に行って神学を学んで、牧師になるんです。牧師になってゴスペルを歌ってた。
 
ばんばん)え~牧師になるんですか? はあ~。
 
大幸)だからたった2年間で辞めちゃったので何かあったのかな? 例えば事務所と喧嘩したとか、分からないけど。 
 
ばんばん)あ~当時ね。まあそういうただたんに神の教えを求めるために牧師になったんじゃなくて、そういう風に追いやられたというようなことなんですか?
 
大幸)う〜ん。それでまた1962年にカムバックするんですけどね。
 
ばんばん)ほう。
 
大幸)そのカムバックした時の前座がビートルズだったんです。
 
ばんばん)はあ~、時代がそこへ遡ってくるわけですか。それでビートルズはリトル・リチャードを生で聴いて影響を受けた!?
 
大幸)そうそう。で、その時リチャードのバックでギターを弾いてたのがジミー・ペイジ(※注釈13)。後のね。
 
ばんばん)へえ~、リトル・リチャードのバックで?
 
大幸)スタジオ・ミュージシャンやってたジミー・ペイジが、ヤードバーズ(※注釈14)に入る前のことです。
 
ばんばん)ほう~、そうなんですか。
 
大幸)ヤードバーズをエリック・クラプトン(※注釈15)が辞めた後にジミー・ペイジに話すんですけれども、「ちょっとやっぱやりたくない」と言って、ジェフ・ベックに譲るんです。バックミュージシャンの方が食えてたみたいで。でも結局、入るんですけどね、ヤードバーズに。
 
ばんばん)そうですね、最後はね。
 
大幸)入って、名前を変えてレッド・ツェッペリンになってということだけども……。今日のテーマは「KANSAS CITY」(※注釈16)という曲がありまして。
 
ばんばん)これも、僕らビートルズで知りましたけど。
 
大幸)そうなんですよ。これ元々はジェリー・リーバーとマイク・ストーラーっていう人の曲、いわゆるリーバー&ストーラー作品(※注釈17)っていうのが当時業界では有名で、この人たちが作った一番有名な曲がベン・E・キング(※注釈18)の「STAND BY ME」(※注釈19)。
 
ばんばん)映画でも大ヒットして、もうスタンダード・ナンバーですよね。
 
大幸)そうそう。あと「Hound Dog」(※注釈20)も「監獄ロック」(※注釈21)も彼らの作品なんですよ。
 
ばんばん)すごいじゃないですか。この人は白人?
 
大幸)白人です。「Hound Dog」っていうのは別にプレスリーに最初書いたんじゃなくて、違う女性に書いたんだけど、それがプレスリーに話がいくんですけどね。
 
ばんばん)まあ、僕らはプレスリーのヒット曲で知ってますよね。
 
大幸)はい。知ってるけど、まずは彼らが作った1952年の「KANSAS CITY」を聴いてもらいましょう。リトル・ウィリー・リトルフィールド(※注釈22)っていう長い名前ですけど、リトルが付いてるからやっぱり若かったかもしれないですよね。
 
ばんばん)うん。じゃあリトル・ウィリー・リトルフィールドのバージョン「KANSAS CITY」をどうぞ。

TR-5 KANSAS CITY / Little Willie Little Field

(※注釈13)ジミー・ペイジ(James Patrick Page、1944-)は、イギリスのロック・ギタリスト、作曲家、プロデューサー。HR/HM(ハードロック/ヘビーメタル)の代表格であり、ビジネス的にも大成功したレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダー&プロデューサー。
1963年頃からアートスクールとの二足の草鞋でセッション・ギタリストして活躍、数々のレコードに参加する。クラプトン脱退後のヤードバーズへの参加を要請されるもののこれを辞退し、以前からの知り合いであるジェフ・ベックを推薦する。ところがその後、ベースのポール・サミュエル・スミスが脱退したため、1966年6月ヤードバーズにベーシストとして加入。その後ベックの代役でギター・パートへ転向。ベック復帰後は彼とのツインリード・ギターのスタイルがバンドの売りとなった。その後「トレイン・ケプト・ア・ローリン(ストロール・オン)」、「幻の10年」、「幻惑されて」(原題:Dazed and confused)などの曲を残すが、後にジェフ・ベックが脱退。更にメンバーの不仲からヤードバーズ自身も1968年に空中分解、解散状態となる。

(※注釈14)ヤードバーズ(The Yardbirds)は、イギリスのロックバンド。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジら有名ギタリストを輩出したことで知られ、レッド・ツェッペリン結成の母体ともなったグループ。1960年代前半、ロンドンのナイトクラブ「クロウダディ・クラブ」でプロデビューしたローリング・ストーンズの後釜として店主のジョルジョ・ゴメルスキーがバックアップした。不良っぽいイメージのあったストーンズとは一味違ったスタイルのバンドを、「クロウダディ・クラブ」の舞台に立たせたかったという。

(※注釈15)エリック・クラプトン(Eric Patrick Clapton、1945-)は、イギリスのミュージシャン、ギタリスト。1960年代からヤードバーズ、クリーム等のバンドでギタリストとして活動。「スローハンド」と呼ばれるギターの名手として知られ、世界的な支持と人気を持つ。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人。

(※注釈16)「KANSAS CITY」(カンサス・シティ)は、1952年ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによって書かれたR&Bナンバー。リトル・ウィリー・リトルフィ―ルドは、本作を「K.C.ラヴィング」というタイトルでリリース。ウィルバート・ハリスンによるシングルはビルボードホット100とR&Bチャートで7週連続1位を獲得、1959年最も売れたレコードの一つとなった。なお、同作はアメリカはSP盤としてリリースされた最後の作品となった。

(※注釈17)リーバー&ストーラーは、クローバーズの「ラブ・ポーションNo.9」、ビッグママ・ソーントンの「ハウンドドッグ」、ウィルバート・ハリソンの「カンサス・シティ」等、ソウル、R&Bの名曲を多数作曲した名コンビだった。

(※注釈18)ベン・E・キング(Benjamin Earl King、1938−2015)は、アメリカのR&B、ソウル歌手。「スタンド・バイ・ミー」のヒットで知られる。1958年にリード・シンガーとしてドリフターズに加入。「ダンス・ウィズ・ミー」、「ラストダンスは私に」等、数々のヒットを放つ。1960年ドリフターズを脱退しソロ歌に転向。1960年に「スタンド・バイ・ミー」の大ヒットを放った。

(※注釈19)「Stand by Me」(スタンド・バイ・ミー)は、1961年11月にアメリカで発売された。ベン・E・キングのシングル曲。元々黒人霊歌の「Lord Stand by Me」という曲であり、これにインスパイアされた形で生まれた。スタンダードナンバーとしてジョン・レノンをはじめ多くの歌手にカバーされている。1986年には映画『スタンド・バイ・ミー』の主題歌に起用されてリバイバルヒットした。

(※注釈20)「Hound Dog」(ハウンド・ドッグ)は、1956年にエルヴィス・プレスリーが発表したシングル。シングルの別面は「Don't Be Cruel」(邦題:冷たくしないで)だった。ビルボード誌では、1956年8月18日にチャート11週連続No.1という驚異的な記録を出し、この年の年間ランキングで第1位となった。

(※注釈21)『監獄ロック』(原題:Jailhouse Rock)は、1957年制作エルヴィス・プレスリー主演のアメリカ映画。彼の3本目の主演映画であり、主題歌はもちろんプレスリーの「監獄ロック」。

(※注釈22) リトル・ウィリー・リトルフィールド(LITTLE WILLIE LITTLEFIELD、1931– 2013)は、アメリカのR&Bシンガー、ブギウギピアニスト。 1949年に18歳でデビュー。1952年に「カンサス・シティ」の最初のバージョンを録音し(元々は" K. C. Lovin '"として発売)、その後ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによって再録音され、それがウィルバート・ハリソンの「カンサス・シティー」 となった。

ばんばん)僕が持ってるビートルズのポールの歌のイメージと違って、原曲はもっとなんかリズム&ブルースっぽいですね。
 
大幸)そうですね。これはやっぱりリーバー&ストーラーの感じでヒットしたんですけども、1952年なのでロックンロールが出てくる前ですよね。(※注釈23)
 
ばんばん)はっは~。
 
大幸)で、コレをですね〜。あっ、説明に入る前にそのリーバー&ストーラーのベン・E・キング聴いてみましょうか。「Stand By Me」。

TR-6 Stand By Me/Ben E. King

(※注釈23)「ロックンロール」という言葉は、1950年代初めにラジオDJのアラン・フリードが使い始めて広まったと言われており、一般的には1954年ビル・ヘイリー&ヒズコメッツが発表した「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が元祖の曲で、翌1955年のプレスリー人気によって社会的に「ロックンロール」が認知されたと考えられている。

大幸)ベン・E・キングは、元々ザ・ドリフターズ(※注釈24)のヴォーカルです。「ラストダンスは私に」(※注釈25)とか。
 
ばんばん)ねっ。「アンダー・ザ・ボードウォーク」とか。
 
大幸)そう。そのグループのヴォーカルだったんですよ。
 
ばんばん)この歌は、またジョン・レノンがカバーして大ヒットしてますね。
 
大幸)そうですね。またどこかでかけましょうか。まっ、今日かけてもいいんですけど(笑)。かけます?
 
ばんばん)ジョン・レノンもいきましょうか。
 
大幸)ジョン・レノンの「Stand By Me」(※注釈26)もかけてください(笑)

TR-7 Stand By Me /John Lennon

(※注釈24)ドリフターズ(The Drifters)は、アメリカのコーラス・グループ。1953年に結成。ザ・ドリフターズには1950年代初頭、1960年代、1970年代初頭という3つの黄金時代があった。クライド・マクファターによって結成された最初のドリフターズは、「ザ・ドリフターズ」としてヴォーカルグループの殿堂入りを果たした。ベン・E・キングを主演者とする2番目のドリフターズは、「ベン・E・キング&ザ・ドリフターズ」としてヴォーカルグループの殿堂入りを果たした。

(※注釈25)「ラストダンスは私に」(Save the Last Dance for Me)は、アメリカのコーラス・グループ、ドリフターズの楽曲。レコード発売当時のリード・ヴォーカルは、その後間もなくグループを脱退するベン・E・キング。日本では越路吹雪が歌唱したものがヒットしたことによって知られている(岩谷時子による日本語詞)。

(※注釈26)ジョン・レノンの「Stand By Me」:1975年にジョン・レノンがカヴァー・アルバム『ロックンロール』に収録、3月10日にシングルリリース。全米で20位、全英30位。

大幸)それでまたまた「カンサス・シティ」に戻るんですけど、1959年かな?「カンサス・シティ」のカバーレコードがいっぱい出てまして。
同じ頃にカバーした中で元の原曲に近い感じでやってるのがウィルバート・ハリソン(※注釈27)っていう人で、これもジャケットを見たらブルーのジャケットで。

ばんばん)なんかドラをゴーンとド突いてる写真で(笑)。
 
大幸)はい(笑)。まずこれ聴いてみましょう。

TR-8 KANSAS CITY / Wilbert Harrison 

(※注釈27)ウィルバート・ハリソン(Wilbert Harrison、1929−1994)は、ノースカロライナ出身のR&Bシンガー。1952年に作られ、リトル・リチャードらも歌った「カンサス・シティ」を1959年にカバー&リリースし、大ヒット。ビルボード誌のビルボードHOT 100と、HOT R&Bチャートで7週連続で1位を獲得し、1959年最も売れたレコードの一つとなった。なお、同作はアメリカでSP盤としてリリースされた最後の作品となった。

大幸)それで、この曲で話しとかないとまずいのは、ビートルズのこの曲って「hey hey hey hey」って出てくるでしょう?
 
ばんばん)「hey hey hey hey~♪」。
 
大幸)リトル・リチャードで「Hey Hey Hey Hey」(※注釈28)って曲があるんです。
 
ばんばん)ああそっか、その曲を二つ繋げたと。ビートルズが?
 
大幸)そう。だから結局、僕らはみんな「カンサス・シティ」として聴いてるんだけど、当時問題になったのは「カンサス・シティ」っていうのは、いわゆるリーバー&ストーラーとリトル・リチャードの共作という形になってまして、最終的に「KANSAS CITY / HEY HEY HEY HEY」っていうタイトルに変わるんですよ。
 
ばんばん)
あ~そうなんですか。
 
大幸)そのリトル・リチャードの「Hey Hey Hey Hey」聴いてください。

TR-9  Hey Hey Hey Hey / Little Richard

(※注釈28)「ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」(Hey-Hey-Hey-He)は、リトル・リチャードの楽曲。1956年5月9日、ルイジアナ州ニューオーリンズにあるJ&M Studioでレコーディングされた。1955年にリトル・リチャードは、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによって書かれた楽曲「カンサス・シティ」のカバー・バージョンのレコーディングを行なった。1955年11月29日に録音された音源は、リトル・リチャードによって大幅に作り変えられ、後半が「Hey, hey, hey, hey; Hey baby, hey child, hey now」というフレーズのリフレインに変更された。

ばんばん)これはすごいですね。
 
大幸)うん。だからビートルズはリトル・リチャード・バージョンをカバーしたんですよ。だから「Hey Hey Hey」が出てくる。
 
ばんばん)ということは、リトル・リチャードはその「カンサス・シティ」を歌って、ほんで自分が作った「Hey Hey Hey Hey」を繋げてやったわけですか。
 
大幸)入れて、やってたんです。
 
ばんばん)で、それをビートルズが聴いて、それが「カンサス・シティ」だと思ったと。
 
大幸)そう。
 
ばんばん)はっは~。
 
大幸)というわけで、ビートルズの「カンサス・シティ」(※注釈29)を聴いてみてください。

TR-10 KANSAS CITY / The Beatles

(※注釈29)ビートルズの「カンサス・シティ」:ビートルズは、リトル・リチャードによるカバー・バージョンと、オリジナル「ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」(Hey, Hey, Hey, Hey)のメドレーを踏襲してカバーしている。イギリスでは1964年12月4日に発売された。ビートルズ・ヴァージョンのタイトルは、発売当時「カンサス・シティ」のみのクレジットだった。

大幸)「カンサス・シティー」も聴いていただきましたけど、これ1997年にモントセラト島救済コンサート(※注釈30)っていうのがあって、ここにカール・パーキンス、エルトン・ジョン、スティング、エリック・クラプトン、ポール・マッカートニーが出てるんです。その時の「カンサス・シティ」を聴いてください。
 
ばんばん)ほう、錚々たるメンバー! どうぞ。

TR-11  KANSAS CITY / Paul McCartney

(※注釈30)『モントセラト島救済コンサート』(ないし、『ミュージック・フォー・モントセラト』(Music For Montserrat) は、1997年9月15日にロイヤル・アルバート・ホールで開催された慈善コンサート。ミュージシャン達は、カリブ海にあるイギリスの海外領土モントセラト島の火山が大爆発を起こして首都プリマスを含む多くの地域が破壊された災害を救援するための募金集めに参加した。参加メンバーは、フィル・コリンズ、カール・パーキンス、スティング、エルトン・ジョン、エリック・クラプトン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソンほか錚々たるメンバー。全員が、この島のレコーディング・スタジオで、過去にレコーディングをした経験があった。

ばんばん)今のは色んな人がセッション?
 
大幸)はい。
 
ばんばん)ポールが歌ってるんですよね?
 
大幸)そう。まずカール・パーキンスが最初の間奏で弾いて、ジョージ・マーティンがピアノを弾いて〜。
 
ばんばん)すごいピアノでしたね。リード・ギターは?
 
大幸)リードは、最後のソロがクラプトンですね。
 
ばんばん)すごいメンバーでやった「カンサス・シティ」でした。
 
大幸)はい。ではそのリトル・リチャードの「カンサス・シティ」(※注釈31)聴いてみましょう。

TR-12  KANSAS CITY / Little Richard

(※注釈31)リトル・リチャードの「カンサス・シティ」:リトル・リチャードの「カンサス・シティ」のカバー・バージョンのレコーディングは、1955年9月13日(ロバート・ブラックウェル・プロデュース)と、11月29日(アート・ループ・プロデュース)の2回に分けて行われた。
11月29日に録音された音源は、リトル・リチャードによって大幅に作り変えられ、後半が「Hey, hey, hey, hey; Hey baby, hey child, hey now」というフレーズのリフレインに変更された。11月29日版は、1958年後半に発売された3作目のアルバム『The Fabulous Little Lichard』に収録された後、1959年4月にはシングル盤としてリリースされた。

ばんばん)今リトル・リチャードを聴いてふと思ったんですけど、ビートルズが演奏してる「カンサス・シティ」って結構カントリーチックでしょう? でも、リトル・リチャードが演奏するとやっぱり違いますね。カントリーにはならない。これが正規の「カンサス・シティ」なんですか?
 
大幸)まあそうでしょうね。彼はいわゆる最初のゲイですからね。黒人のゲイっていうことは、これ結局グラム・ロックにも影響を与えるじゃないですか。T-REX(※注釈32)とか。
 
ばんばん)T-REX 、マークボラン(※注釈33)ですね。
 
大幸)あとロキシー・ミュージック(※注釈34)やプリンス(※注釈35)とか。
 
ばんばん)ああ~、全部脈々とリトル・リチャードから、そういう見た目も繋がっていってると。
 
大幸)そうですね。でもう一つ、リトル・リチャードに「愛しておくれ」って曲があるんですけど。
 
ばんばん)タイトルが、「センド・ミー・サム・ラヴィン」(※注釈36)。

大幸)これ、僕ね高校一年生の時に、ポール岡田(※注釈37)という人と一緒にバンド組むんだけども。
 
ばんばん)ああ、お友達の同級生と。
 
大幸)そうそう。彼と初めて話していた時のレコードがこの曲だったんです。私としては忘れられない曲なんですよ。
 
ばんばん)じゃあわりと思い出の曲なんですね。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)では、リトル・リチャードで「センド・ミー・サム・ラヴィン」。

TR-13  Send Me Some Lovin’(愛しておくれ)/ Little Richard

(※注釈32)T・レックス(T. Rex)は、英国出身のロックバンド。 マーク・ボランを中心に活動。フォークロックバンドからスタートし、改名後はグラムロックの代表格として人気を博した。1970年代前半のグラムロック・ムーブメントでは、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージック等と共に、ジャンルを代表するアーティストとなった。

(※注釈33)マーク・ボラン(Marc Bolan、1947−1977)は、イギリスのロック・ミュージシャン、シンガーソングライター。ロックバンド「T・レックス」のヴォーカル&ギタリスト。1970年代前半に流行した「グラムロック」の代表的アーティストとして活躍した。

(※注釈34)ロキシー・ミュージック (Roxy Music)は、1971年にデビューしたイギリスのロック・グループ。ブライアン・フェリーの個性的なヴォーカルを中心に、芸術志向のグラム・ロックなどを発表した。 バンド名の「ロキシー」は、1950年代のイギリスで事業展開していた映画館チェーン「ロキシー」に因む。

(※注釈35)プリンス (Prince Rogers Nelson、1958−2016)は、アメリカのミュージシャン、マルチインストゥルメンタリスト、作曲家、音楽プロデユーサーであり、80年代を代表するアーティストでもある。彼の特異な風貌やセクシャリズムのアピール性は、リトル・リチャードからの影響を存分に感じさせるものである。

(※注釈36)「愛しておくれ」(Send Me Some Lovin')は、1950年代に生まれたロックのスタンダードナンバー。ジョン・マラスカルコがレオ・プライスと共に作詞作曲。リトル・リチャードの1957年2月のシングル「ルシール」のB面として発表された。また、様々なアーティストたちが吹き込んでおり、サム・クック、バディ・ホリー、ブレンダ・リー、スティービー・ワンダー、オーティス・レディング、ジョン・レノン等による録音がある。

(※注釈37)ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947―)は、日本のヴォーカリスト。滋賀県大津市出身。1969年5月、GSバンド、ザ・カーナビーツの2代目ヴォーカリストとして加入するが、5ヶ月でグループは解散。解散後、1969年12月から翌1970年2月末まで渋谷東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「HAIR」にウーフ役で出演。その後は再びヴォーカリストとしてソロ、男女デュオ等で数枚のレコードをリリースした。

ばんばん)リトル・リチャードって、ロックンロールでバリバリガンガンいく、それとこういうバラードっていったら変ですけど、こういうのもすごくいいですね。
 
大幸)ロックンロールの創始者の一人で、そのいわゆるゲイみたいに足を上げて弾くんではなく、ちゃんとピアノを弾きながらブギウギをやってる人が、ファッツ・ドミノ(※注釈38)って人がいるんですけど。
 
ばんばん)ファッツ・ドミノね。丸山音楽堂でファッツ・ドミノ来た時観たら、びっくりしたのがピアノを押しながら楽屋へ消えていった。あの人ごっつい太ってるでしょう?
 
大幸)うわぁ〜。
 
ばんばん)すごいな~みたいな。
 
大幸)まあファッツっていうくらいですから(笑)
 
ばんばん)そうですね、太ったドミノ(笑)
 
大幸)(笑)。さっきのリトル・リチャードもそうだけど、スティービー・ワンダー(※注釈39)も昔デビューした時はリトル・スティービー・ワンダーって呼ばれてましたね。
 
ばんばん)そうでしたね。
 
大幸)リトルっていうのは、「かわいい」とか「若い」とかそういう意味があると思うんですけどね。だからリトル・ペギー・マーチも、後々ペギー・マーチ(※注釈40)になりましたね。
 
ばんばん)あ~そうですね、リトル付きましたね、昔はよく。
 
大幸)はい。で、その前に「レディ・マドンナ」ってビートルズの曲があるんで、これをまず聴いてほしいんです。「レディ・マドンナ」は結局、「ファッツ・ドミノのブギウギみたいな感じで作ってそれ風に歌った」ってポールが言ってるんですよ。ちょっと声を変えて。
 
ばんばん)はいはい。
 
大幸)その「レディ・マドンナ」(※注釈41)をまず聴いてください。続いてファッツ・ドミノの大ヒット曲「ブルーベリー・ヒル」(※注釈42)を。

TR-14  Lady Madonna / The Beatles
TR-15  Blueberry Hill / Fats Domino

(※注釈38)ファッツ・ドミノ(Fats Domino、1928-2017)は、R&Bとロックンロールの歌手、作曲家、ピアニスト。1950年代から1960年代初期にかけてアメリカで最も売れた黒人歌手の一人である。ストライド奏法とブギウギの影響を受けた独自のブルース調のスタイルでピアノを演奏した。代表曲は「ブルーベリー・ヒル」「アイント・ザット・ア・シェイム」。

(※注釈39)スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder、1950.5.13-)はアメリカのシンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー。ヴォーカルの他、ハーモニカ、クラヴィネット等様々な楽器を演奏するマルチ・インストゥルメンタリストである。11歳の時にモータウンのTamlaレーベルと契約して以来、現在までモータウン一筋に活動する。30曲以上のU.S.トップ10ヒットを放ち、計22部門でグラミー賞を受賞、最も受賞回数の多い男性ソロ・シンガーである。

(※注釈40)ペギー・マーチ(Little Peggy March、1948-)は、アメリカの歌手。1962年に14歳のときコンテストで優勝したのがきっかけでRCAよりデビュー。当初はリトル・ペギー・マーチとしてアイドル歌手としてデビュー。以後アメリカのみならず、ドイツでも活躍し、日本語の歌もカヴァーした。特にペトゥラ・クラークの「愛のシャリオ」をカヴァーした「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」が大ヒット、日本語でもカヴァーした。

(※注釈41)「レディ・マドンナ」(Lady Madonna)は、ビートルズの楽曲。1968年3月にシングル盤として発売された。主にポール・マッカートニーによって書かれた。ロックンロールのグルーヴ感を感じさせる楽曲は、ポールいわく『「レディ・マドンナ」は、ピアノの前に座ってブルージーなブギウギを書こうとしてできた曲。左手でコードをアルペジオで弾いていたらファッツ・ドミノを思い出したから、ファッツ・ドミノのモノマネをしながら歌い始めた」と語っている。

(※注釈42)「ブルーベリー・ヒル」(Blueberry Hill)は、1940年にヴィンセント・ローズによって書かれた。この曲は1956年にファッツ・ドミノが歌ってビルボード2位になったことでスタンダード・ナンバーとなった。オリジナルは1941年にジーン・オートリーが映画の挿入歌として歌い、同年に録音されたグレン・ミラーのバージョンが40年代では最も有名。ファッツ・ドミノは、1949年のルイ・アームストロングのバージョンを元にしたという。ファッツ・ドミノのカバーは彼最大のヒットとなり、世界中で500万枚以上のレコードを売り上げた。

ばんばん)ばんばん&大幸の「オールディーズ・グッディーズ」。今週はロックンロールということで、リトル・リチャードを中心に聴いていただきましたけど、なんか僕らの世代でロックを聴くとやっぱり血が踊りますね。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)ということで、来週は?
 
大幸)チャック・ベリー(※注釈43)で。
 
ばんばん)ロック&ロールが続きますか! リトル・リチャード同様、チャック・ベリーも紹介しないとロックが語れないですよね。是非お楽しみにしていただきたいと思います。それではまた来週。
 
二人)さようなら。

(※注釈43)チャック・ベリー (Chuck Berry、1926−2017)は、アメリカのシンガーソングライター&ギタリスト。ロックンロールの創始者の一人で「ロック界の伝説」と敬われ、最初期のギター・ヒーローとしても認知されている。


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