ほんの少しの旅暮らしと清川村との出会い
2年前、神奈川県唯一の村、清川村にたった1人で移住した。当時23歳。
今考えると恐ろしいが、村で知っている人は誰もいなかった。
社会人になってから、いろんな挑戦と失敗をしている。どんなことをやったか、そのときどんな気持ちを抱いたか、将来の自分のために残しておきたくなった。
今回は、清川村に住むことになった経緯を、書き記しておきたい。
◎ 1人暮らしフルリモート時代 ◎ 2020/04~2021/08
遡ること3年前。
神奈川県の小さなアパートに住んでいた。
住まいを変えた1番の理由は、1人暮らしフルリモートが向いていなかったから。
コロナ禍に新卒入社し、1年以上ずっと在宅勤務だった。
社会人になって、環境が大きく変わったはずなのに、新しい刺激がひとつもなかった。
そんなある日同じアパートに住む同期と話していた。
ハッッ!
この生活って慣れる人は慣れるけど、どうやらわたしは慣れないらしい。
環境に適応しようと1年以上試みていたが、環境を変えなきゃという気持ちになった。
どう変えるか悩んでいたとき、会社の上司が呟いていたことを思い出した。
「子どもが4人もいなかったら、ADDressのようなサービスを使っていろんなところで働きたい。」
あっ、ADDressつかって旅してみるか〜。
◎ ほんのちょっとの旅時代 ◎ 2021/08~2021/12
そんなこんなで、ADDressに登録して、バックパックに必要最低限の荷物を詰め、行ったことのない街に出かけることにした。
3~4ヶ月家に帰らず、日本各地で仕事をしながら暮らすように旅をした。
47都道府県制覇するぞ〜!と意気込んで始めた旅生活だったが、
数ヶ月経つと、行きたい場所が浮かばなくなってしまった。
あれれ、どうやら旅生活も向いていない。
向いてなかった旅生活だが、訪れた街の人やADDressで出会った人から刺激を受ける生活は楽しかった。
その中でわたしに大きな影響を与えてくれた人が2人いる。
ひとりは秋田の珈琲屋さん。
もうひとりは茨城の大洗に住んでいたADDressの家守さん。
珈琲屋さんは路地裏の古民家に住みながら、その一角で珈琲屋を経営、本業はイラストレーターをしている人だった。
学生の頃から、「パン屋になりたい」と冗談半分で常に言っていたわたしにとって、地方の古民家に家族で住みながら、珈琲屋とイラストレーターという複業は、当時眩しすぎた。
こんな生活がしたいと、ビビッと来た瞬間だった。
もうひとりの大洗の家守さんはというと、リモートで働きながら、家守をしながら、早朝サーフィンと早朝珈琲焙煎をよくしていた人。
滞在しているゲストへの距離感・気配りが絶妙で、拠点の居心地は抜群。
わたしは特に拠点で過ごす、大洗の朝が大好きだった。
家中に漂う焙煎の香りと音で目覚め、目をこすりながらリビングに行くと、家守さんがコーヒーをよく淹れてくれた。
いつもと変わらぬ日常を過ごし、大洗の拠点で眠りにつこうとした夜、
家守やりたい!!!!!
が、突然空から降ってきた。
当時、生業や暮らす場所について路頭に迷っていたが、本当に突然、やりたいことができた。
大洗の家守さんのように、居心地の良い、また来たいと思える独自の空間を創る人に憧れたし、
家守になれば、「いつかお店をやりたい」が本当に自分のやりたいことか試せると思った。
何より、自分が旅人になるより、旅人を迎える方が自分らしくおだやかに暮らせそうな気がしていた。
◎ 清川村での家守時代 ◎ 2022/01~2023/09
家守をやるなら、知名度が低く、車が必要なくらいの地方が良かった。
そして、ご縁があったのが、神奈川県唯一の村、清川村だった。
清川村は、住むなら車があったほうが良いくらい長閑な場所で、
住まいとなる家は、丘の上にあって、古さがまだ残る平屋の古民家だった。
そして、知名度はたぶん低い。
わたしにとって、「まさにここ!」というところだ。
そして、会社の補助で住んでいた、アクセス・賃料・設備・空間すべて良しのアパートを早々に手放し、流れるように住まいを変えた。
清川村に住み始めてからは、本業の傍、拠点の管理と旅人との交流・地域との接点を創りながら、長閑に、楽しく暮らしていた。
きっと次のnoteは、清川村での生活を綴るはず。
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