Mari Kawahara

ありのままのいまのじぶん。いつか地方で誰かの居場所となる場所を創りたい | Webエンジニア | フォトグラファー | 写真家

Mari Kawahara

ありのままのいまのじぶん。いつか地方で誰かの居場所となる場所を創りたい | Webエンジニア | フォトグラファー | 写真家

最近の記事

実家に眠るフィルム写真

空き家になっている実家の掃除をしていると、 現像されたフィルム写真が次々顔を出す。 両親が結婚したときの写真。 兄が生まれたときの写真。 わたしがお腹の中にいる写真。 色褪せた写真たちが、覚えていない幼少期のことを教えてくれる。 重い引き出しをあけると大量の写真とネガを発見。 わたしたちに向けられた愛情が、1枚の写真から溢れ出している。 なんだか心が温かくなって、 「次の写真、次の写真」と、 気がついたら掃除の手が止まり、 目の前にはたくさんの写真が広がっていた。

    • だいすきな場所を去る。素直な気持ち。

      まだまだ心の整理がつかない中、 人口20人の島に別れを告げる。 移住してからたった半年しか経っていない。 島の人に挨拶するたび、 寂しさと悔しさと情けなさと、いろんな涙が溢れ出た。 島を出た日から、気がつけば1ヶ月以上経っている。 気持ちの切り替えの早さには自信があるのだが、自分でも驚くくらい島への未練が消えていない。 やりたいことと住みたい場所を3年かけて見つけ、 意を決して移住したのに、 パートナーとの別れがきっかけで、 島を出ると決めてしまった。 移住してからの半

      • 人口20人の島暮らし。25歳、船でしか行けない島に移住する。

        2023年夏、新卒から3年半働いた会社を辞め、ルーツのある瀬戸内の島に移住した。 人口はたったの20人。当時25歳のわたし、島の最年少になった。 今回はかなり僻地に移住したきっかけと、きっと想像もつかないであろう人口20人の島暮らしについて書こうと思う。 ◎ 移住した理由 移住することになったのは、2023年4月、大人になって初めて島に訪れたことがきっかけである。父の故郷であり、家族と一緒に帰島した。 当時たしかに移住先探しをしていたが、まさかこの島に住むことになるなんて

        • 人口20人の瀬戸内の島に自分のルーツがあった。家族と20年ぶりの帰島。

          2023年4月、移住先探しを目的に、四国を1ヶ月かけて旅をした。週5日仕事をしながらの、ゆったりスケジュール。 四国に来たら、行きたい場所があった。移住先候補ではなく、ただ行ってみたかった場所だ。 それは瀬戸内海に浮かぶ「手島」という島。丸亀製麺で知名度が高いであろう、香川県丸亀市に属する、人口が20人もいない島だ。 その島には20年前に1度だけ訪れたことがある。父が生まれ育った場所ということもあり、5歳の夏休み家族と一緒に親戚に会いに行った。 覚えている記憶はかなり少

          地方移住の第一歩。清川村暮らし。

          2022年1月、神奈川県清川村に住まいを移した。 「地方に住みたい」「誰かの居場所となる拠点を創ってみたい」自分がやってみたいことへの挑戦の第一歩だった。 ◎ 清川村ってこんなところ ◎ 住むことになった清川村はというと ・神奈川県の北西部に位置する県唯一の村 ・人口は3,000人いないくらい ・すれ違う小中学生はいつでも挨拶をしてくれる ・最寄駅まで車で30分 ・スーパーはないけど、大抵のものは揃うドラッグストアと道の駅がある こんな感じだろうか。 神奈川県だから地方

          地方移住の第一歩。清川村暮らし。

          ほんの少しの旅暮らしと清川村との出会い

          2年前、神奈川県唯一の村、清川村にたった1人で移住した。当時23歳。 今考えると恐ろしいが、村で知っている人は誰もいなかった。 社会人になってから、いろんな挑戦と失敗をしている。どんなことをやったか、そのときどんな気持ちを抱いたか、将来の自分のために残しておきたくなった。 今回は、清川村に住むことになった経緯を、書き記しておきたい。 ◎ 1人暮らしフルリモート時代 ◎ 2020/04~2021/08 遡ること3年前。 神奈川県の小さなアパートに住んでいた。 住まいを変え

          ほんの少しの旅暮らしと清川村との出会い