地方移住の第一歩。清川村暮らし。
2022年1月、神奈川県清川村に住まいを移した。
「地方に住みたい」「誰かの居場所となる拠点を創ってみたい」自分がやってみたいことへの挑戦の第一歩だった。
◎ 清川村ってこんなところ ◎
住むことになった清川村はというと
・神奈川県の北西部に位置する県唯一の村
・人口は3,000人いないくらい
・すれ違う小中学生はいつでも挨拶をしてくれる
・最寄駅まで車で30分
・スーパーはないけど、大抵のものは揃うドラッグストアと道の駅がある
こんな感じだろうか。
神奈川県だから地方と言って良いのかわからないけど、おそらく地方だとは思う。
程よく栄えている街(厚木・海老名)から車で30分ほどだが、30分とは思えないくらい山々に囲まれ自然豊かな場所だ。
北へ進むと、宮ヶ瀬湖という湖があり、観光客で賑わう日もある。山道になっているので、ロードバイクやバイク・車好きにも密かに人気。
ご縁があったから住んだ清川村だったが、心から大好きな場所になった。本当に住んでよかったと思う。
清川村の好きなところをあげようと思うとキリがないけど、特に好きなところを3つ話すと、
①村に入った瞬間、澄んだ空気になるところ。
②水道水が美味しいところ。
③花や樹木から季節を感じられるところ。
あともうひとつ。
キッチンから見える裏庭にいる鹿や、車を気にせず果実に夢中なお猿とたまに遭遇するところも好き。
◎ 家守の生活 ◎
清川村に住み始めた理由は、ADDressという多拠点コミュニティサービスの家守をするためだ。
拠点に住み込みながら、家の管理とゲストのお出迎え・交流をしていた。
住んでいた家は、細い坂を登った先にある平屋の古民家。
広いお庭からは桜・紫陽花・百日紅・金木犀と、色とりどりの花が季節を知らせてくれる。
自分の部屋以外に3部屋個室があり、毎日のようにADDressを利用した旅人が来る。
水回りやリビングはゲストさんと共用。
本業はリモートワークメインのWebエンジニア。副業でADDressの家守をやっていた。
よく、忙しそうと言われたが、家守は完全に趣味。
拠点の掃除は気分転換になったし、ゲストさんと食卓を囲むと仕事の疲れはどこかに飛んで行く。
本当に忙しい時は、ゲストさんが手伝ってくれたし、リピーターさんがご飯を作って待ってくれることだって少なくなかった。
思い出すだけで尊すぎる日常である。
◎ 清川村での思い出 ◎
そんな儚くて、尊い清川村での暮らしの思い出たち。こちらも多すぎるので3つにまとめてみる。
1. 季節の手仕事
地方に住むと季節をより感じる。
移住1年目は抱えきれないほどの梅をご近所さんからいただき、その時は「梅、そんなに好きではないんだよな」なんて思いながら、しぶしぶ梅シロップと梅酒をつけたのを覚えている。
梅好きではなかったはずが、1年目の自家製梅酒に感激し、2年目は梅狩りから梅仕事を始めることに。近所の梅林から10キロほど取ってきて、梅酒・梅シロップ・梅干しを大量に作った。
他にも春には豆板醤、冬は味噌を仕込み、
節分の恵方巻きやひな祭りのちらし寿司だって忘れない。
季節の食べ物と行事を楽しみながらの日常が好き。
そして、自然から直に季節を感じられる田舎が大好きになった。
2. 近くのあったかすぎる飲食店
清川に住み始めて間もないころ、2つの大好きな飲食店に出会った。
1つは家から徒歩2分のシュミノクラウスというホットドック屋さん。
アメリカンな店内で出てくるごはんはどれも絶品。
どのメニューも少しジャンキーでめちゃめちゃ美味しい。
ごはんの美味しさより大好きな点は、お店にいる親子3人が本当に温かいところ。いつ行っても、元気になれる場所である。
もうひとつは、隣町(愛川町)にある仏果堂という喫茶店。
ナビを見てても行き過ぎてしまうような場所にある、小屋のような喫茶店だ。
好きすぎて、初めて行ったときにバイトを願い出て、月1,2回お手伝いをしていた。
バイトとして行くこともあったが、お客さんとして行くことの方が圧倒的に多かった。仕事終わりふらりと行ったり、仕事しに行ったり、ゲストさんを連れて行ったり。
大好きなお店たちの共通点は、
・自然を感じれる場所
・美味しいたべもの
・あったかオーナー
である。
この3つが揃うと、初めて来る人だけでなく、地元の人が集うお店になる。
オーナーさんだけでなく、常連さんも温かく迎えてくれるから、清川が自分にとって帰る場所になれたと思う。
そして、わたしが管理している拠点も誰かにとってそんな場所であってほしいと心から思っていた。
3. お客さんとの出会い
忘れたくない思い出3つ目は、拠点に来てくれるお客さんとの出会い。
お迎えして、お見送りした会員さんは一体何人いるだろう。ざっと100人?いや200人くらいかな。
様々なバックグラウンドを持った方と話すことは本当に楽しかったし、当時ほとんどのゲストさんが人生の先輩で、いろんな生き方を教えていただいた。
振り返るとたくさんのお客さんの顔が思い浮かぶ。
同じ車に乗っていたご夫婦や(赤ちゃんも産まれた、元気かな〜)
いつも刺激と温かさをくれる同世代の子たち(家守生活の支えでした)
気づいたらおもてなししてくれるおじさま(美味しいお酒よく持ってきてくれたな)、なども。
この出会いがきっかけで、トライアスロンやマラソンにも出るようになってしまった。
他にも2年間の清川村での生活を語ればキリがない。
全部は書ききれないから、記事の最後にいくつか写真を残すことにする。
◎ これからの暮らし ◎
家守生活がしばらく経つと、リピーターさんや友達のように仲良くなるゲストさんが増えた。
目標だった、誰かの居場所を創れた気がしたと同時に、次のステップを考えた。
やっぱり、お店をやりたい。今までは野望だったけれど、清川村での生活を通し、叶えたい夢になった。
自分らしい空間を創ることが楽しかったし、人をほどよい距離感で迎えることはたぶん得意。そして何より、誰かのために直接何かを届けることが好きだった。
清川も良いのだけど、もう少し田舎で、貢献したいと自ら思う街で、人が集う場所を自分の手で創ってみたい。
そんな風に思うようになり、根を下ろして住みたいと思う街を探そうかなぁと考え始めるのである。
◎ 写真で振り返る清川村暮らし ◎
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