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南風吹く港町へと

グリーン車に並んで座る私越しに海の写真を撮っている君


二月末、恋人と上野駅で待ち合わせをして、彼が以前から泊まりたいと話していた港町へ一泊二日の旅に出る。
天気も良くて、まさに旅行日和。ただ、まだ気温は低めだったので、私はもこもこした茶色いフリースの上着を着ていった。それを見て彼は「トイプーじゃん」と言った。たしかに。

年末に体調の都合で仕事を辞めてから初めての旅行。平日の電車は空いているだろうと思ったが、それほどでもない。けれど、こうして平日に彼と会えているだけで特別な感じがする。


旅をするたびにカロリーメイト買う どこにでもあるカロリーメイト


ランドセル背負った少女が駆けてゆく 観光地にも暮らしはあって


駅に着いて、さっそく町を散策する。まずは海を目指すことにした。港まで徒歩十五分のはずなのに、なかなか着かない。
やっと海が見えた! と思ったら、目的地の港とは違う港だった。方向音痴を発揮してしまい、まったく別方向に歩いていたようだ。
予定していた場所ではなかったけど、それでもいい感じの景色に出会えたし、すれ違う人も少なくて、二人だけの世界があった。それだけで十分だった。

夕方になってくると散歩中の犬に遭遇できて嬉しくなる。たまたまかもしれないけど、柴犬率が高かった。


客室にミモザの花が飾られて冬服のまま春がはじまる


ゲストハウスというのだろうか。私はホテルでも旅館でもない宿泊施設に泊まるのは初めてで、なんだかわくわくするような、そわそわするような気持ち。
古民家をリノベーションした建物で細かなところまでおしゃれなうえに、他に宿泊客はおらず貸し切り。やっぱり、これはそわそわだ。


夕飯は近くのお寿司屋さんへ。
二人とも地魚握り(だったかな?)を注文。
食べたことのない魚ばかりだったけど、どれもおいしかった。さすが港町。
お味噌汁には海藻がたっぷり入っていて、特に採れたてのヒジキは珍しいとのこと。
私はヒジキがちょっと苦手なので、恐る恐る食べたのだけど、普通のヒジキと違ってこれはおいしくいただけた。


「君たちはラッキーだよ」とお寿司屋の大将が言うから、信じたい


宿の夜 エッセイ集は目次だけ見れば自分の好みか分かる


彼がシャワーに行っている間、客室に置かれている本をぱらぱらと見ていた。
エッセイや小説に混じって少しだけ漫画もある。基本的に漫画は読まないのだけど、たまたま以前飼っていた犬と同じ名前の漫画家の本があったので一巻だけ読んでみたら、ヒリヒリする内容の恋愛モノだった。
感受性が強い私は普段から本やテレビの影響を受けやすい。案の定、この漫画のせいで、恋愛とは……付き合うとは……結婚とは……と、ひとりで悶々と悩み始めてしまった。

彼のあとにシャワーへ行くと、シャワールームは毎日湯船につかる習慣がある私にとっては結構な寒さだった。悩みごとを考える余裕もなく、とにかくハイスピードでシャンプーや洗顔を済ませる。
部屋へ戻り、心配をかけたくなくて「寒かった」とは言わずに髪を乾かしていた私に、彼は温かいお茶を入れてきてくれた。この人は本当にやさしい。やさしいし、私のことが好きなんだなと思うし、私も彼が好きだ。私が悩む必要があることなんて何ひとつない。


旅先ではいつも細切れにしか眠れなくて、今回は特に、眠れそうかな……というタイミングでちょうど近くを通る電車の音が聞こえてくる。
こんな真夜中に働いている人もいるんだな……とか、今後引っ越しを考えるときは線路の近くは選択肢から外したほうがよさそう……などと考えているうちに、少しずつ窓が明るくなってきた。

朝食は、キッチンに用意されていたパンとスープを温めて食べる。新婚ごっこみたいでテンションが上がる。
食後にごきげんで鼻歌を歌いながら食器を洗う私に、彼が「何の歌?」と聞いてきたので「アヴリル・ラヴィーン」と答えると、「面白いね」とのこと。
「そうだよ、私と一緒に住むと面白いよ!」とは言えなかった。言えばよかった。


「奥さん」と呼ばれてそれを否定する 強めに吹いている南風


楽だって君が言うから二人して後ろを向いて坂を上った


ゲストハウスの方におすすめされた酒屋さんへ立ち寄る。夜な夜な漁師さんや地元の人たちが飲みに集まるというディープなスポットだ。
私たちが訪れたのは昼間だったからお店の人しかいなかったけど、店主の話がもはや漫談と言えるレベルの完成度で面白い。町に移住してきた絵描きさんにまつわる話で、最後には思わず拍手してしまった。
お礼に何か買って帰りたいけれど、私はお酒が飲めないので話の主人公である絵描きさんのポストカードを二枚購入。町並みが描かれたものと、美味しそうな刺身定食の絵柄をチョイスした。


出すことのないポストカードを買って旅は終わりに近づいてゆく


旅先も二日目になると、知っている道が増えて地元を歩くときと同じくらいの速度で歩くことができる。
そして、いいところだけど住みたいわけではないな、ということも分かってくる。いつかまた来ようと思いながら帰るくらいがちょうどいいのだ。


とんびより遠くへ行ける私だよ ゲストノートに一首残して



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