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立憲君主制と共和制。。

エリザベス女王の訃報が流れてから、多くのテレビ番組がエリザベス女王の英国君主としての軌跡を取り上げていました。10日の土曜日には、「王位継承評議会 (le Conseil d'accession)」がロンドンのセントジェームズ宮殿で開かれ、チャールズ3世としてチャールズ国王の即位の宣言が公布されました。そして、スピーチの中で、"Ma mère a donné un exemple de vie, d'abnégation et de service. Malgré la tristesse, nous denons hommage à cette vie"「私の母は、無私の心、奉仕の精神、人生の模範を示しました。悲しみの中にいますが、この母の人生に敬意を表します。」と語りました。

チャールズ3世の即位によって執り行われる儀式は、2000年も続いているそうです。イギリスは、君主が存在する立憲君主制で、王位は自動的に継承されます。そのため、チャールズ3世は、イギリスの君主並びにコモンウェルス(Commonwealth)の長となりました。コモンウェルスとは、1931年のウェストミンスター憲章で成立した、イギリス本国と自治領、植民地を結ぶ緩やかな国家ー植民地連合体連合体のことです。イギリス連邦/英領コモンウェルス(Commonwealth realm, Royaume du Commonwealth)と呼ばれていましたが、1944年にこの名称からBritishが除かれました。コモンウェルスの加盟国は56カ国ですが、そのうち、君主制の国は21カ国、そのうちの15カ国の君主にチャールズ3世はなりました。以下の国々が、チャールズ3世を君主とする国々です。カッコの中は、イギリスの君主を君主とする取り決めを行なった年が示されています。

アンティグア・バーブーダ(1982)、オーストラリア (1942)、バハマ (1973)、ベリーズ (1981)、カナダ (1931)、グレナダ (1974)、ジャマイカ (1962)、ニュージーランド(ニュージーランド王国)(1947)、パプアニューギニア (1975)、センクリストファー・ネイビス (1983)、セントルシア (1979)、セントビンセント・グレナディーン (1979)、ソロモン諸島 (1978)、ツバル (1978)、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国。

ただ、植民地主義の歴史から生まれたこの制度に対して、反発もあり、オーストラリアでは50%以上の国民が、カナダではケベックの71%の国民がイギリスの君主に反対している、という調査結果が報道されていました。

また、リールのFaches-Thumesnil市の市長、Patrick Proisは、「「君主」エリザベス2世のために市の公共の建物に半旗を掲げることを拒否する」、という決定を下しました。この市長は、Twitterで、「全ての国家元首の逝去に対して半旗を掲げていますか?我々の共和国は、選り好みして教会の長の君主のために半旗を掲げるのですか?(Est-ce fait pour tous les chefs d'état quoi décèdent? Notre République fait-elle de la préférence pour une monarque, cheffe d'une Eglise?」と発言しています。

共和制のフランスには、国王や皇帝のような専制君主は存在しません。フランスでは、フランス革命以後、王政、身分制度が廃止されたからです。共和国のフランスでは、共和主義を国家を統合する原理とし、特に政教分離、ライシテの原則を重視してきました。この共和主義の名の下に、市役所だけでなく、学校等、公共施設でのムスリムのスカーフ着用を法的に禁止したり、これ見よがしの宗教的な装飾物を身につけることを禁止したりしてきました。リールのこの市長の決定や発言の背景には、このフランスの共和主義の考え方が影響を与えていると言えると思います。ただ、フランスとイギリスの歴史的な関係性を鑑みると、例外措置もありではないか、厳格すぎないか、とも思いました。一方で、この市長の「選り好み」という表現には、フランスの共和主義の矛盾を指摘しているようで、興味深かったです。今回、フランスの報道からは、イギリスとフランスの政治体制の違いを感じることが多くありました。

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