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自己認識と、自己充足感の関係性。

こんばんは、イラストレーターのマルオです。

表題のようなことばかりよく考えているので、
自分が何者なのか、まさに自己認識が
揺らいでいるイラストレーターです。笑

ふと「私とは何者であるか」って
何を持って私は定義しているのだろう、

と考えたら、面白くなってきてしまいまして。


自分や、皆さんの自己認識の物差しって
どんなものだろう?と思ったんです。

私の自己認識は、
「イラストレーターである」
「考えるのが好きな人間である」
「本が好きである」
「ビールが好きである」
「たくさんの人との交流が苦手である」
…みたいな感じでしょうか?


これってこうやって
挙げていくとキリがないですよね。
いろいろな側面を持って
私達は生きているから。


職業、好きなもの、苦手なもの。

他には、出身地、家族においての役割、
社会的な役割
、、もっとあるでしょうか。

「自分って何者なの?」って考えるときに、
外側基準ばかりだと、割と悩んじゃったり
自己充足感が少ないような感じが
するかもしれません。

それは役割であって
自分の内面的なものとは
距離があったりするからです。

内側基準がたくさん出てくると、
社会的評価は置いておいて
個人としては幸せを感じるシーンが
多いかもしれません。


「私」の中に
誰にも邪魔されたくない、
自分だけの大切な「これ」という
自己認識が一つでもあると、
人生において自己充足感が満たされる時間が
多くなるのかな、と思います。


私は、本が好き。
私は、美しい景色が好き。
私は、夜明けの空気の中での深呼吸が好き。
そういう人である。


自己認識において、こういうものが多いことが
外側の役割によって自分を認識するよりも、
リラックスできるような、
本来の何者でもない
自分に戻れるような
気がしますね。

今日はそんな感じです。
なんかいつもふわっとした感じで
書いてるな〜と思いつつ。。

今日も読んでくださってありがとうございます!


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