残される花畑と消えていく花畑

金曜の夜、新宿のバッティングセンターに行った帰り道。酔っ払いで溢れる通りの中でねずみやら吐瀉物やら汚いものが目につき「気分が悪くなりそう」と呟いた私に一緒にいた後輩が「花畑思い出して!」といった。きれいな風景を思い浮かべて気分爽快になるように。

その一言で花畑を思い出そうとしたのだが記憶の中から花畑を探そうとしたのだがうまく思い浮かべられなかった。その後家に帰ってまた考えて思い浮かべられたのは5歳くらいの頃に行った菜の花の花畑。それくらい昔の記憶までさかのぼらないと花畑の風景に出会えなかった。

花畑って貴重なものなんだな、と思った。18歳まで田舎で育った私でも思い浮かべられない。東京で生まれ育った人ならなおさらだろう、と。

でも昔はもっとたくさん花畑はあっただろう。花が群生した結果花畑ができるとすると、もっとあちこちに花畑がある状態だっただろう。

だけど今残ってる花畑と残ってない花畑の違いってなんだろう。

その違いの1つに人に愛されてきたかどうかというのがあり、多くの人に愛された理由の1つに、誰かが和歌で読んだとか演劇や映画の舞台になったというのがあるのではないかと思った。

和歌の知識が皆無なため例がイマイチかもしれないが、昔からよく題材取り上げられてた天橋立などの名所は今も大切守られて観光名所になってる一方で、日本には埋め立てられてる海もある。

そう考えると、自分の好きな場所、もの、ことをなんらかの形で人に伝えたり残していくって価値ある。その手段の一つに、書いて伝える、残すという小説やエッセイという方法がある。

だから好きなもののことはきちんと書いて伝えようと思った。

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