主語

*このnoteは深夜帯のツイートをつぎはぎして備忘録としたものです
読みにくかったらごめんなさい。

ストリートスナップの主語はどこにあるのか?みたいなとこある

共感とはまた違うステージの話だと思う、鑑賞者は写真の主語になり得るか?という話

写真の主語がどこにあるのか?「私が」立ち合い見て撮ったものとしての写真か?「彼が」営むことが写った写真か?実際は混じり気があるのだけど、その色相がどちらに寄っているのか

「語り部」として撮るのか、「傍観者」として撮るのかということになってくるだろう

ストーリーテリングと、ナラティブ…

二つの選択肢:追体験のためのストーリーを提供すること/想起のための舞台装置を提供すること

somewheremagazineは場所性もだけど主語が排されてるのか???公約数としての美の提示

例えば主題の前ボケ、あれは主語がない 誰だっていい 自分だっていい
そういう掴めなさみたいなところと、ナラティブたりうる美の形がいいのかも

誰が見ていたのか分からない写真だから、鑑賞者がその眼差しを借りることができるのかな、撮り手は主語を排する

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