だから僕は青春を捧げた
雀士には、大きく分けて二種類のタイプに分かれると思う
詳細なデータを基に綿密で効率的な打牌をする理論派
今までの膨大な経験を基に打牌選択をする感覚派
ネット麻雀、とりわけ天鳳界隈、特に鳳凰民はほとんどが純粋な前者だと思うが、僕の場合は、完全に後者ではないが、前者と後者のハイブリット的な立ち位置に居ると思う。
僕は今まで”綾チル”として、綾鷹さんをはじめたくさんの人に牌譜を検討してもらってきた。
綾鷹さんと言えば、データを基に効率的に勝ち上がっていく、最初の分類でいう所の純粋な前者だ。
ベタオリの安全度比較など、綾鷹さんから教えてもらったデータを存分に発揮して打つ場面も多いが、今まで綾鷹さんに教えてもらった事のほとんどは、基礎的な選択や絶対手だったように思う。
つまり、出来るだけ僕の”楽しさ”を潰さないように検討してもらえたのだ。
僕はそれらのデータで裏付けされた確かな「基礎」に、今までのおそよ3000戦もの経験を積み上げて八段までやって来た。
まちぃ君の「アイドル」のnoteの中に、こんな一文がある。
しかし、たくさん打って実力を出すことは難しい。そのため、たくさん打っても実力が追いつかない人は「アイドル」的扱いを受けることになる。いわば、みんなの心の拠り所、“偶像”だ。
そして、(失礼だが敢えて言うと)以前しすふじさんはその「アイドル」の代表格だった。彼は現時点で3000戦近く打っているが、2000戦あたりで六段から四段まで落ちた時期があった。牌譜を見てみると、集中が欠けているなぁみたいな打牌、押し引きがたくさんあった。けれども、ずっと打っていた。やめることも、雀魂に逃げることも、サブ垢を作ることもせず、ずっと打っていた。ついに、経験で強くなる、という難航ルートで気づいた頃には彼は七段になっていた。
思い返してみれば、頭が回っていないのにひたすら打っていたときもあれば、些細なことでキレ打ちやアツ続行して無駄な失点を重ねた時期もあった。
それでも麻雀を、天鳳をやめずに、しかも同じアカウントでずっと打ち続けていたのは、やはり麻雀を嫌いになれなかったのだ。
そして、今までの”経験”を棄てれなかったのだ。
まちい君のnoteに一つだけ訂正を加えるとすれば、僕にとって「経験で強くなる」ことは決して「難航ルート」ではなく、むしろ理想的なルートだった、という事だ。
そして、八段になった。彼はもうアイドル、偶像なんかじゃなくて、実像だ。彼には天鳳に対する愛があると思った。偶像に愛を足すと実像になるんだな、と思った。
そこが同じ段位でも僕も彼との大きな違いなのかもしれない。僕はAIの打牌を丸パクリして、ブレを最小限に抑えるという戦法で特南で8段まで来た。つまり、立派な“虚像”だ。たしかに強いかもしれないが、脆い。1日3半荘までというマイルールもかなりダサい。あまり夜中に打たないようにしてるのもptに対する愛はあるが、麻雀に対する愛はしすふじさんには敵わないのかもしれない。
僕は、データを覚えて上手く活用したり、AIの打牌を研究して取り入れる、といったことがあまり得意ではない。
だから、そういう所から技術を習得してどんどん強くなっていく、徹底した座学を基に、少ない打数でスルスルと上に登っていく人を見ると、尊敬の念を抱く。すごいなと思う。憧れる思いもどこかにある。
ただ、僕にはそれはできない。
もしかしたら、してないだけ、食わず嫌いかもしれない。
たぶん、もっと座学の時間を増やして前者の比率を高めた打ち方をする方が、僕の成績は今より良くなるだろう。
でも僕がそれをしないのは、或いはできないのは、データに裏打ちされた最善の選択を淡々と繰り返す行為、もしくはそれを勉強する行為そのものが、どこか機械的に見えてしまって嫌いだからだろう。
少なくとも僕にとって、そういう麻雀は「楽しくない」のである。
だから、僕は経験に頼る。
経験に頼るためには、打数が必要だ。
そう、自分の好きな麻雀を、ずっと、打ち続けることができる。
勿論ラスを引くとつらい。数えきれないくらいたくさんのミスをする。リーチや勝負手が空振ると面白くない。理不尽な展開に二度とやるかと煮えるときもある。
でもその経験が、自分を強くしていった。
何度も同じ失敗をして、少しづつ学んでいく、自分のミスに納得していく。
好きなこと、すなわち麻雀を打つこと を続けて強くなれる、それが僕にとっての「経験で強くなる」という事だ。
だから、僕は麻雀は楽しい。
天鳳民はみんな真剣だ。レベルも十二分に高い。
いつ、誰と卓を囲んでも必死になってポイントを奪い合う、そんな天鳳民が僕は大好きだ。
僕は、わざわざレベルの低い卓に行って”雑魚狩り”なんてしない。
強い人と戦って勝つ、強い人と戦って負ける。
その昔、僕はそんなフィールドに憧れて僕は天鳳に足を踏み入れた。
だから僕は、あと5ptで八段に昇段するときも、いつも通り鳳南を押した。
確かに、特東や特南で5ptを稼ぐのも十分合理的で効率的な手段だろう。 他人がこれをやることを僕は全く否定しない。
でも、僕は鳳南を押した。
鳳南しか押したくなかった。
鳳凰卓で勝ち切ってこそ、鳳凰民から最後の5ptを奪い取ってこそ、僕は立派な”天鳳民”として八段を名乗れると思ったから。
そして僕は「八段」になった。
ただの上振れかもしれない。まだ八段を名乗る実力を持って無いかもしれない。
でも、僕は堂々と八段を名乗りたい。
それは、どんな勝ち方であれ、決して自分に甘えることなく、七段を鳳凰卓で戦い切ったからだ。
僕は今年、長年戦ってきた「特上卓」というフィールドに別れを告げ、初めての「鳳凰卓」に足を踏み入れた。
ここでは、特上卓では何とかなっていたような小さなミスでもしっかり咎められるし、逆に、僕も相手のそれをしっかり咎められるようになければ勝てない。
時にはある人と共謀してライバルを陥れ、時に相手に共謀され僕が陥れられる。
ここはネット麻雀最高峰の鳳凰卓。それは、とても厳しい世界だ。
でも僕は、そんな鳳凰卓で打てることが嬉しい。
そして、まだ見たことのない「嶺上」を目指せることが楽しい。
やっぱり、麻雀って楽しい。
もしかしたら、鳳凰卓では今までの”経験”は通用しないかもしれない。
たくさんのアップデートが必要かもしれない。
でも、それなら、アップデートに必要なだけの「鳳凰卓」を経験すればいいだけだ。
何百戦も、何千戦も。満足するまで打てばいい。
例え途中で特上卓に落ちたとしても、また、あの過酷な六段坂を這い上がってくればいいだけだ。
後ろを振り返れば、もうそこに”型紙”は用意されている。
今までの経験は決して無駄にはならない、いや、絶対に無駄にさせない。
まだまだ僕は強くなれる。
さて、今度はどんな「実像」を作り上げようか。
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