ヒトの認知と意識は未だほとんど未踏の領域だ
人間にはそれぞれが持つ思考と感情の空間が存在する。思い込み、勘違いも含め人間の思考の世界がある。
そこでは曖昧な形、意味のものが無数に並び存在し実に上手い具合に適当に選択している。例えば500円玉の絵を描くと言った作業でも大体の印象しか描けないのは普通だ。細部の記憶は全く持たなくてもそれが500円玉だと認識し他人にも伝えることができる。その曖昧な物は「500円玉」という言葉を使う。言葉があるから脳の中では不確かでもそれが何か伝わる。500円玉という日本人には共通の画像記憶があるからだ。しかし人それぞれの記憶と解釈500円玉の形と印象は全く違う。大きさも色も違う。それでも1円、5円は見ればすぐ判断できる。
人の脳、つまり意識は画像イメージで表現されて記憶されているのか?人間と違いコンピュータ上のAIはこの画像イメージは人間のように意識の空間の中で捉える形と全く異なる。完全に平面上の数字の塊である。しかもどのAIでも大きさや色の具合は全く同一だ。
人は一人ひとり全く異なる。
AIから見ればヒトは全くの驚異の存在だろう。
「大学生に何も見ずに500円玉の絵を描いてもらうのですが、日常的に見ているのに、まともに描ける人はほぼいません。視界には確実に入っているのに「見えていない」ことは珍しいことではないのです。メールに締め切りが書いてあったとしても、文書に誰が見ても明らかな注意書きがしてあったとしても、本当に言語情報としてしっかり処理したかどうかは分からないのです。
人の記憶はいいかげんで脆弱で、誰もが異なるフィルター、つまりスキーマを無自覚に持っていて、違う視点や違う考え方をする――という仕組みが分かると、少し理解もできるし対応もできます。そして、それぞれの専門性や思考バイアス、偏った視点を持つ者が集まって仕事は進んでいく。でもそれがあるから、意見を擦り合わせたり歩み寄ったりすることで、学べることも大きいわけですよね。」
何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策(今井むつみ/日経BP)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD034CN0T01C24A0000000/