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#8『クリトン』ゲネプロ劇評 関口真生さま

はじめに

2023年12月に公演が行われた、#8『クリトン』について、関口真生さまよりゲネプロ劇評をいただいております。
※スケジュールのご都合により、関口さまにはゲネプロをご観劇いただきました。公演とは一部演出が異なります。

公演情報や、上演映像は以下よりご覧ください。

「テクストから観客を解放する手段について」関口真生さま

本作品はほぼ素舞台のまま行われる。客席と舞台の間に段差はなく、舞台全体には水面を思わせる映像が投影されている。小道具は中央前の床に線香とマッチがあるのみである。下手側には映像操作用の卓と操作する人がいる。舞台上にはボルドーのドレスを着た一人の女性が常に舞台上に佇んでいる。

上演開始後、一人の男性が舞台後方(外)のシャッターを上げて現れた。トトロの「さんぽ」をハ行だけで歌い、下駄の音を響かせながら舞台上ににじり寄る。最初は彼が何を言っているのか分からないが、1番を歌い終えたあたりで「これってもしかしてあの『さんぽ』じゃないか」と気が付く。歌いながらも私に目を合わせながらじりじり寄ってきて、懐から福岡名産のお菓子を出して渡してくれた。

歌い終えると、彼は観客に背を向けてマッチを擦り線香に火をつける。ここからソクラテスとクリトンの語りが始まる。しかし、語りは全てハ行(ア行?)で行われるため、聞き取るのが難しい。かろうじて聞こえてくる単語や、舞台上に出ている英語字幕の単語を拾いながらついていこうとする。最初は頭で子音を補って理解しようとしていたものの、しばらく経つとハ行の語りが頭をすり抜け、言葉ではなく音としてしか聞き取れなくなっていく。その瞬間は思考が止まるぼんやりした感覚と、それでも理解を止めたくないもどかしさの間にいた。

線香は語りのバトンの役割を果たしているようだ。火をつけた線香が消える頃に男性(クリトン)の語りは終わり、次に女性(ソクラテス)が線香を立てる。そしてまた同じように語り出す。後半にはバトンの役割は線香から拍子木に変わり、片方が拍子木を大きく鳴らすと語りのバトンがもう片方に渡るようになる。テクストを聞き取ることができないため、リアルタイムで操作される映像が役者に映る姿と、海に近い公演会場ならではの本物の海の波音を感じながら、言葉の片割れの母音たちをぼんやり聞くことしかできない。

会場で配られる演出ノート___ソクラテスは人間なのか?には、団体(Mr.daydreamer)とソクラテスの距離感についての論考が記載されている。Mr.daydreamerは”ソクラテスシリーズ”の第2弾として本作品を打ち立てたように、哲学の祖ソクラテスに関心を持ちながら作品創作を行っている。本作『クリトン』のゲネプロでは、観客が難解なテクストの意味に集中するのを避けるため、あえて言葉を崩し、母音発声にすることを試みた。しかし、観客に与えられる大事な情報源である言葉、台詞がなくなったことで、なぜ本団体がソクラテスを扱ったのか、なぜこの場所で、どのような思いで創作したのかという疑問の答えに辿り着くことが極めて難しくなった。喋っていることがわかりそうでわからないという負荷は、団体に興味を持つ観客であればあるほど重くなっただろう。団体としては、テクストに頼らない観劇体験に行き着くことを目指していたようだが、実際には観客にテクストへの未練を強く印象付けてしまい、身体性や劇空間を楽しむ余裕はなかったように感じる。

「どのように観客をテクストの意味から解放するか」という課題は、Mr.daydreamerが次回以降もう一度考え、挑戦し直すべきものになっただろう。

関口真生

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