この先の果てに
今日も窓の外の景色は、すでに今日が終わったというのに、
未だに明かりを灯していて、
もちろん、安心感はあるのでしょう。
しかしその明るさが、
星の光を、月明かりを、少しばかり薄めてしまうのです。
眠れない夜には、
私だけが明日に行けなかったのだと、
すでに昨日となった今日に取り残されたのだと、
そんな孤独を紛らわそうとして、
眠らない街のことを思います。
それは、絶えず光を放つ街灯や、
近未来を連想させるネオンの煌めき、
あるいは100万ドルの夜景など、
夜に生きる全てが、
夜を超えれぬ、誰かの孤独を和らげてくれましょう。
しかし時に、そんな街の事を気の毒に思うのです。
眠らない街は、眠れないだけなのではないかと。
眠ろうとしている街を、無理矢理にたたき起こす代わりに、
眩しいくらいの明かりを灯して、
それらは輝いているというよりもむしろ、
輝かされている。
外が明るくなるまで、絶えることを許されず。
そうして作られた光は、
夜に浮かぶ星の光を奪い去り、
月明かりさえ、霞ませて。
もちろん、そんな夜の景色を美しいとは思えども、
あくる日にふと思い出すのは、
眠りを知らせる星と月が見せる夜空の方で。
そんな空を、私はあと何回見れるのでしょうか。
いや、空の方は、いつでもそこにあるのです。
見ようとしないのは、私。
奪われたのは、夜空だけではありません。
それは、地平線。
私は幾度となく、水平線を見てきました。
その果てに思いを馳せるのが好きでした。
私は、地平線を見たことがない。
遠くを見てみれば、
競い合うように立ち並ぶビル群と、
誰かの生活の上に立つ家々が、
終わりなくどこまでも並んでいるのです。
私はその先に、地平線を見たことがありません。
そのことが、酷く私を悩ませるのです。
気付いてしまえば、もう戻ることなど出来はしない。
一度私の世界の狭さを認識した後には、
知らなければよかったと思わせられるほどの苦しみが待っているのです。
それはさながら、
大海の存在を知ってしまった、井の蛙。
空を飛ぶ同志をその目にした、鳥籠の中に鳴く鳥のよう。
私の頭上を飛ぶ飛行機のことを、
今まで何とも思わなかったというのに、
とても羨ましいと思うようになりました。
それは私が、どこにも行けないことを知っているから。
それは悟りではなく、諦観に近いのでしょう。
それでも、いつの日か、
輝く夜空とともに、地平線を見たいと思う、
その心を殺してしまいたくはないのです。
縛られた身体の、その目線だけは、
ずっと遠くの、その先へ。